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HPCI戦略プログラム分野3

HPCI戦略プログラム分野3の5年間の成果

   この文書は、2011~2015年度に実施された「HPCI戦略プログラム」(注1)の分野3「防災・減災に資する地球変動予測」(戦略機関:海洋研究開発機構)の5年間の成果の概要を記したものである(注2)。
   日本は毎年のように台風、集中豪雨、地震、津波などに見舞われ、大きな被害を受けている。特に2011年3月11日の東北地方太平洋沖を震源とする超巨大地震とそれに伴う超巨大津波は、東北地方を中心に2万人を超える犠牲者と壊滅的な被害をもたらし、さらに福島第一原子力発電所での大量の放射能漏れ事故をも引き起こした。これはまさに未曾有の大惨事であり、自然の猛威を思い知らされた。このような大規模な自然災害は社会・経済活動に深刻な打撃を与えることから、防災・減災に向けた迅速で効率的な対策が喫緊の課題となっている。
   大規模な災害をもたらす自然現象は、野外実験によって影響を評価し検証することは不可能であり、スーパーコンピュータを駆使した大規模シミュレーションによる検討が不可欠である。これまでも「地球シミュレータ」を用いて大掛かりなシミュレーションを行ってきたが、HPCI戦略プログラム分野3「防災・減災に資する地球変動予測」では、2012年9月に共用が開始されたスーパーコンピュータ「京」(以下「京」と記す。)を用いて、災害をもたらすような自然現象の大規模で高精度のシミュレーションを全国の大学や研究機関と協同して実施し、学術的な展開を図るとともに実際の防災・減災に資することを目指して研究を進めてきた。
   残念ながら「京」をもってしても、地震や津波がいつ、どこで、どれくらいの規模で発生するかを正確に予測することはできない。しかし、台風や集中豪雨を含めてこれらの自然現象に関するシミュレーションがより高速・高精度にできるようになれば、より効果的・効率的な防災・減災対策を立てることができ、人的・物的被害を最小限に留めることができる。
   HPCI戦略プログラム分野3では、研究開発課題を二つ設定した。一つは「防災・減災に資する気象・気候・環境予測」で、地球温暖化時の台風の動向の全球的予測と集中豪雨の予測実証を目指した。その中に「地球規模の気候・環境変動予測に関する研究」と「超高精度メソスケール気象予測の実証」の、二つの研究課題を設けた。研究開発課題のもう一つは「地震・津波の予測精度の高度化に関する研究」で、次世代型地震ハザードマップの基盤構築と津波警報の高精度化を目指した。その中に「地震の予測精度の高度化に関する研究」と「津波の予測精度の高度化に関する研究」、「都市全域の地震等自然災害シミュレーションに関する研究」の、三つの研究課題を設けた。これらの研究では、「京」と「地球シミュレータ」の二つのスーパーコンピュータの相乗効果を最大限に追究した。同時に次代を担う若手研究者の育成にも努めた。それらのために「計算科学技術推進体制構築」の課題を設けた。
   これら五つの研究課題と体制構築課題について、それぞれの5年間の成果の概要を以下に記す。

Ⅰ  防災・減災に資する気象・気候・環境予測
Ⅰa  地球規模の気候・環境変動予測に関する研究
   これまでの気候モデルでは解像度が粗く再現が不十分であった雲の再現性を格段に向上させた全球気候モデルによって、社会・経済に重大な影響を持つ台風の地球温暖化時の動向の予測、および熱帯での数週間先までの延長予測の可能性について研究開発を行った。また、将来の、地球規模での気候予測の精度向上をにらんだ地球変動予測のためのアプリケーションパッケージの開発を行った。
   長期間にわたる積分が必要な全球気候モデルでは、粗い計算格子内に存在しているはずの多数の積乱雲の働きを「パラメタリゼーション」と呼ばれる半経験的な方法で表現するのが通例であった。気候研究では積雲パラメタリゼーションの不確実性が大きな問題であり、これに頼らず対流雲を陽に表現できる高解像度計算が待ち望まれていた。これまで「地球シミュレータ」などの計算機を用いて開発を進めてきた全球非静力学大気モデルNICAMは、このような計算が可能な世界初のモデルであり、「京」を用いることにより、長期積分や多数事例の実験が可能となり、台風や熱帯大規模雲塊の変動を含めて気候の再現性を大幅に向上させることができた。また「京」の多数ノードを用いて計算格子間隔が1㎞を切る世界最高解像度の全球大気実験を行い(図1)、全球での雲解像シミュレーションの解像度依存性や気象擾乱ごとの積乱雲構造の違いを明らかにした。


図1.  計算格子間隔870 mの世界最高解像度の
全球大気モデルによる実験結果

   地球温暖化時の台風の変化については、このプログラムの実施期間中に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第5次評価報告書が刊行され、最新の研究知見がまとめられた。本課題では台風の中心付近の構造も現実的に再現できる高解像度かつ長期の実験を世界に先駆けて行い、IPCC報告書で示された全球での台風の発生数の減少、強い台風の発生頻度の増加、台風の最大強度の増加、台風に伴う降水の増加などの知見を再確認するとともに、これまでの研究では踏み込むことのできなかった台風の構造変化、すなわち強風域の拡大を示す結果を得た。今後、地球温暖化への適応策を推進する際に重要な貢献となる。
   熱帯では数千キロメートルの巨大な雲塊が赤道上を数十日かけてゆっくりと東進するマッデン・ジュリアン振動(MJO)と呼ばれる現象がよく知られているが、従来の気候モデルでは再現や予測が困難であった。今回この現象の再現性を向上させたNICAMにより、多数例の予測実験を行うことによって、MJOについて約1ヵ月先までの予測が可能であることを実証した。また約2週間先の台風の発生予測にも可能性があることを示した。これらの予測スキルは世界最高レベルであり、熱帯のみならずMJOの影響を受ける中緯度も含めて、延長気象予報の可能性を切り開くものである。
   気候モデルの多数の要素プログラムを効率的に結合することのできる汎用カプラを設計・開発した。これを用いて、大気環境予測モデル、高解像度大気海洋結合モデル、次世代力学コアなど、今後の地球変動予測の精度向上をにらんだモデルフレームワークの開発を行った。

Ⅰb  超高精度メソスケール気象予測の実証
   「京」の高い計算能力を最大限に活用し、雲を解像するデータ同化技術を開発するとともに、アンサンブル予報を雲解像モデルに適用した領域気象解析予測システムを構築して、集中豪雨や局地的大雨、竜巻の親雲などメソβスケール以下の顕著気象現象の力学的な直前予測と、リードタイムが確保できる市町村単位の定量的確率予測の可能性を実証するための研究を行った。また超高解像度モデルを用いた基礎研究を通じて、災害をもたらす気象現象のメカニズムを調べるとともに、領域雲解像モデルの改良につなげる研究を行った。
   第一目標の「領域雲解像4次元データ同化技術の開発」では、雲を解像するデータ同化技術として、気象庁の非静力学モデル(NHM)や雲解像モデルCReSSに基づく変分法4次元同化技術やアンサンブル予報を用いるデータ同化技術の開発を進めた。最先端のデータ同化技術として、アンサンブル予報で得られる予報誤差情報を変分法に利用するハイブリッド変分法や、アジョイントモデルを必要としないアンサンブル変分同化法の開発を進め、実際の豪雨事例に適用して精度を比較した。また、アンサンブルカルマンフィルタを用いて2重偏波レーダーや高密度地上気象観測のデータを同化し、2012年5月につくば市で竜巻を発生させたメソ対流系に関する力学的短時間予測実験を行った。350 mや50 m解像度のダウンスケール実験により、竜巻に対応する強い渦が再現されることを示すとともに、これらの観測データがメソ対流系の予測を大きく改善することを示した。
   第二目標の「領域雲解像アンサンブル解析予報システムの開発と検証」では、第一目標で開発されたデータ同化技術とアンサンブル予測手法を雲解像モデルに適用した領域気象解析予測システムを開発し、アンサンブル予報により予報誤差を見積もりながら観測データを取り込む未来の数値予報システムのプロトタイプを開発した。2012年7月の九州北部豪雨について、強雨の発生確率分布を局所アンサンブル変換カルマンフィルタによる解析とアンサンブル予報から求め、現象発生の高いリスクが18~24時間前に定量的に求められることを実証した。非静力学領域数値予報モデルを用いた1,000メンバーのアンサンブルカルマンフィルタ実験を行い、サンプリング誤差の除去に必要なメンバー数についての科学的知見を得た。ドップラーライダーのデータを同化する領域解析システムと結合した高解像度のビル解像計算流体力学モデルにより、観測された海風前線の詳細な構造を再現した。超高解像度の広領域数値予報(再現)実験を行い、2013年10月の伊豆大島や2014年8月の広島での豪雨の予測が大きく改善されることを示した。分布型氾濫モデルによる河川水位のアンサンブル実験を行うとともにラグランジュ土石流モデルの開発を進めた。
   第三目標の「高精度領域大気モデルの開発とそれを用いた基礎研究」では、雲・降水粒子をサイズごとに予報変数として扱うビン法雲物理過程モデルを開発しバルク法と比較した。また台風全系を対象としたLES(large eddy simulation)により、台風に伴う境界層内のロール構造や、台風に伴う竜巻の発生などの超高解像度シミュレーションを行った。さらに2012年つくば竜巻に関する超高解像度の再現実験を行い、マルチセル構造への渦の変化を含む竜巻の詳細構造を調べた。

Ⅱ  地震・津波の予測精度の高度化に関する研究
Ⅱa  地震の予測精度の高度化に関する研究

   地震・地殻変動観測データと「京」を最大限に活用して、日本周辺で起こる大地震の緊迫度・発生確率と、地震の多様な発生・連動パターンを詳しく評価するとともに、海溝型巨大地震に伴う、短周期から長周期までの強震動と地殻変動、津波の発生を時間を追って予測し、複合災害を的確に評価して、現実的で費用対効果の高い防災対策に役立つシミュレーション技術を確立することを目指した。
   南海トラフなどでの海溝型巨大地震の発生と、それに伴う強震動・地殻変動・津波の高精度予測に向け、地震発生予測、地下構造推定、地震波伝播・強震動予測の三つの要素シミュレーションの高精度モデルを整備し、「京」の高い性能を引き出すための性能チューニングを実施して、数万個のCPUを用いた大規模並列地震動シミュレーションコードを開発した。これにより、従来の「地球シミュレータ」による計算の3〜4倍の高分解能化(計算規模は40〜50倍)を達成した。
   東北地方太平洋沖地震の強震動と津波の再現計算を実施し、計算結果と観測データの整合性を確認することで、シミュレーションの確からしさを検証した。南海トラフ巨大地震の多様なシナリオ地震モデルを用いて、地震発生~地震波伝播~強震動・長周期地震動発生の連成シミュレーションを行い、津波地震の発生の可能性など、地震シナリオの多様性に伴う地震動・地殻変動・津波伝播の多様化(バラツキ)を明らかにした。得られた計算結果を、研究課題「津波の予測精度の高度化に関する研究」における、沿岸津波や浸水予測シミュレーションの前提条件とし、研究課題「都市全域の地震等自然災害シミュレーション研究」と連携して、被害予測・災害軽減に向けたシミュレーション活用研究を進めるとともに、国の中央防災会議や文部科学省の地震調査研究推進本部、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」などに成果を提供した。
   防災・減災に資する地震シミュレーションの一層の高度化に向けて、大規模地震動シミュレーションコードの必要条件を整理した。その結果はポスト「京」重点課題事業でも参照された。

Ⅱb  津波の予測精度の高度化に関する研究
   津波の波力を考慮した津波ハザード予測法を開発するとともに、漂流物・土砂移動・海面変動など複合的な影響を考慮した津波被害の予測手法を開発することを目指した。さらに津波被害の軽減対策のための基礎データを作成し、津波予測・警報システムの改善と津波災害の軽減戦略の策定に資する研究開発を行った。
   従来よりも格段に高精度化した津波警報のリアルタイム発信と、避難に必要とされる浸水域の即時予測を目的とする、複雑な初期波高分布を即時推定するための、分散性を考慮した津波波形グリーン関数のデータベース化を進めるとともに、詳細な地形を反映した津波伝幡過程を高度化し、詳細な遡上・浸水シミュレーションの高並列化を行った。また、津波による複合的な被害への対応として、津波による漂流物の移動や衝突、土砂移動による浸食・堆積に伴う地形変化などを高精度に予測する手法の開発に取り組んだ。
   千島海溝・日本海溝と南海トラフ沿いを対象として、分散波理論を適用したグリーン関数群を構築することにより、リアルタイム波源推定のための理論津波波形データベースの高度化を達成した。津波の伝播過程の高度化については、地殻の弾性と海洋の密度分布の効果を分散波モデルに導入し、太平洋全体の広域の津波シミュレーションの精度を向上させた。詳細な遡上・浸水シミュレーションについては、従来の津波氾濫モデルの「京」への移植・最適化により、27.3%の実行効率を達成した。津波の遡上過程を高精度に解析するための3次元流体計算の大規模並列化に成功し、市街地における局所的な津波挙動のみならず建物に作用する流体力をも高精度に捉えることが可能となった。
   津波による複合的な被害への対応としては、津波氾濫・漂流物移動・土砂移動を複合的に予測・評価する津波統合モデルを世界で初めて開発し、現地被害(気仙沼)の再現に成功した。これにより、瓦礫などの漂着物の分布と津波堆積物の発生量の推定が可能となり、複合被害の予防措置や事後の対応計画の策定に貢献するデータを提供できる。

Ⅱc  都市全域の地震等自然災害シミュレーションに関する研究
   地震に対する構造物の応答解析に基づく被害シミュレーション(構造物の地震応答解析手法)、都市内の全構造物の応答解析に基づく都市災害シミュレーション(都市の地震応答解析手法)、その結果を受けた避難シミュレーションを開発し、それらを結合して、シミュレーションに基づく地震ハザードマップの構築に必要な基盤技術を開発することを目指した。
   構造物の地震応答解析手法に関しては、材料・幾何非線形に対応する動的有限要素法を開発した。ソリッド要素を用いた1,000万超の自由度を持つ解析モデルを使って、鉄筋コンクリート橋脚・超高層ビル・原子力発電所建屋の地震応答解析を行い、結果を大型震動台(E-ディフェンス)を使った実験と比較するなどして、高性能計算を利用した構造物の地震応答解析の有用性を示した。超高層ビル・原子力発電所建屋は、地盤と構造物を一体化したモデルを解析することで、地震工学の重要課題である構造物・地盤相互作用を、近似することなく評価できることを示した。この解析手法は、現在、重要構造物の耐震性の評価という実用に向けた取組みにつながっている。
   都市の地震応答解析手法に関しては、地盤・建物・避難を連成して行う統合地震シミュレーションを開発した。東京23区内の約10 km四方の領域を対象とした計算に成功し、時間分解能10 Hz、空間分解能1 mという、従来の分解能とは文字通り桁違いに高い分解能で、地震災害・被害の評価を例示することに成功した。この例示は、地震動や構造物被害の経験式に基づく従来の災害・被害評価手法とは異なる、高性能シミュレーションに基づく災害・被害評価手法の潜在的有効性を示すものである。都市の地盤の地震波増幅過程の解析のために開発した数値解析手法は、「京」の全系を使った場合でも高いスケーラビリティを示す。この優れた計算性能は計算科学の分野でも高く評価された。このため、ポスト「京」の重点課題として採用され、研究開発と同時に災害・被害評価手法の実用化を目指す研究も開始された。

Ⅲ  計算科学技術推進体制構築
   計算資源の効率的マネジメント、人材育成、人的ネットワークの形成、研究成果の普及・広報、分野を越えた取組みなどの活動によって、上記の研究開発課題を支援するとともに計算科学の振興に貢献することを目指した。
   計算資源の効率的マネジメントとしては、延べ51本のアプリケーションを「京」用に高度化・最適化し、いくつかの世界初となる大規模計算を可能とするなど、研究開発課題の目標達成に大きく貢献した。アプリケーションの高速化・最適化に関するノウハウを取りまとめ、体系化した情報を共有するためのデータベースを作成し、2013年度から運用した。それによって、既存のユーザだけでなく新しいユーザも「京」を効率的に使用できる環境を作った。
   人材育成としては、計算科学分野における広範かつ長期的な人材育成の推進のため、有識者を中心とした人材育成ワーキンググループを設け、定期的に議論を重ねて報告をとりまとめた。
   人的ネットワークの形成としては、研究開発課題ごとに検討会やワークショップを開催することによって人的ネットワークを形成し、研究者、地方自治体関係者、関連省庁の関係者の間で情報を共有し連携を促進した。ここで形成された人的ネットワークにより、このプログラムの成果が将来的に実社会で活用されることが期待される。
   研究成果の普及・広報としては、研究成果を分かりやすく広く普及するためにホームページを開設し、研究者との密接な連携の下でコンテンツを作成しながら運用してきた。また理化学研究所の計算科学研究機構や海洋研究開発機構の施設一般公開などで絶えず情報発信を行い、5年間で延べ数万人に対して研究成果を紹介する機会を作った。


注1:理化学研究所の計算科学研究機構(神戸)に設置され、2012年9月に共用が開始されたスーパーコンピュータ「京」を中核として、大学等の主要なスーパーコンピュータを高速ネットワークでつなぐHPCI(革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ)が構築された。「HPCI戦略プログラム」は、「京」の能力を最大限に活用して世界最高水準の研究成果を創出するとともに、戦略的に選ばれた研究分野における計算科学技術推進体制の構築を支援するために実施された文部科学省のプロジェクトである。選ばれた研究分野は、「予測する生命科学・医療および創薬基盤」、「新物質・エネルギー創成」、「防災・減災に資する地球変動予測」、「次世代ものづくり」、「物質と宇宙の起源と構造」の五つである。これらの戦略分野の研究を担う戦略機関は、2010年度の準備研究を経て2011年度から2015年度まで本格研究を実施した。

注2:「HPCI戦略プログラム成果報告書(平成27年度)/分野3:防災・減災に資する地球変動予測」(2016年5月)より抜粋。