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2015年 2月 24日
独立行政法人海洋研究開発機構
国立大学法人東京工業大学
公立大学法人横浜市立大学
国立大学法人東京大学
1.概要
独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」という。)海洋生命理工学研究開発センターの布浦拓郎主任研究員らと国立大学法人東京工業大学、公立大学法人横浜市立大学、国立大学法人東京大学の共同研究グループは、世界最深の海であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵内の超深海(水深6000m以深)水塊(水温や塩分などの特性が比較的均質な海水の広がり)中に、上層に拡がる深海水塊とは明瞭に異なる微生物生態系、即ち、独自の超深海・海溝生命圏が存在することを世界で初めて明らかにしました。
超深海の海溝環境における微生物調査の歴史は1950年代に遡りますが、これまでの研究は主に海底堆積物を対象としており、海溝内水塊は未探査の海洋微生物生態系として残されていました。このため研究グループでは、2008年6月、KR08-05航海にて、チャレンジャー海淵中央域(11°22.25’N, 142°42.75’E, 水深10300 m)において、海洋表層から海溝底直上(水深10257m)までの海水試料を大深度小型無人探査機 「ABISMO」により採取し、分子生態解析、化学解析を展開しました。
その結果、海溝内超深海層と上方の深海層(水深4000~6000m)では、塩分、温度、栄養塩濃度等の物理化学環境からも、また微生物数にも明瞭な違いが見られないにも関わらず、超深海の微生物群集構造は、深海層の微生物群集とは明瞭に異なり、従属栄養系統群(※1)が優占することが明らかになりました。このことは、超深海環境特有の有機物源に依存する微生物生態系が超深海で発達していることを示唆しており、海洋微生物生態系像に全く新たな知見をもたらすものです。
マリアナ海溝は他の海溝から独立しているため、他の海溝からの有機物流入など、上層水塊と完全に異なる有機物源の存在を考えることは困難です。従って、今回発見された海溝水塊独自の生態系は、いったん海溝斜面に堆積した有機物が、地震等による海溝斜面の崩壊に伴って放出される現象に支えられている、即ち、超深海・海溝生命圏は、海溝地形を形作る地球活動に支えられた生態系であると考えられます。
なお、本研究の一部は、日本学術振興会の科研費24370015の助成を受けて実施したものです。本成果は、米国科学アカデミー紀要「Proceedings of the National Academy of Science」に2月24日付け(日本時間)で掲載される予定です。
タイトル:Hadal biosphere: insight into the microbial ecosystem in the deepest ocean on Earth
著者:布浦拓郎1、高木善弘1、平井美穂1、島村繁1、眞壁明子1,2,3、小出修1、菊池徹4、宮崎淳一1、木庭啓介2、吉田尚弘3、砂村倫成5、高井研1
1. 独立行政法人海洋研究開発機構、2. 東京農工大学、3. 東京工業大学、4. 横浜市立大学、5. 東京大学
2.背景
超深海環境(水深6000m以深)に棲息する微生物を対象とした研究は1950年代より開始され、主に堆積物や動物体内からの単離培養が行われてきました(Bartlett 2009)。また、分子生態解析の普及当初には、無人探査機「かいこう(初代)」がマリアナ海溝底から採取した堆積物を対象とした解析が、JAMSTEC研究者により試みられています(Kato et al.1998)。また、近年では、JAMSTEC研究者を含むグループによる、マリアナ海溝底堆積物では近傍深海底に比べ微生物活動が盛んであるとする発見(Glud et al. 2013)(2013年3月18日既報)や、小笠原海溝底での物質循環に関与する微生物活動が報告されています(Nunoura et al. 2013)。しかし、超深海・海溝水塊の微生物生態研究は、依然として全く未踏の研究対象として残されていました。
一方、海洋水塊中の微生物生態系像は、近年、著しく変貌しています(図1)。従来の海洋水塊中の微生物生態系とは、海洋表層で珪藻やシアノバクテリア等が行う光合成により生産された有機物が、微生物や動物プランクトンに分解されつつ沈降し、最終的には深海域の生命圏を支えるというものでした。即ち、深海水塊に棲息する微生物の殆どは従属栄養生物であると認識されていました。ところが、近年の研究は、海洋表層で生産された有機物の分解等に伴って生じるアンモニアや硫黄化合物をエネルギー源として炭素固定(※2)を行う微生物が、深海水塊中の微生物生態系において、相当程度優占することを示唆しています。即ち「暗黒での炭素固定」を行う化学合成生物群が深海水塊において重要な役割を果たしており、海洋表層で生産された有機物はただ分解されて沈降するのではなく、有機物の分解と合成を繰り返しながら海底に至るという新しい生態系像が構築されつつあります(布浦・木庭 2014a;横川 2014)。特に、炭素固定能を有す系統群の代表格であるアンモニア酸化アーキアは、深海水塊中微生物の数十%を占めることがあり、また、エネルギー源となるアンモニアの供給量に応じて各アンモニア酸化アーキア系統群が棲み分けていることも指摘されています(布浦・木庭2014b)。
本研究では、この新たな生態系像を体系的に確認するために、海洋表層から海溝底直上までの海水試料について、無機化学分析を行うと共に、微生物群集構造を微生物・ウイルス計数、培養評価という伝統的手法と、分子生態解析技術を駆使して比較検討し、超深海・海溝水塊の微生物生態系を世界で初めて明らかにしました。
3.成果
本研究では、マリアナ海溝チャレンジャー海淵中央部(図2)において、海洋表層から超深海・海溝底直上(水深0-10257m)まで50〜1000mおきに採水した試料を対象に、無機化学解析、微生物・ウイルス数計数、分子生態解析を展開しました。栄養塩濃度や微生物・ウイルス数には、深海層と超深海に違いが観察されません(図3)。しかし、微生物群集構造解析からは、中深層から深海層にかけて、炭素固定能を有す化学合成系統群が優占するのに対し、超深海水塊には、従属栄養系統群が優占することが明らかになりました(図4)。更に、有機物分解により生じるアンモニアをエネルギー源とするアンモニア酸化菌、アンモニア酸化で生じた亜硝酸をエネルギー源とする亜硝酸酸化菌とも、深海層と超深海層では、優占するグループに変化が生じることが示されました(図5)。これらの観察結果は、超深海・海溝内水塊に、上層の深海層とは異なる有機物の供給源が存在し、その有機物に強く依存した生態系が成立していることを示すものです。
深海への有機物供給には、(1)当該海域海洋表層での日光に依存した光合成による一次生産(炭素固定)に由来する沈降有機物、(2)深海の潮流により他海域から運ばれた沈降有機物、そして、(3)堆積物から懸濁された有機物が考えられます。マリアナ海溝は他の海溝からは独立している為、(2)のような超深海独自の潮流による有機物供給はありません。また、(1)の海洋表層からの沈降有機物に単純に依存するならば、海溝の沈み込み深度である水深6000m付近を境界として、深海層と超深海・海溝とで異なる生命圏が存在していることの説明がつきません。従って研究グループは、他の状況証拠とも併せ(3)に示される海溝地形故に生じる地震等に起因する海溝斜面の崩壊と、それに伴う堆積物からの有機物放出が海溝内水塊中の微生物生態系を支えていると結論づけました(図6)。即ち、超深海・海溝生命圏は、海溝地形を形作る地球活動に支えられた生態系であると考えています。
なお、深海斜面における地崩れが深海水塊微生物生態系へ影響を及ぼす現象は、既に東日本大震災に伴う現象としても観察されており(Kawagucci et al.2012)(2012年2月17日既報)、そこで観察された微生物相の変化も、今回、超深海・海溝生命圏で観察された微生物群集構造の変化と類似の傾向を示していました。このことも、今回提唱する超深海・海溝生命圏成立メカニズムに関する仮説を支持するものです。
4.今後の展望
今回観察された現象は、頻度を考慮すると、斜面崩壊等により堆積物から放出された有機物が、周辺相当程度の長期間、広範囲にわたり、ある程度物理的に隔離された海溝環境において水塊中の微生物生態系に影響を与えうることを示唆しています。超深海・海溝生命圏形成メカニズムは、自然現象だけでなく、海底資源開発等、人為的要素による海底環境攪乱に伴う堆積物からの有機物放出の深海環境へ与える影響の程度、範囲等を考える上で、非常に重要な知見であると考えられます。
研究グループでは今後、有機化学分析等を加えた更に学際的な研究により、今回の調査結果を検証していくことで、超深海・海溝生命圏が、堆積物から放出される有機物に支えられた生態系であることを、より直接的に証明する予定です。さらに、今回の調査で強く示唆された超深海・海溝生命圏を支える仕組み、そして微生物生態系が、海溝環境共通の現象であるのかどうか検証するため、マリアナ海溝だけでなく他の海溝環境においても調査・研究を展開していきます。
※1従属栄養生物 生育に必要な炭素を得るために有機化合物を利用する生物を従属栄養生物といい、動物・菌類の全て、バクテリア・アーキアの多くもこれに属する。従属栄養生物は炭素を固定することができないので、他の生物が合成した有機化合物を得なければならない。これに対し植物は独立栄養生物である。
※2炭素固定 植物や一部の細菌が光あるいは化学エネルギーを用いて、取り込んだ二酸化炭素から有機化合物を生産(固定)すること。前者を光合成、後者を化学合成という。
参考文献
図1 従来の深海微生物生態系像(左)と、近年の知見を反映した深海微生物生態系像(右)の比較
現在の深海微生物生態系像では、有機物分解によって生じた還元的な物質(アンモニア、硫黄化合物等)をエネルギー源とする化学合成生物が重要な構成者として認識されている。
図2 マリアナ海溝チャレンジャー海淵の海底地形
赤丸が調査地点を示す。NOAAのデータを基にJAMSTECで作成
図3 マリアナ海溝チャレンジャー海淵水塊の物理構造(A)、化学プロファイル(B)、微生物・ウイルス粒子量(C)
図4 マリアナ海溝チャレンジャー海淵上の微生物群集構造
SSU rRNA遺伝子タグ解析により示す。中深層から深海層ではアンモニア酸化アーキアを初めとする炭素固定能を有す系統群が優占するが、超深海・海溝水塊では、従属栄養系統群(Bacteroidetes、SAR406、Gammaproteobacteria)が優占する。
図5 マリアナ海溝チャレンジャー海淵上における硝化菌(アンモニア酸化菌・亜硝酸酸化菌)群集の組成変化
この海域から検出されたアンモニア酸化菌(アンモニア酸化アーキア系統群及びBetaproteobacteriaに属すアンモニア酸化バクテリア)、亜硝酸酸化菌(Nitrospina及びNitrospira属)について、遺伝子レベルでの定量解析を行い、それぞれの系統群の各深度における分布量を割合で示した。なお、エネルギー物質(電子供与体)に対するそれぞれの系統群の好みを高濃度側から並べるとアンモニア酸化菌では、Betaproteobacteria > Group D > Group A > Group Bの順に、亜硝酸酸化菌では、Nitrospira > Nitrospinaとなると考えられている。
図6 超深海・海溝生命圏のモデル図