南極観測船「しらせ」に帰還するヘリコプター

がっつり深める

2度目の南極

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JAMSTECの研究活動の魅力の一つは、フィールドワークです。
研究者たちは、地球上のどんな場所に行っているのか。なぜその場所の観測が必要なのか。
“My Field”での体験、感じたこと、魅力などを研究者に語っていただくことで、海洋や地球、生命研究がどのように行われているかお伝えします。

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昭和基地

JAMSTECにおいて過去の気候変動の解明や北極で進行している環境変動の観測を続けてきた原田尚美センター長は2018~19年、27年ぶりに南極地域観測隊に参加、第60次の副隊長・夏隊長として再び南極の地を踏んだ。なぜ南極での観測が重要なのか。南極の魅力とは──

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原田 尚美

JAMSTEC 地球環境部門 地球表層システム研究センター センター長
はらだ・なおみ。北海道生まれ。博士(理学)。名古屋大学大学院理学研究科大気水圏化学専攻博士後期課程満了。1995年、JAMSTEC(海洋科学技術センター)研究員。2019年より現職。専門は生物地球化学。

2度目の南極

──南極を初めて訪れたのはいつですか?

原田:大学院博士課程1年生のときです。第33次南極地域観測隊夏隊(1991~92年)に参加して昭和基地に1ヵ月半、滞在しました。そのときは生物医学班の一員として、海洋生物の試料を採取したり、観測隊が継続的に実施しているモニタリング観測としてヘリコプターから特定エリアのペンギンとアザラシの種類と数を数えたりしました。

──南極はどんなところですか。

原田:夏の昭和基地は、それほど寒くないんです。札幌の冬と同じくらいで、セ氏でプラスの気温になることもあります。太陽は1日中沈みませんが、夜になると薄暗くなって、条件がよいと地球影も見えます。野外で観測をしているとペンギンなどがやって来ます。

──今回、再び訪れた南極の印象は?

原田:昭和基地は建物が増えて、すっかり変わりました。でも、昭和基地という木の看板がある19(いちきゅう)広場は昔と一緒でした。私が最初に行った第33次では、約40人の越冬隊に30人弱の夏隊という構成でした。今回の第60次は、31人の越冬隊に夏隊40人と夏隊同行者29人が加わり、総勢100人と過去最多でした。夏の期間にしかできない観測や建物の建築・補修作業があり、忙しさは昔と変わらない印象でした。

──最初のときは、日本の南極地域観測隊に参加した2人目の女性だったそうですね。

原田:当時は隊のなかで女性は私1人だけでした。今回は同行者も含めて14人と、過去最多タイの人数の女性が参加しましたが、それでも全体の1割強です。海外の観測隊は2~3割を占めるので、もっと女性が増えてほしいですね。

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第33次夏隊(1991~92年)に参加した原田さん。

南極の氷床を監視する

──なぜ南極で観測する必要があるのですか。

原田:地球上で最も寒く汚染が少ない南極だからこそ、地道な観測を続けることで、地球環境の変動について分かることがたくさんあります。60年以上の日本の南極観測のなかで、たとえばオゾンホールの発見は、大きな成果の1つです。

──地球温暖化などの影響は南極にも表れているのですか?

原田:JAMSTECで私たちは北極での観測を続けています。北極では海氷面積や体積が著しく縮小するなど、温暖化の影響がいち早く表れています。それに比べて南極は大きな影響がまだ表れていません。西南極では海に張り出した棚氷が融け出していると報告されていますが、昭和基地のある東南極では目立った変化は見られません。
 北極の海に浮かぶ海氷が融けても海面水位は変化しません。一方、南極大陸の上に載った氷床が融けて海に流れ込むと世界の海面水位が大きく上昇して、海抜の低い島しょ国や沿岸に集中している世界の大都市にとって大きな脅威となります。
 多くの研究者が南極の氷床も融ける可能性があると考えています。東南極では、沿岸にあるトッテン氷河などが、内陸の氷床が海へ流れ込むのを食い止める役割をしています。観測隊ではそのトッテン氷河の下部にどれだけ暖かい海水が流れ込んでいるのか、氷が融けた淡水の濃度に変化があるのか監視する観測を実施しようとしています。
 地球環境に大きな影響を与え得る東南極ではまだ変化が始まっていないからこそ、その変化の始まりを捉えることの重要性がますます高まっていると、今回、再び南極を訪れて感じました。
 北極と南極の関係でいえば、成層圏(高度約10~50km)が注目されています。北極の成層圏が突然1日に数十℃も気温が上昇する現象が生じており、その影響が南極の成層圏にどう及ぶのか明らかにしようという研究が行われています。その地球規模の大気物理のメカニズムを探る国際共同観測の一環として、昭和基地に設置した大型大気レーダーによる観測を行っています。

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「しらせ」による海水採取の様子 ©JARE60

次の氷期はいつやって来るのか、南極のアイスコアから探る

──氷床には気候変動の歴史が刻み込まれているそうですね。

原田:アイスコアと呼ばれる氷床の掘削試料を分析することで、過去の温暖―寒冷の変動を高い時間分解能で推定することができます。現時点で世界で最も古くまでさかのぼれるアイスコアは、78万年前までです。
 現在、いくつかの国際チームが100万年前までさかのぼることができる、さらに長い記録を持つアイスコアを掘削しようと、しのぎを削っています。日本もアメリカやノルウェーと共同で、氷床の厚さを音波で計測して掘削地点を絞り込む調査を行っています。

──100万年前までさかのぼることに、どのような意義があるのですか。

原田:少なくとも80万年分を超える試料をぜひ得たいのです。それは、次の氷期がいつ来るのかを予測する上で重要なデータとなるからです。
 現在は、寒冷な氷期と氷期に挟まれた間氷期の時代です。過去1万年間ほど温暖で安定した気候が続き、人類は文明を築きました。さらに昔の間氷期を調べると、その継続期間は1万年間くらいが多いため、そろそろ次の氷期がやって来るので温暖化は心配ないという人もいます。しかし今回の間氷期は、さらに1万年長く続く可能性があります。
 地球の自転軸の傾きや首振り(歳差)運動、地球が太陽の周りを回る公転軌道が楕円(だえん)から真円へと離心率が周期的に変化することで、太陽と地球の位置関係が変わり、日射量が増減して間氷期と氷期が繰り返されてきたと考えられています。
 前回の間氷期は12万5000年前ごろに1万年間ほど続きましたが、太陽と地球の位置関係は現在とは異なりました。ほぼ同様な位置関係は約40万年周期で訪れます。約40万前の間氷期は2万年間ほどと、ほかの間氷期よりも長く続きました。ですから今回の間氷期も、さらに1万年ほど長く続く可能性があるのです。しかし、これまでに得られている最も古い78万年分のアイスコアには、現在とほぼ同じ位置関係だった間氷期の記録は約40万年前の1回分しかありません。約80万年前の間氷期がどれくらい続いたのか、アイスコアからぜひ知りたいところです。その時代にできた氷床が残っている可能性があるのは南極だけです。

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第60次南極地域観測隊、昭和基地19広場にて。 ©JARE60

南極と観測隊の魅力

──今回、なぜ南極に再び訪れようと思ったのですか。

原田:ぜひ、南極で確かめたいことがあったからです。JAMSTECの北極観測の一環として私たちは、太平洋から北極海へどれだけ海洋生物が流入しているのか調べています。そのために採取した北極海の海水から、共同研究者であった当時筑波大学の学生が偶然、ある特殊な能力を持つ植物プランクトンを発見しました。現在、特許を申請して論文にまとめているところなので、具体的なことは紹介できませんが、人類社会に貢献し得る、とても有益な能力です。
 その特殊能力は、極域の低温の海という極限環境と関係している可能性があります。そうならば、南極の海にも同様の能力を持つ植物プランクトンが生息していてもおかしくないと考え、南極をぜひ調べてみたいと思っていたのです。自分で試料を採取する余裕がないため、今回の第60次夏隊に同行者として参加したJAMSTECの塩崎拓平さん(地球表層システム研究センター 特任研究員)に依頼して南極の海水を採取していただきました。
 その植物プランクトンの件がなくても、私は南極に再び行きたいとずっと思っていました。南極は特別です。うまく説明できませんが、もう一度、行ってみたいと思わせる魅力があるのです。南極地域観測隊に参加した人の多くが、そういいます。
 それは南極という場所とともに、南極地域観測隊の魅力なのかもしれません。4~5ヵ月間、寝食を共にした仲間との時間は濃密です。最初に参加した第33次隊、そして今回の第60次隊もとてもよい雰囲気でした。

──夏隊の隊長として、どのようなお仕事をされたのですか。

原田:昭和基地ではなく、南極観測船「しらせ」でずっと過ごしました。仕事の大半は、昭和基地との物資輸送や観測チームを調査地点に運んだりピックアップしたりするヘリコプターのスケジュール管理です。8つの観測チームが並行して観測を行い、急激に変化する天候によってヘリコプターが飛べない日、時間帯もあります。今年は好天が続かず、誰とどのくらいの物量の観測物資をどのヘリコプターの何便で運ぶのか、複雑なスケジュールの変更を繰り返す毎日でした。
 次はぜひ、一隊員として南極に行きたいですね!

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第60次夏隊(2018~19年)でリーセルラルセン地域を視察する原田さん。 ©JARE60

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