English

北極海での観測研究のこれまでの流れ (Ⅲ)自立期-番外編②

202351

2007年は特別な年だった!
(NPEO 2007 & ドイツ砕氷船ポーラーシュテルン号北極航海)

地球環境部門 北極環境変動総合研究センター センター長/
北極域研究船推進部 国際観測計画グループ
グループリーダー
菊地 隆

 番外編①では、2005年の米国沿岸警備隊砕氷船観測ヒーリー号航海の話(図1の左のTシャツ)をしましたが、番外編②はそこから続く話、特に2007年の観測(図1の右のTシャツ)とそれに関係した話になります。よろしければ、御覧ください。

F1
図1.(左)米国沿岸警備隊砕氷船ヒーリー号による2005年北極海横断航海と、(右)ドイツ砕氷船ポーラーシュテルン号2007年IPY航海のTシャツ
note:IPY

 ヒーリー号航海を終えて戻ってきたタイミングでAWIの研究者から改めて「2007、 2008年にポーラーシュテルン号による北極海航海を行うが、参加するか」との連絡を受けました。2005年に計画した航海が中止になった代わりとしての実施という点もありましたが、2007年から2年間を 国際極年(IPY: International Polar Year)(*注)として各国が連携して極域の観測を行うことが決まっていたことも重要でした。IPYでの観測として、2年連続でポーラーシュテルン号の北極航海を行うとのこと。今回はロシア側との調整もうまく進んでいるとのことで、ありがたい申し出に「是非参加させてほしい」と返事し、準備を進めました。

Figure2
図2.Impacts of a Warming Arctic: Arctic Climate Impact Assessment (ACIA) Overview Report (2004)の表紙(iii)。

 この頃(2000年代中頃)の北極研究推進の大きな背景としては、2004年にAMAP(Arctic Monitoring and Assessment Programme: 北極圏監視評価プログラム、北極評議会の作業部会の一つ)からThe Arctic Climate Impact Assessment (ACIA; 2004, 2005: 図2)が公表されIPCC第3次報告書を踏まえて北極域で全球平均の2倍以上の速さで温暖化が進行し海氷減少などのさまざまな影響がでている現状が示されたこと(iii)、そして2005年11月にデンマーク・コペンハーゲンでThe Second International Conference on Arctic Research Planning (ICARP II)が開催され、北極研究の10年計画が発表されたことも挙げられます。特にICARP IIは今後10年間(2006-2015)の取り組むべき科学的課題を定義することを目的としてIASC (International Arctic Science Committee: 国際北極科学委員会)により進められ、ここで12の潜在的研究課題(potential research needs)が示されました(iv)。

 ちなみに話が少しそれますが、ICARP IIの10年後に開催されたICARP IIIは日本の富山でArctic Science Summit Week 2015とともに開催されました。2016-2025の10年計画が示されたこの会議の開催は、北極研究における日本のプレゼンスを大きく示すことができたイベントでした。このことについても、また後ほど記すことになるかと思います。日本で開催する国際会議はめっちゃ大切です!前回に続いて2度目ですが、大切なのでエコーします。以上、もっと先の記事の前フリでした(笑)。
 話をICARP IIに戻して、ここで示された12の研究課題のうちのScience Plan 4として ”DEEP CENTRAL BASIN OF THE ARCTIC OCEAN”が立てられて、連携した北極海観測を実施する重要性が示されました。IPY 2007-2008の観測はICARP IIの中でも重要な位置を占める観測・研究活動でした。さらには北極海における統合された観測システムを構築するというiAOOS (Integrated Arctic Ocean Observing System) が提案されていました。IPYでの各国連携による北極海観測への機運が高まっていくなかで、2007年2008年のIPYの観測に入っていきます。 

 2007年は北極海の観測研究にとって(そして私の観測研究人生にとっても)特別な年でした。IPYの1年目でもありましたが、何より北極海の夏季海氷面積がこれまでの最小値を大きく下回り、1990年代後半に比べて60%程度にまで減少した年でした(v)。そしてその兆候は4月のNPEOでの観測から見られていました。ここからはNPEO 2007とそれに関係する話を書きます。
 2007年4月10日。いきなり私事で申し訳ありません。実はこの日は二人の娘の幼稚園の入園式の日でした。朝から幼稚園の入園式に出た…その足で荷物を持って駅に向かい成田空港行きに乗り(子どもたち、ごめんね)、飛行機に乗って日本を出発!相変わらずのバタバタ...。翌11日にいつものように(Ⅲー1の余談で記したように)カナダのレゾリュートに入って北極点付近でのブイ設置の準備を始めました。
 準備は順調だったのですがが、この年は天候・海氷状況が悪く、なんと北極点付近に設営された氷上キャンプ(Barneoキャンプ)の海氷に割れた、大きなクラックが入ってしまったとの連絡。このように北極海の海氷・氷盤が割れることはときどき起こることではあるのですが、この年はもともと海氷の厚さが薄く、例年だと2m以上あるはずの厚さが1m前後しかありませんでした。氷上キャンプ自体は少し場所を移して対応できたのですが、再びクラックが生じてしまいます。特に氷上キャンプとの行き来に使う飛行機が発着するための滑走路にできたクラックが問題でした(図3)。飛行機の発着には適切な長さと厚さを持つ氷盤が必要なのですが、それが見つけられず、結局本来必要としていた長さの滑走路が準備できなくなる(短い滑走路で運営する)ことが決まったのが4月21日。短い滑走路しかないためにいつもより小型の飛行機でしかBarneoキャンプに行けないことになりました。その結果、NPEOで予定していたいつも使っていたカナダ側の飛行機は使えなくなり、予定は大幅縮小。JAMSTECのブイ設置を含むNPEOの多くの観測作業が直前にして中止になってしまったのです。JAMSTECとしては2000年から続いていたNPEOでのブイ観測がここで一旦途切れてしまいました...。

Figure3
図3.NPEOの氷上キャンプの滑走路に入ったクラック。NHKスペシャル「北極大変動」『第1集 氷が消え悲劇が始まった』(vii)から。

 このとき、実は…日本からNHKのプロデューサーさん(以下Nさんとします)とカメラマンさんがノルウェー側を経由してBarneoキャンプに向かい、北極点付近の海氷上で私たちと合流して現場の様子や観測作業を撮影・取材することになっていました。北極の海氷減少が温暖化の影響として注目され始めたところで、その状況を現地での取材を通して伝える番組を作ろうとされていたのです。日本人研究者も北極海の海氷上で頑張っている様子を伝えることも番組の目的の一つでした。
 そのときの状況を振り返ります。Nさんたちがノルウェーのスバールバル諸島のロングイヤービンから氷上キャンプへ向かう計画で現地に入ったのが4月10日。しかし私たちカナダ側と同じように天候と海氷状況の悪化のため10日以上待たされ、何とか飛んだ飛行機に乗りBarneoキャンプに到着したのが4月21日。Nさんは早速衛星電話を使って、北極点近くの氷上キャンプからカナダ側(レゾリュート)にいる私に連絡をくださいました。電話が繋がり、Nさんから『ようやく氷上にくることができました。真っ白の世界、すごいですね』の言葉。それに対してレゾリュートにいる私が返した言葉が…、『すみません、JAMSTECの観測が中止になりました。私はそちらには行けません』…だったのです。私の人生で最大のドタキャン。たぶん今後もこれ以上のドタキャンをすることはないでしょう。Barneoキャンプに着いたばかりのNさんたちが、衛星電話越しに”絶句”していることが分かりました。違う意味で真っ白になったかも...。言葉を失う…って、こういうことなんだ...。申し訳ないことこの上ないですが、私も何もできず。Nさんも了承せざるを得ず...。そのあとNさんたちは、先に連絡をとっていた(そして何とか現地に行けた)米国やロシアの研究者を通じて、北極点の海氷上に行き、例年よりも薄い海氷状況やクラックがあるBarneoキャンプの様子などを記録・取材されました。ただ予定していた日本人研究者(私です)がいなかった....。残念、無念。レゾリュートから行き先がなくなった私の方も気を取り直して機材や道具(使われなかった)を片付け、夏のポーラーシュテルン号での観測作業に向けた輸送の手配をし、失意の中で帰国しました。何もせずに帰るのは、かえって疲れますよねぇ。ぐったり...。
 Nさんたちは、NPEOのあと、ノルウェーなどで他の取材をされ、そして帰国されました。帰国後お会いした際にNさんには心の底からのお詫びをしましたが、私の力では(誰の力でも)どうしようもなかったですねぇ。海氷の怖さを改めて実感したところでした。そして、予定していた番組をどうするのかを話し合い、私たちに何ができるかを考え、今回のNPEOの代わりになるかどうかはともかく、夏のポーラーシュテルン航海で(素人ながら)できる限りの映像や記録を私が撮ってくることを約束した次第です...。翌年5月にNHKスペシャル「北極大変動」が放送される(vii)のですが、その放送に至るまで、まだまだ長い話があります。

 IPYの1年目である2007年のJAMSTEC北極研究グループは、みらい北極航海はなかったのですが、代わりにカナダ砕氷船航海(ルイ・サン・ローラン号とローリエ号)へ参加もあり、ポーラーシュテルン号の航海には私が一人で参加することとなりました。AWIの研究者と協力して海洋・海氷観測とともにブイの設置を行います。ちなみにこの航海は、北極研究としてはIPYの航海でしたが、合わせてGEOTRACESと呼ばれる全球の物質循環、特に微量金属や同位体の分布や流れを明らかにする国際プログラムの航海としても行われました。GEOTRACESの概要や日本の取組みについては、参考(vi)をご参照ください。これにより、AWIとJAMSTECが海洋物理と海氷に関する観測研究を受け持ち、GEOTRACES関連でオランダのNIOZ (オランダ王立海洋研究所)を始めとする欧州各国の研究者が生物地球化学を担当するとても楽しみな国際的な観測となりました。NIOZの研究者たち、とても愉快な楽しい人たちでした。
 2007年のポーラーシュテルン号北極航海は、7/28にノルウェー・トロムソから始まりました。2005年のヒーリー号での北極横断航海を終えたトロムソから出発。ちょっと感慨深いです。そこから北極海での観測をして10/7にドイツ・ブレーマーハーフェンに戻ってくるまでの72日間の航海でした。私が日本を出発したのは7/26で、帰国したのが10/10。ですので、日本を離れていた期間で言うと77日間の出張。その間、日本人は一人だけ。もはや中期海外滞在と同じ感じでしたね。無事にトロムソにつき、送った荷物も確認でき、AWIの研究者と会えてポーラーシュテルン号に乗ってからは、基本的に英語とドイツ語の生活。でも日本への連絡・メールなどで日本語を使いますし、周りのみんなが日本語に興味を持ってくれていたので、ちょくちょく日本語を使っていました。とは言え、良い語学の勉強になりました。この航海が終わる頃にはドイツ語で挨拶程度はできるようになっていたのですがねぇ、今ではすっかり忘れてしまいましたが...。

Figure 4
図4. ドイツ砕氷船ポーラーシュテルン号2007年北極航海の航跡とCTD観測地点の地図

 図4に2007年ポーラーシュテルン号北極航海の航跡図を記します。図1の右側の赤いTシャツにプリントされた地図と同じ線であることに気づくかと思います。トロムソを出発してからまずは東経34度ラインを北緯84度まで北上し、バレンツ海と北極海アムンゼン海盆を、そして海氷縁を横切る観測をします。そのあと東に進み、本観測のメインである東経82度ラインの海盆横断観測に入ります。Ⅲ-3の図2で示した大西洋側(図の左側)の観測断面図がこの横断観測で得られたもので、ポーラーシュテルン号による観測としては1996年航海の再観測となるものでした。この観測線ではその後も2011年と2015年に観測を行い、そして2023年にも再観測を予定しています。これらのデータから、大西洋側北極海の表層から大西洋水、そして深層水に至るまでの熱・淡水・化学物質などの分布の長期変動を明らかにすることが可能となります。これまでにも90年代以降の大西洋から流入する「大西洋水」や深層水の温暖化や水塊変質について成果が発表されてきました(例えば、viii)。

 この航海の首席は、準備の段階でも(そしてその後も)とてもお世話になったAWIの研究者でした。その観測航海の進め方は、私がこれまでに乗ってきたどの航海とも異なっていて、とてもスマートでした。それまで私が乗船した砕氷船航海では、状況に応じて随時首席と船側と関係する研究者で計画を決めて進めていく形で、掲示板やときどき行われるミーティングで情報共有されていました。海氷状況を確認して、自分の観測作業をするチャンスがあるかどうかは、自分で首席の意向を随時確認する必要がありました。しかし2007年のポーラーシュテルン号航海では…毎日午前9時に全員でミーティングが行われます。そのミーティングでは最初に気象・海象・海氷状況の現状と今後の予報が気象担当から説明されて、そのあと首席から今日の予定と今後の計画が話されました。議論が必要な場合はこのミーティングで話し合い、刻々と変わる状況に合わせた要望や実施内容を乗船者みんなで共有するやり方に、とても感心したことを覚えています。このやり方は、2009年に私が「みらい」北極航海の首席研究者を務めることになった時に「みらい」航海にも持ち込みました。「みらい」での情報入手時間の関係からミーティングの時間は16時になりましたが、ほぼ同じやり方で航海を進めていきました。その後の「みらい」北極航海でもこのやり方を取ることが多く、2007年のポーラーシュテルン号航海から学んだ大きな財産だったと思っています。
 ポーラーシュテルンでの船内の生活は、私にとってはとても快適なものでした。船内生活が快適かどうかを決める重要な要素である食事について、若干ポテトが多いものの、私の口にとても合っていました。ときどきジビエ料理も出たりして、楽しかったです。船の食事にとてもとても満足できたので....、念のために持ってきたカップ麺(番外編①参照)はあまり美味しく感じませんでした。やっぱり、カップ麺はカップ麺でした。前と言っていることが違う。2005年のときは特別だったということで(笑)。
 ポーラーシュテルン号では飲み物や日用品は船内で購入することができました。曜日ごとに売るものが決まっていて、月・木はSoft drink、火・金はHard liquor、水は日用品となっていました(もしかしたらSoft drinkとHard liquorは逆だったかもしれないけど、まぁご容赦を)。おもしろかったのは….チョコレートはHard liquorの日に売られていたこと。そして、ビールはSoft drinkだったこと、でした。さすがドイツ。ビールはソフトドリンクですよ! この航海の間、私は主にブレーメンにブリュワリーがあるBecksというビール🍺を買って、ハムやチーズとともに楽しみました。私のワッチ(観測担当時間)が午前/午後の0:00~4:00だったのですが、いつも午前4時に観測担当時間が終わったあとに誰もいないキッチンに行き共用冷蔵庫からチーズとハムを取って、ベックス🍺を飲んでから寝るのが一日の終りの儀式でした。もう最高でしたね! ビールはソフトドリンクです!(ポーラーシュテルン船上の話です…笑)。

Figure5
図5.北極域における2007年9月20日の海氷分布と、8-9月の平均気圧配置

 さて改めて2007年9月の海氷状況と気圧配置を図5に示します。北極海の海氷減少の要因には、温暖化に伴って海氷が溶けたり、凍る量が減ったりすることも大事なのですが、特に2007年は海氷が北極海から流出したことが重要でした。図5の等値線は2007年8月の気圧配置を示していますが、シベリア側が低気圧、カナダ側が高気圧となっており、その間はシベリア・太平洋側から大西洋に向かって風が強く吹く状態でした。この気圧配置は北極海上の一般的な配置ではあるの ですが、特に2007年はその傾向が顕著でした。Ⅲ-3の図7でも示した傾向(ix)がシベリア側の海氷縁を北に押し上げたのです。

 2007年9月2日、私たちを乗せたポーラーシュテルン号は北緯88度付近にいました。北極点まではあと250km程度のところです。4月には来ることができなかった北極点近くの海域。Nさんがノルウェー側から何とかたどり着き、取材をしたところ。ここで私はヘリコプターに乗って、海氷上にブイを展開し、海洋観測を行う予定でした。なんだか海氷がもろいなぁと思いながらヘリコプターに乗り、ポーラーシュテルン号を飛び立って、観測に適した大きめの氷盤を探したのですが...。図6の4枚の写真を見てください。その時に撮影した海氷状況です。

F6
図6.2007年9月2日の北極海の海氷状況。上から順に、北緯87度49分、北緯87度32分、北緯87度16分、北緯86度02分。

 北緯88度から86度のあたりをヘリコプターが降りることができる氷盤を探して飛んでいたのですが、どこも溶けたり砕けたり薄氷ばかりだったりで、なかなか適当な厚い氷が見つかりませんでした。番外編①で示した2005年ヒーリー号航海のときはこのあたりは厚い氷に覆われていた(例えば番外編①の図5のブイ設置地点の写真)のですが、2007年9月の北緯86度付近には「みらい」でも航行可能な薄氷しかなかったのです。これは衝撃的でした。
 このような海氷状況は、ポーラーシュテルン号の航行を楽にしました。砕氷が簡単でスイスイと航行できたのです。私たちは当初予定を変更して観測海域をカナダ側に伸ばし、カナダ側の北緯85度付近まで行って観測・試料採取をすることができました。北極海を広くカバーできたことは大きな収穫でした。一方で海氷上に降りて行う観測は大変でした。とは言え海氷が溶けていく状況を、ドイツの研究者と一緒に調べたのは楽しい経験でした。
 今回の航海では大西洋側北極海を広くカバーする観測ができたのですが、観測地点の中で個人的に面白かったのは北極海の最深地点で観測できたことです。北緯81.2度、東経121.3度付近。ナンセン・ガッケル海嶺のシベリアよりの公海域にある窪地は水深約5300mある北極海で最も深いところです。翌年2008年航海でも行くことになりますが、ここでCTD観測をして北極海で最も深い観測データを得たことは、とても楽しかったです。まぁ4000m以深の水温や塩分はほぼ一定だったのですが、測ってみないと分からないですしねぇ。GEOTRACESとしては何らかの地球化学的に特徴のある観測結果が得られるのではないかと、オランダの研究者と楽しみにしていたのですが、残念ながら普通の北極海の深層水でした。測ってみないと分からないことはなので、仕方なしです、はい。
 今回の航海にはロシア人研究者も乗っていました。ちなみに彼はこのあと2009年の「みらい」北極航海にも乗ります!4月のNPEO氷上キャンプでも一緒に観測をする研究者でもあり、私たちの観測実施にとても力になってくれました。今回の航海では彼の多大なる協力もあり、ロシアEEZ海域であるラプテフ海での観測も行うことができました。シベリア三大河川(オビ川・レナ川・エニセイ川)の影響が見られる海域での観測、塩分がとても低かった。貴重なデータを得ることができました。 

 9月23日に行ったラプテフ海での観測で本航海での観測作業を終え、このあとはドイツ・ブレーマーハーフェンに向けて戻ります。ロシア側の北極航路の要所でもあるヴィリキツキー海峡を通過。ユーラシア大陸最北端であるチェリュスキン岬を海側から眺める。ロシアの建物が見えた。ちょっとした緊張感…(笑)。ちなみに翌年のポーラーシュテルン航海でもヴィリキツキー海峡を通過した。そのときは凍りはじめの薄氷に覆われていて、きれいな風景が見られた。図7にその時の写真をつけますね。薄く小さな蓮葉氷(pancake ice)に覆われて、海表面には見えなかったです。太陽の光がまたいい感じで、幻想的な雰囲気でした。

Figure7
図7.2008年ポーラーシュテルン航海で撮った凍りはじめの海の写真。場所は本文を参照してください(笑)。海水面のように見えないのは、薄く小さな蓮葉氷(pancake ice)に覆われたためです。

 その後、カラ海、バレンツ海を通り、一路ドイツに向かいます。ちょうど10月初旬に誕生日を迎えた研究者がいて、航海・観測の無事終了を祝う意味も含めて、研究者みなでパーティーを行おうとしました。そこで各国の研究者がいるのだからそれぞれ誕生日のお祝いのための曲をみんなで持ち寄って流そうということになったのですが、私がそこに提供したのはDREAMS COME TRUEの有名な誕生日を祝う曲でした。そしたら取りまとめをしていたドイツ人研究者がこの曲をいたく気に入ってくれて、この曲をパーティーの最初に流してくれたのです。そしてそのあとも何度も何度も流してくれました。2度目や3度目になるとみんな歌えるようになって….ポーラーシュテルン号のバーで、いろんな国の人が集まった中で、ドリカムの大合唱。ちょっと震えが来るくらい感動しました。さらに余談ですが、実はこの船には日本語が分かる研究者が私以外にもう一人だけいました。彼女はフランス人の研究者なのですが、JAMSTECに来たことがあり、JAMSTECの船にも乗ったことがある研究者でした。ドリカムも知っていましたし、なによりTHE BLUE HEARTS も大好きで、….そのあと彼女と THE BLUE HEARTSの曲をかけて一緒に歌って、….それはそれは楽しいパーティーでした(笑)。ちなみに彼女は数カ月後にJAMSTECにまた短期滞在で来ました。JAMSTECのカフェテリアでばったりあったりして….。話が発散するので、ここでやめます。閑話休題。

F8
図8.ブレーメンの音楽隊の銅像

 ノルウェー沿岸を南下。ヨーロッパの沿岸近くになるとときどき携帯電話がつながって、久しぶりに日本とも話ができました!そして10月7日、ブレーマーハーフェンに到着、下船。72日ぶりの陸上。日本に送る荷物を確認し、AWIの方々にお礼を言い、ブレーメンに移動しました。ブレーメンと言えば、ブレーメンの音楽隊。街を散歩して、銅像(図8)を見つけた。あとブレーメンの街にはなぜか豚飼いの銅像があったりして、いろいろ見て回ったことが楽しかったです。そして夕食として…ポーラーシュテルン船上でとてもお世話になったBecksのブリュワリーに行き、ビールと食事を楽しみました。船上でも美味しかったけど、久しぶりのレストランでの食事とビールは格別でした、はい。
 ブレーメンからフランクフルトに移動し、そこから日本へ。そして自宅に戻ったのが、10月10日。4月のNPEO出張では何もできずに帰ってきたのですが、今回は(ちょっとしたトラブルはあったものの)衝撃的な現場に立ち会い、そして貴重な観測を実施できたことに満足して戻ってくることができました。いま思い返しても、良い航海だったと思います。

 帰国後しばらくすると、NHKのNさんから連絡が入りました。夏の間にNさんたちのほうもグリーンランドやスピッツベルゲンで取材をされていたとのこと。私が北極海観測をし、Nさんたちが陸上で取材を続けられていた間に、北極海の海氷面積は最小値を更新し、日本のみならず海外でもそのことが大きく取り上げられました。どうしてこうなったのか、現場のデータや映像から伝えたい!…ということで、改めて2008年6月頃の放送を目指して撮ってきたものをまとめていくことになりました。温暖化の影響が北極で顕著に見られている。「北極の氷が溶けた」「凍りにくい海になった」そして「出ていった」ことを現場の映像とともに伝えようと。研究成果を取り上げてもらえることは本当にうれしいことです。加えて、私がポーラーシュテルン航海で撮った映像も使っていただけることとなりました。プロのカメラマンさんに「これは使える」と言ってもらえたのは、めっちゃうれしかったです。
 その後改めてちゃんとした取材を受け、資料をお渡しし、いくつかやり取りをしました。そして2008年5月25日と26日の2夜連続の形でNHKスペシャル「北極大変動」が放送されました。私たちの観測・研究を取り上げてもらったのは5月25日の第1集「氷が消え悲劇が始まった」のほう。2007年4月と9月に北極点近くで撮影された海氷の現場の様子と、なぜ北極の海氷が減っているのかについてを伝えました。加えてノルウェーの研究者に取材されたお話、雪・氷が減って生きていくことが困難になりつつあるホッキョクグマの話が流されました。翌26日第2集「氷の海から巨大資源が現れた」では温暖化が進む北極での資源開発の様子が伝えられ、ともに大きなインパクトを与えました。大きな反響のおかげで、この番組は書籍化とDVD化されました。Ⅲ-3にも書きましたが、今でも見ることができる、いろいろな示唆に富んだ番組だと思います。こういうことに協力できたことを、とても誇らしく思いました。…あと余談ですが、この番組を見て両親や親戚が喜んでくれたこともうれしかったですねぇ。メディアの力ってやっぱりすごいです、はい。

Figure 9
図9.ポーラーシュテルン号による2008年北極航海の航跡図(Cruise reportより引用)

 幸いなことに(そして当初計画通り)私はポーラーシュテルン号には翌年2008年にも乗船し、海洋・海氷観測をし、ブイの設置をし、貴重なデータを得ることができました。2008年の観測は、2007年の経験もあったのでとても順調に進められました。今回の出発港は、アイスランド・レイキャビック。8月10日に日本を出発し、アイスランド入り。AWIの研究者と合流し、8月12日にポーラーシュテルン号に乗船、出港。まずはグリーンランド南端を回り、カナダ多島海を抜けて北極海に入ったのが8月24日。その後カナダ海盆を横切り、西経160度から東経170度付近の海域を重点的に観測したあと、9月19日からは北緯81度線を西に進みながら海洋・海氷観測を行いました。10月3日に北極海最深点で観測をしたあとラプテフ海に入り、10月6日にヴィリキツキー海峡を通過(図7)。ブレーマーハーフェンに戻ったのが10月17日でした。図9はCruise reportに書かれた航海の航跡図です。みなさん最初はそれぞれの国からアイスランドに移動しているので….つまり、世界一周みたいな航海だったわけで、『70日間世界一周』と言って、みなで楽しんでいました。まぁ地球儀の上の方の狭いところでの話ですが…(笑)。この航海も詳しいことを書き出すといろいろとあるのですが….2007年のことを書いているだけでめっちゃ長くなったので、2008年は概要だけにします。すみません。

 という感じで、自立期と称したこの10年に、JAMSTECの北極研究としても、私個人としても、さまざまな経験を重ねて、それなりに研究成果を出すことができ、幸いなことにそれなりに世の中にも発信し注目してもらえることができました。それは北極域が温暖化の影響が最も顕著に現れる地域だったことで注目されたからなのですが、これまでに私たちが観測・研究活動を続けていたからだとも言えます。1990年からの積み重ねのおかげですね。これまでの観測・研究を実施してきた、そして支えてくれたみなさんに改めて深謝です。
 このあとJAMSTECとしては、2009年からの第2期中長期計画の期間に入り、北極海の研究は新しい体制のもとで行われるようになります。国際的な北極研究としては2007-2009年のIPY期間を経て、さらなる共同・連携が進められるようになります。そして日本として北極研究プロジェクトを実施していく時期に入ります。そのあたりを『発展期』として記していこうと思います。

番外編だと思い、気の向くままに書いていたら、めっちゃ長くなってしまいました。失礼しました。それでは、また!

参考文献/References

  1.  International Polar Year (IPY) 2007-2008 website.  http://www.ipy.org/ (参照:2023-01-06)
  2. World Meteorological Organization, International Polar Year 2007-2008 website.  https://public.wmo.int/en/bulletin/international-polar-year-2007-2008 (参照:2023-01-06)
  3. ACIA, Impacts of a Warming Arctic.  Arctic Climate Impact Assessment.  Cambridge University Press. 2004.  https://www.amap.no/documents/doc/impacts-of-a-warming-arctic-2004/786 (参照:2023-01-06)
  4. IASC(International Arctic Science Committee: 国際北極科学委員会) ホームページ、The Second International Conference on Arctic Research Planning (ICARP II) - 2005.  https://icarp.iasc.info/past-icarps/icarp-ii (参照:2023-01-06)
  5. JAMSTEC・JAXA共同プレスリリース「北極海での海氷面積が観測史上最小に -今後さらに予測モデルを大幅に上回る減少の見込み -」(2007年8月16日) https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20070816/ (参照:2022-12-23)
  6. GEOTRACES Japan 海洋の微量金属・同位体による生物地球化学研究 ホームページ. https://www.jodc.go.jp/geotraces/index_j.htm (参照:2023-01-06)
  7. NHKスペシャル「北極大変動」 『第1集 氷が消え悲劇が始まった』https://www.nhk.or.jp/special/detail/20080525.html 『第2集 氷の海から巨大資源が現れた』 https://www.nhk.or.jp/special/backnumber/20080526.html (参照:2023-01-12)
  8. Rudels, B. and E. Carmack (2022).  ARCTIC OCEAN WATER MASS STRUCTURE AND CIRCULATION.  Oceanography, 35, 3-4, 52-65, https://doi.org/10.5670/oceanog.2022.116
  9. Inoue, J. and T. Kikuchi (2007).  Outflow of Summertime Arctic Sea Ice Observed by Ice Drifting Buoys and Its Linkage with Ice Reduction and Atmospheric Circulation Patterns.  J. Meteorol. Soc. Japan, 85, 6, 881-887, https://doi.org/10.2151/jmsj.85.881.

PAGE TOP