土井威志
気候変動予測応用グループ 研究員
夏本番といったところで暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
今年の前半では、アプリケーションラボのSINTEX-Fと呼ばれる予測シミュレーションや、世界の多くの予測シミュレーションが、この夏から熱帯太平洋でエルニーニョ現象が発生する可能性を示唆していました(例えば季節ウオッチ3月号)。しかし、実際にはこの夏、熱帯太平洋は、ほぼ平年並みで、エルニーニョ現象は発生しておりません。日本に冷夏をもたらしやすいエルニーニョ現象が舞台から去った今、世界の天候に異常をもたらしていると考えられるのが、インド洋で発達中のインド洋ダイポールモード現象と呼ばれる現象です。特にアプケーションラボのSINTEX-F予測シミュレーションの結果では、夏から秋にかけて、インド洋ダイポールモード現象の正のイベントが益々発達すると予測しています。その結果、日本の残暑も厳しくなる可能性があります(詳細は季節ウオッチの最新記事をご参照ください:)。
本コラムでは、このインド洋ダイポールモード現象の解説をすると共に、その予測研究についてアプリケーションラボの最新の成果(Doi et al. 2017, J.Climate)についても簡単に紹介したいと思います。
インド洋ダイポールモード現象を、誤解を恐れずに一言で説明するならば、「インド洋で起こるエルニーニョ現象」といってよいかもしれません。熱帯インド洋の空と海がお互いに影響しあって発生する現象(大気海洋相互作用現象と呼びます)で、数年に1度、北半球の夏から秋にかけて発生します。
インド洋ダイポール現象には正と負の符号があり、正のインド洋ダイポール現象が発生すると、熱帯インド洋の南東部で海面水温が平年より低く、西部で海面水温が高くなります(動画1)。一方、負のインド洋ダイポール現象は、熱帯インド洋の南東部で海面水温が平年より高く、西部で海面水温が低くなります(動画1)。また、海面水温だけでなく、海面高度、降水量、地上気圧などのさまざまな大気・海洋に関する変数が東西の双極子(ダイポール)構造を持ちます(Vinarychandran et al. 1999; Saji et al. 1999; Behera et al. 1999など)。
正のダイポールイベントが発生すると、上述した水温の変動に伴い、通常は東インド洋で活発な対流活動が西に移動し、東アフリカでは豪雨を、インドネシアでは雨が少なくなり、厳しい干ばつと山火事を引き起こします。
一方、負のイベントが発生すると、通常は東インド洋で活発な対流活動がさらに活発となり、インドネシアやオーストラリアで雨が多くなり、洪水を引き起こします。
動画1: インド洋ダイポールモード現象の説明
上述した通り、正のイベントが発生すると、日本は背の高い高気圧に覆われやすく、暑く乾燥した夏になりやすい傾向があります。地理的には随分離れたインド洋がなぜ日本の猛暑のスターターとなりうるのでしょうか?
インドの夏季モンスーンはインド洋熱帯域の影響を強く受けます。また、このインドの夏季モンスーンと、東アジアの夏季モンスーンは、チベット付近の対流圏上層にある西風ジェットを通じて相互に影響し合っています。このことから、山形領域長らはインド洋の異常が日本まで遠隔的に影響する(テレコネクションと呼ばれます)可能性を考えました。結果二つのルートが見いだされました。ヨーロッパを経由する「遠回りルート」と、東アジア南部から直接的に影響する「近道ルート」です(動画2)
「遠回りルート」では、まず、正のダイポールイベントが発生すると、その東極で水温が低下し、高気圧性循環及び下降流が形成されます。その空気は北に移動し、インド北東部やベンガル湾北部などで平年より多くの水蒸気が供給され、降水量が増加します。結果、対流圏上層は空気が周辺に広がる発散域となります。この付近に発散域が形成されると、「大気の波」によってその状況が西に伝わり、地中海からサハラ砂漠付近の上空で空気が集まる収束域が形成されることが知られています(力学的には長波ロスビー波の伝播と解釈されています)。そこでは強い下降流ができ、高気圧に覆われ、雨が少なくなります。これはモンスーン・砂漠メカニズムと呼ばれています(Rodwell and Hoskins 1996)。この欧州で発達した異常な高気圧性の循環は、「大気の波」のエネルギーとして(力学的には定在ロスビー波と呼ばれます)、アジアの上空にある西風ジェットを導波管として、日本付近まで伝播します(Guan and Yamagata 2003)。これはシルクロードパターンとも呼ばれています(Enomoto et al. 2003)。結果、日本は背の高い高気圧に覆われ、暑く乾燥した夏になりやすいのです。
「近道ルート」では、 インド洋ダイポールモード現象の東の極の水温が平年より冷たいことで、同領域で高気圧性循環及び下降流が形成されます。その空気は北に動き、 インドシナ半島北部から中国南部、フィリピンにかけて、平年より多くの水蒸気が供給され、降水量が増加します。ここで低気圧性循環が強化されますと、この付近の上空では空気が広がる発散域ができ、 それが日本海上空で収束することで、日本は背の高い高気圧に覆われやすく、暑く乾燥した夏の原因になります。
この二つのルートを合わせると、インド洋を起点とした欧州—東アジアの気候をつなぐ「三角関係」が見えてきます。
動画2:正のインド洋ダイポールモード現象と日本の夏
今年も、1994年と同様に、熱帯太平洋は平年並みで、インド洋では正のダイポールモード現象が発達中です。図1は積雲発生の程度を表す外向き長波放射量(OLR)について、過去1ヶ月間で平均した偏差(平年からのズレ)の図です(積雲が発生すると、それに遮られて地表や海面から放射される赤外線が宇宙空間に届かなくなります)。寒色の領域では対流が活発で、雨が多いと解釈できます。日本付近では雨が少ないことがわかります。また、インド北東部から中国南部にかけて雨が多く、欧州南部が猛暑で雨が少なくなっていることから、「近道ルート」と「遠回りルート」どちらとも整合的と言えます。このまま夏から秋にかけて、インド洋ダイポールモード現象の正のイベントが益々発達し、日本に暑い夏や厳しい残暑をもたらす可能性があります。
図1:2017年6/26-7/25で平均した外向き長波放射量(OLR)の偏差図(w/m2)。Data/image provided by the NOAA/OAR/ESRL PSD, Boulder, Colorado, USA, from their Web site at http://www.esrl.noaa.gov/psd
スーパーコンピュータを使って数ヶ月前からインド洋ダイポールモード現象の発生予測に成功した実績があります。特に、アプリケーションラボが欧州の研究者と連携して開発してきたSINTEX-Fと呼ばれる予測シミュレーションでは、準リアルタイムで、2006年に発生した正のインド洋ダイポールモード現象の発生予測に成功し、国内外の研究者を驚かせると共に、インド洋ダイポールモード現象の予測研究を盛り立てる先駆的な成果をあげました(Luo et al. 2008)。現在は、アプリケーションラボを含め、アメリカ、欧州、オーストラリア、韓国などの予報機関からインド洋ダイポールモード現象の発生予測情報が提供されています。しかし、最先端の予測システムを持ってしても、太平洋のエルニーニョ現象ほどは、インド洋ダイポールモード現象の予測精度が高くないのが実情です(例えばZhu et al. 2015など)。
アプリケーションラボのSINTEX-Fと呼ばれる予測シミュレーションは、ダイナミカル(または数理科学的な)な季節予測システムと呼ばれるものです(図2)。統計や経験で予測するのではなく、地球気候に関する物理プロセスを表現した微分方程式群を、スーパーコンピュータ“地球シミュレータ”を使って、時間方向に積分することで、未来を予測します。その初期値として重要なのが、数ヶ月先の季節に多大な影響を与える熱容量の大きい海の状態です。現在の天気予報でも同様の技術が用いられていますが、天気予報はせいぜい1週間程度先のある時点の天気の状態を予測の対象としていますが、季節予測は数ヶ月先の天候の状態、例えば三ヶ月平均の気温など、を予測の対象としており、熱容量の大きい海の状態を予測することが鍵になります。(詳しくは“季節予測とは?” をご参照ください)
図2: ダイナミカル(または数理科学的な)な季節予測システムの概念図。
アプリケーションラボでは、従来のモデルを高度化(海氷モデルの導入、高解像度化、物理スキームの改善等)した第二版となるSINTEX-F2をベースにして、新しい季節予測システムのプロトタイプを開発し、亜熱帯域の予測精度の向上に成功しました(Doi et al. 2016, JAMES)。しかし、インド洋ダイポールモード現象の予測スキルは向上しませんでした。そこで、新たなアプローチとして、予測システムの海洋初期値を作成するプロセスを高度化しました。従来は、衛星から得られた海の表面の水温情報のみを取り込んでいましたが、新しく、海の内部の3次元の水温/塩分の海洋観測データ (海に浮かべてある係留ブイ(例えばJAMSTECのTRITONブイ、国際協力で海に投入されているARGOフロート、船舶観測など)を取り込むプロセスを加えました(イタリア地中海気候変化センターCMCCとの共同開発)。その結果、インド洋ダイポールモード現象の予測精度の向上に成功しました。これが、(Doi et al. 2017, J. Climate)の主な成果です。
従来のSINTEX-Fに加えて、モデルを改良したSINTEX-F2や、海洋初期値作成プロセスを高度化したSINTEX-F2-3DVARを使って、今夏から秋にかけてのインド洋ダイポールモード現象の発生を、6/1時点で予測したのが、図3です。強さの不確実性は残るものの、どのシステムでも正イベントが発生する確率が高いと予測しています。(詳細は季節ウオッチの最新記事をご参照ください:)。
図3: インド洋ダイポールモード現象の指数DMI(西インド洋熱帯域の海面水温偏差の東西差を示す数値で単位は°C)。0.5度を越えれば正イベントが発生していると考えて良い。黒が観測。2017年6/1時点で予測したのが色線。SINTEX-F(赤色の線:アンサンブル平均値、橙色の線: 各予測アンサンブルメンバー)に加えて、モデルを改良したSINTEX-F2(緑色の線:アンサンブル平均値、黄緑色の線: 各予測アンサンブルメンバー)や、海洋初期値作成プロセスを高度化したSINTEX-F2-3DVAR(青色の線:アンサンブル平均値、水色の線: 各予測アンサンブルメンバー)の結果。紫色の線は全ての予測アンサンブルの平均値。このように、気候モデルを用いた数理的な予測実験ではそれぞれの予測システムで初期値やモデルの設定を様々な方法で少しずつ変えて、複数回予測を行う(アンサンサンブル予測と呼ぶ)。これらの手法は、インド洋ダイポールモード現象の予測の不確実性を議論するために有効である。
インド洋ダイポールモード現象の発生を事前に高精度で予測できるようにすることは、豊かな社会応用可能性があります。インド洋周辺国だけでなく、欧州や東アジアの天候の異常に影響することは前述の通りです。さらに、東アフリカで発生したマラリアなどの感染症の大流行(Hashizume et al. 2012)や、オーストラリアの小麦の凶作(Yuan and Yamagata 2015:詳しい解説)などを引き起こし、私達の安全・安心を脅かす程甚大な被害を与えることが解ってきました。
海洋研究開発機構は、海洋観測網の発展に尽力していると共に、世界有数のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を有します。アプリケーションラボでは、それらの海洋観測データを効果的に使い、地球シミュレータを使って、インド洋ダイポールモード現象の発生を事前に予測する技術を磨くと共に、農業分野や健康分野の研究者と連携し、それらの予測情報を社会に役立てる研究も進めています。