深い海の底のさらに下、泥が積み重なった地層の中に、生き物はいると思いますか?
答えは、「いる」です。海底下には、肉眼では見えない小さな生き物、微生物がとてもたくさんいて、地下生命圏が広がっているのです。
では、1億年前に堆積した地層の中にも、微生物はいるでしょうか?
1億年前というと、中生代白亜紀で、地上を恐竜が闊歩していた時代です。微生物がいたとしても死んで化石になっているだろう、と思った人も多いでしょう。
ところが、1億150万年前に堆積した海底下の堆積物を採取し、微生物のエサとなる物質を染み込ませて培養したところ、なんと、そのエサを食べ増殖を始めた微生物がいたのです!
微生物を目覚めさせたのは、JAMSTEC超先鋭研究開発部門 高知コア研究所 地球微生物学研究グループ 主任研究員の諸野祐樹さんです。
その微生物はどこから見つかったの? 1億年もの間ずっとそこにいたの? どうしてエサを食べたと分かるの? 諸野さんに聞いてみましょう。
諸野 祐樹
JAMSTEC 超先鋭研究開発部門
高知コア研究所 地球微生物学研究グループ 主任研究員
2010年、今回の研究で使用した堆積物を採取した「ジョイデス・レゾリューション」にて。「このときから、はや10年! 海底下生命の研究は、時間がかかるんです。我慢強くないと、発見にはたどり着けません」
地球上で最もきれいな海。その海底下に微生物はいる?
――1億年の眠りから目覚めた微生物は、どこの海底下にいたのでしょうか。
陸から遠く離れた南太平洋の真ん中、南太平洋環流の内側です。そこは、地球上で最もきれいな海として知られています。
環流とは、大きな円を描くように流れている海流のことです。その海流によって陸から運ばれてくる栄養塩の供給が遮られてしまうため、環流の内側は植物プランクトンによる有機物の生産量が低く、海水の透明度が高くなるのです。
――なぜ、南太平洋環流域の海底下を調べたのですか。
古くは、海底下に生き物はいないと考えられていました。やがて、浅いところには、微生物がいることが分かってきました。しかし、深いところを調べる方法がなく、海底下深くにも生き物がいるかどうかは、分かっていませんでした。
海底下生命の研究が本格的に始まったのが、1980年代後半です。そして1990年代になると、海底下の奥深くにも微生物が存在していることが明らかになってきました。
しかし、これまで調べてきたのは主に、陸に近い場所でした。陸に近い海は、陸から栄養塩がたくさん運ばれてくるため、植物プランクトンによ る有機物の生産量が高く、それを食べる動物プランクトンもたくさんいます。海底下の堆積物はプランクトンの排せつ物や死骸などが降り積もったものですか ら、陸に近い海底下の堆積物には微生物のエサになる有機物が多く含まれています。
一方、植物プランクトンによる有機物の生産量が低い南太平洋環流内側の堆積物には、有機物は少ししか含まれていません。そのような超低栄養 の環境でも微生物はいるのか? その微生物は生きているのだろうか? それを明らかにするために、南太平洋環流域の海底下を調べたのです。
10年前、初めての掘削航海で
――海底下の微生物は、どのように調べるのですか。
まず、海底下の堆積物を採ってくる必要があります。それを行うのが掘削船です。船の上から海底までパイプを下ろし、先端に取り付けたビットと呼ばれる強靱な刃で海底を掘り進み、堆積物を円柱状にくり抜いたコアを船上に回収します。
科学目的の掘削は現在、国際深海科学掘削計画(IODP)のもと、日本が運航する地球深部探査船「ちきゅう」、アメリカが運航する「ジョイデス・レゾリューション」、ヨーロッパが提供する特定任務掘削船を用いて行われています。
南太平洋環流域における海底下生命の探査は、2010年10〜12月にIODP(当時は統合国際深海掘削計画)第329次研究航海として「ジョイデス・レゾリューション」によって行われました。
――諸野さんも「ジョイデス・レゾリューション」に乗船したのでしょうか。
はい。2006年にJAMSTECに来てから研究船には何度も乗船していましたが、掘削船、そして2カ月という長い航海は初めてでした。ビクビクしていたことを覚えています。
一番下の階にある冷蔵倉庫でひたすら培養の準備
――掘削は順調に進みましたか。
1本目の掘削で、硬い地層に当たってしまい、掘り進むのに時間がかかりました。でも、掘削では予想外のことが起きるものです。最終的には、予定していた7カ所全てで試料を採取することができました。
私たちは、海底下1.6〜74.5mから採取した堆積物を使って実験を行いました。これは、430万〜1億150万年前に形成されたものです。
――堆積物の中に生きた微生物がいるかどうか、どのように調べたのでしょうか。
微生物が生きていたら、エサを食べるでしょう。そこで、堆積物にエサとなる物質を浸み込ませ、しばらく培養した後で、エサを食べた微生物がいるかどうかを調べることにしました。
相手は生き物ですから、ゆっくりしていられません。コアが船上に上がってきたらすぐ培養実験を始めなければいけないのですが、その作業がものすごく大変でした。何しろ数が多いのです。培養容器は1,000本にもなりました。
――1,000本ですか!?
エサは、重炭酸、酢酸、グルコース、アミノ酸混合物、ピルビン酸、アンモニアの6種類を用意しました。微生物がいたとして、どのくらいの速さでエサを食べるのか分かりません。培養期間を変えるために、1種類のエサに対して4本ずつ容器をつくりました。それを、いろいろな深さごとにつくらなければいけないのです。
コアは直径6.5cmほどです。先端を切ったプラスチックの注射器の筒をコアに刺し、堆積物を円柱状に少しずつ取り分けます。それをガラス容器に入れ、エサを溶かした液をポタポタと垂らします。そして、窒素を充塡し、酸素を少し加えて密閉します。どの容器をどの作業までやったか分からなくなるので、ふたに印を付けてチェックしていました。
しかも、その作業を船の一番下の階にある冷蔵倉庫で、独り黙々とやらなければいけないのです。最初は楽しいんですよ。でもだんだん、「なんで、こんなことをやろうと思ったんだ!」と、実験を計画した自分を呪い始めました。
失敗から学んだこと
――何日間、培養したのですか。
あまり早く培養を止めてしまうと、まだ微生物がエサを食べていないかもしれません。栄養がとても少ないところにいる微生物なので、生命活動はゆっくりしていると思われます。そこで培養期間は、21日と68日、そして念のためもっと長い557日(約1年半)の3種類にしました。
――掘削航海は2010年ですから、1年半培養しても2012年です。今回の発表まで時間がかかっていますね。
当時はまだ、海底下微生物を解析する技術が十分ではありませんでした。だから、培養した堆積試料をホルマリンで固定して、最適な解析技術ができるまで待つことにしました。そして私は、解析技術の開発を進めたのです。
――微生物がエサを食べているか気になり、ちょっと調べてみよう、と思ってしまいそうですが……。
実は、JAMSTECに来たばかりのころ、恐ろしい経験をしているのです。私は、下北半島八戸沖の海底下から採取した堆積物試料に含まれている微生物の数を調べていました。よく使われるDNAを蛍光色素で染める方法で調べると、1立方cm当たり1000億もの微生物がいる、という結果になり ました。
それまでの推定の100倍以上だったことから、教科書が書き換わる大発見だ!と、JAMSTEC内で大騒ぎになりました。みんなが盛り上がる脇で、私はどんどん不安になっていき、別の方法でも確認してみようと電子顕微鏡で観察してみました。すると、微生物がいない……。微生物ではないものが 蛍光を発していて、それを数えてしまっていたのです。
そういう失敗を経験しているので、試料が目の前にあっても飛び付かず、確実な方法で解析するようにしています。
泥の中から微生物を取り出す新技術
――解析に当たって、どういうことが問題になっていたのでしょうか。
微生物の数より泥の粒子の数の方が圧倒的に多いため、正確に解析するには微生物だけを取り出す必要があります。
2010年当時にも、微生物を取り出す方法はありました。それは、密度の異なる2種類の溶液を重ね、微生物を含む泥水を加える、という方法です。泥の粒子は重いので沈み、微生物は軽いので浮くことを利用して、微生物を取り出します。しかし実際は、微生物が泥の粒子に引きずられて沈んでしまい、1割くらいの微生物しか取り出せませんでした。
――どのように解決したのですか?
密度が異なる溶液を4種類にしました。すると、微生物が泥の粒子に引きずられて沈んでしまっても、次の密度の境界で泥の粒子と離れるため、 微生物を取り出せる割合が大きく向上したのです。この開発では、流体力学の知識が役立ちました。大学の授業で習ったときは、自分の研究で使うことはないだ ろうと思っていました。真面目に授業を聴いていてよかった。
密度の異なる溶液を使って取り出したものを、さらにセルソーターという装置にかけることで、まだ残っている泥の粒子の中から微生物だけを取り分けて集めることができるようになりました。それが2014年です。
微生物はエサを食べた?
――微生物がエサを食べたかどうか、どのようにしたら分かるのですか?
微生物がエサを食べたかどうかを調べるのは、とても難しいことです。でも私たちは、超高空間分解能二次イオン質量分析計(NanoSIMS、ナノシムス)という装置を使うことで、それを可能にしました。
まず、エサに目印を付けておきます。具体的には、エサに含まれる炭素と窒素を、性質は同じだけれども質量が重い同位体に置き換えるのです。 ここでは詳しい説明は省きますが、NanoSIMSで解析すると、微生物が目印を付けた重いエサを取り込んでいるかどうか、さらに、取り込んだ量も分かります。
解析の結果、430万年前から1億150万年前に形成された地層の全ての深さで、培養開始から21日目の時点で、すでにエサを食べている微生物がいることが分かりました。
――微生物が好きなエサと、あまり好きではないエサがあるようですね。
アミノ酸は生命活動に不可欠なタンパク質の材料なので、アミノ酸をよく食べるというのは、予想通りです。
炭素は生物の体づくりには欠かせません。生物の多くは有機物を食べて炭素を取り入れています。しかし、今回試料を採取した場所は堆積物中の有機物がとても少ないので、有機物ではなく二酸化炭素を食べて炭素を取り入れている微生物がたくさんいるかもしれない、と思っていました。しかし、炭素を含む重炭酸はあまり取り込まれていませんでした。
栄養がとても少ない場所だから、生きるために変わった戦略を取っているやつがいるのではないか? そう思っていたのですが、意外と普通の微生物でしたね。
――微生物は増殖していたのでしょうか。
培養前の微生物の数は、1平方cm当たり100~1,000個程度でした。これは、大陸沿岸の堆積物と比べて10万分の1以下です。それが培養開始から68日目には、多いものでは培養前と比べて1万倍以上に増殖していました。
1個の微生物が分裂して2個になるまでにかかる日数は、平均して約5日でした。これは、私たちが以前調べた、下北半島八戸沖の海底下微生物より平均で5倍も早いんです。栄養がとても少ないところにいる微生物なので生命活動はゆっくりだろうと考えていたので、予想外の結果でした。21日より短い培養期間にしておいてもよかったかも。
1億年もの間、微生物はそこにいた!
――今回の成果で最も驚いたことは何ですか。
1億150万年前に堆積した地層の中で微生物が生きていた! これは驚きでした。1億150万年前というと、中生代白亜紀で、恐竜が繁栄していた時代です。大陸の配置も、現在とはまったく違いました。微生物は、とっても長い時間を生き延びていたのです。
――エサを食べた微生物は、ずっとそこにいたのでしょうか。
南太平洋環流内の海底下の堆積物は、遠洋性粘土という細かい粒子で構成され、みっちりと詰まっています。そういう環境では、1,000分の 1mmほどしかない小さな微生物であっても、堆積物中を動き回ったり、水の流れに乗って移動したりすることはできないでしょう。1億年前に形成された地層にいる微生物は、1億年前からずっと、そこに閉じ込められていたと考えられます。
――この発見は、たくさんの新聞やウェブメディア、テレビなどで取り上げられました。どのような反響がありましたか。
報道された記事へのコメント欄には、「ワクワクする」「すごいね」というものだけでなく、「今回の発見が新たな感染症に繋がるのではないか」「危険なのではないか」という内容のものが多くありました。
人間が住んでいる陸から遠く離れた海底下には、人間やその類縁の動物など、つまり感染相手となる生き物がいません。そのため、人間に感染し たり病気を引き起こしたりする微生物が存在している可能性は極めて低い、と科学的に広く認識されています。それでもリスクが完全にゼロというわけではありませんので、微生物が外に漏れ出さないように厳重な管理のもと、バイオセーフティレベル1という基準を満たした実験室でのみ実験を行っています。
「生きている」って何だろう?
――この研究について今後、どのように進めていこうとお考えですか。
微生物のゲノムを詳しく解析したいと考えています。
この微生物は1億年もの間、生命活動を極限的に低下させて生き延びてきました。生きるか死ぬかの瀬戸際ですから、エネルギーが必要な分裂も、ほとんどしていないでしょう。ということは、ほとんど進化していないかもしれません。
1億年前の地層に生きていた微生物のゲノムと、陸上にいる似た微生物のゲノムを比較することで、海底下の微生物が進化的にどのくらい置いていかれたのかを明らかにしたいですね。
私は今、「生きている」とは何か、ということに、とても興味があります。この微生物たちは1億年もの間、超低栄養環境でどのように生き延び たのでしょうか? 微生物は話すことができません。私たちが微生物のことを理解しなければいけないのです。そのためには、微生物のことを調べる技術が必要です。
私はこれまで、新しい技術をいくつか開発してきました。これからも、今ある技術で足らなければ、新しい技術をつくっていきます。実はゲノム解析についても、今回見つかった微生物は数が少ないので現在の技術では難しく、新しい技術が必要かもしれません。
技術開発を並行させながら、海底下微生物の研究を通して、「生きている」とは何か、その答えを見つけたいと思っています。
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