JAMSTECは国の研究機関だから民間企業の様に商品を開発し販売なんかしていないだろうと皆さん思っていませんか?そんなことはありません! JAMSTEC内には自分の創作物を売りさばこうと孤軍奮闘している人達もいるのです。研究の成果物といえば有名なのは論文や特許です。しかしそれ以外にも様々な形で研究者は社会に関わろうとしています。商品化もその一つです。研究をするために開発した技術やツールを自分たちのためだけでなく、商品化して広く社会に役立てようとしています。役立てたいだけなら無償で提供したらどうかと思う人もいるかもしれません。しかし研究には資金が必要です。すべてを国の税金に頼るのではなく、自らの研究成果や創作物の販売で得た収益を研究開発費に還元することで、国費の負担を抑えつつ、より自由で独創的な研究に挑戦しやすくなる利点があります。ここでは、その様な活動の中から生まれたソフトウェア『DEPTH』がどのように開発され、またどのように商品として売られることになったのかを紹介します。
現在、JAMSTECの付加価値情報創生部門(VAiG)では研究で培われたシミュレーション手法や解析ツールなどを集めた数値解析リポジトリ(NAMR)を整備しています。各部署で作成された数値解析手法群の情報を発信し多様なニーズに対応したツールを提供することによって社会の発展に貢献することを目指しています。この数値解析手法の開発には数理科学と計算科学が必要不可欠です。そして、この二つの道具を持っている部署がJAMSTECには存在します。それこそが数理科学・先端技術研究開発センター、MATです(図1)。MATには多種多様な研究者が在籍しており、ゲノム解析から細かい砂粒の動き、地球規模のマントル対流や地震断層の破壊、さらには惑星の進化や宇宙プラズマまで研究しています。そして、MATの研究者は各所に存在する謎を解き明かそうと常日頃から各々自分の道具を駆使してシミュレーション手法や解析ツールなどの武器を磨き上げています。その様な日々の鍛錬から生まれた武器の多くは他に類を見ない高価値な性能を持っており、社会が直面している問題を一刀両断できる可能性を秘めています。そのため、NAMRには2025年現在20個以上の数値解析手法群が登録されていますが、実にその半数近くがMATから生まれたものになっています。そして、その中のMAT印の武器の一つが『DEPTH』です。
図1 MATと社会の関わり。MATの研究者たちは社会と課題を共有し、それを解決する道具を数理科学と計算科学の力を駆使して色々と開発しています。『DEPTH』は、計算科学に基づく先進的技術を駆使して【多数の粒子運動】を【高速に計算】することで粒状体(砂や粉などの固体の粒子群)や流体(液体や気体)の動きを詳しくシミュレーションすることが可能です。既往の粒子法計算ソフトウェアと比較して、粒状体挙動を扱うDEM(Discrete Element Method)の大規模計算が可能であることが『DEPTH』の大きな特徴です。DEMでは粒子間の接触点ごとに複雑なデータ操作が必要であるため、その大規模並列化の技術的難易度が高いですが、『DEPTH』はそれを可能にする機能を有しています。加えて『DEPTH』では流体を扱うSPH(Smoothed Hydro Dynamics)やCFD(Computer Fluid Dynamics)の機能を利用することができるため、様々な分野の研究に応用できます。実際に、土砂崩れや津波などの自然災害、惑星形成、トンネル掘削、海底資源開発、海洋インフラ開発(図2)、コンクリートの打設(図3)、道路の陥没(図4)、セラミックス材料の製造など、粒状体や流体を扱う幅広い分野で『DEPTH』が利用されています。その様な先進的で学術的にも産業的にも多くの応用先を持つソフトウェアがどのように生まれたのでしょうか?
実は『DEPTH』には『DEMIGLACE』ソースという美味しそうな名前の先代商品が有ります。『DEMIGLACE』は2009年に発売され、世界に先駆けてGPU(Graphics Processing Unit)による超高速計算を可能にした粒子法シミュレーションソフト(図5)でした。さて、GPUって何でしょうか?皆さんが今見ている画面に映像を出してくれているのがGPUです。スマホでもテレビでも4Kとか画面の解像度を気にされたことがあるのではないでしょうか?画面には目に見えないぐらい小さな素子が解像度の数だけ存在しており、GPUが計算して全ての素子に同時に様々な色を瞬間的に点灯させているのです。つまり、GPUはものすごい数の計算を同時に行える(並列計算)ので、GPUを使えばシミュレーション結果があっという間に出てくるはずです。ところが、現在ではGPUは科学計算のみならずAI開発の分野においても著しい発展を遂げていますが、当時はまだGPUを科学計算に使用した例は非常に少ない時代でした。そのため、粒子法シミュレーションにGPUを使うこと自体が大変難しかったのですが、JAMSTECではGPUの性能を効果的に発揮することが可能な独自手法を開発し(Nishiura and Sakaguchi, 2011)、その成果は学術的にも認められ2010年に日本計算工学会の論文賞を受賞ました。そして、その手法を搭載したソフトウェア『DEMIGLACE』を商品化し、これまでに特に土木などの産業分野で多く利用され続けて1億円近い売り上げを達成しています。『DEMIGLACE』を導入すれば、スパコンの様な高価なハードウェアが無くても、デスクサイドでシミュレーション結果が即座に得られます。つまり、仕事の効率化すなわち民間企業の利益につながったことが、売り上げ1億円につながったと考えられます。
図5 『DEMIGLACE』販売時に使用したパンフレットの一部:当時はGPU計算に対応した世界初のDEMシミュレーションソフトとして飛躍的な高速化を実現したことで注目を集めた。しかし、ここ数年は残念なことに『DEMIGLACE』はあまり売れていません。なぜなら、『DEMIGLACE』には【共有メモリ型の並列計算手法】しか実装されていないため、複数台のGPUを使用した【分散メモリ型の並列計算手法】による大規模シミュレーションが行えないのです。さらに、近年はGPUが非常に高価になり、昔の様に劇的にコスパの良いハードウェアではなくなってしまいました。しかし、この様な展開になることを見越していたわけではありませんが、『DEMIGLACE』を販売するかたわらJAMSTECでは複数CPUを用いた大規模シミュレーションコードの開発を2011年頃から始めていたのです。
2012年6月に、あの2位じゃダメなんでしょうか?で脚光を浴びたスーパーコンピュータ「京」(以下「京」と記す。)が完成しました。個人的には1位じゃなくても自分が普段使っているシミュレーション手法にとって実行しやすく計算速度や計算規模が飛躍的に向上するのであれば助かるなと思いましたが、現実は後で少し述べますが簡単ではないです。JAMSTECでは「京」が完成する少し前の2011年度から、『HPCI戦略プログラム』の分野3「防災・減災に資する地球変動予測」に参画し、「京」を使用するために新しい粒子法シミュレーションの開発プロジェクトを始めました。このプロジェクトでの開発コードネームが『DEPTH』です。「京」は82,944個ものCPUを搭載しています。そのため、「京」を利用して高速に計算するためには各CPUコアにおける演算性能を十分に引き出したうえで、共有メモリを用いたコア間の並列、さらにCPU間を跨いだ分散メモリ並列の計算手法を新たに開発することが必須となりました。これらの要件は、「京」の後継機であるスーパーコンピュータ「富岳」(以下「富岳」と記す。)、またJAMSTECの4代目地球シミュレータ「ES4」においても同様で、『ポスト「京」重点課題3』、『次世代領域研究開発』、『HPCI「富岳」一般課題・試行的利用課題』などの各種プロジェクトを通じて、計算科学による先進的な学術成果と社会貢献を目指し、汎用性を意識した『DEPTH』の開発を進めてきました。
「ES4」、「富岳」や「京」といった大規模計算機システムを効果的に使用するためには、コア単体、共有メモリそして分散メモリといった階層型のハイブリッド並列化が必要です。例えば、「京」に使われている演算機が独特であったため、『DEPTH』にとってはキャッシュの構造を熟知している専門家の助け無しでは高速化できない様な細やかなチューニング技術が必要になりました。また、マルチコアの並列化すなわち共有メモリ型の並列化も重要性を増しました。それは、「京」から「ES4」や「富岳」への進化によりコア数は8コアから64コア(AMD EPYC 7742)や48コア(Fujitsu A64FX)に増加していることから、CPU内の効率的な並列処理が性能の鍵を握るためです。幸いにも共有メモリ型の並列化手法は前述したGPUにおける排他制御手法がそのまま使用でき、『DEMIGLACE』からの一子相伝技術として『DEPTH』に備わっており効率的な共有メモリ並列が実現できています。つぎに、分散メモリ型の並列化はどうでしょうか?これも一筋縄ではいかない難問でした。まず、粒子法シミュレーションでは基本的に粒子群が空間内を動き不均一に分布するため、並列計算のために一様に分割した空間領域を計算領域としてCPU毎に割り当てた場合に、CPU間で計算負荷が不均一になり演算の同期待ちコストが増加します。また、CPU間ではデータの通信が必要になりますが、CPUを沢山使えば使うほど演算コストに比べて通信コストが増加します。いずれも、並列計算の効率を低下させ、CPUを沢山使ってもその効果が得られにくくなってしまいます。特に何万といった膨大な数のCPUを搭載した大規模計算機システムを有効活用するためには、極めて高いレベルの高効率な並列計算技術を開発する必要が有ります。これらの課題に対して、改良型スライスグリッド法による領域分割法、計算時間ベースの負荷バランス評価法、擬ニュートン法とマルチグリッド法による分割領域移動法これらを組み合わせた動的負荷分散アルゴリズム(Furuichi and Nishiura, 2017)およびその3次元領域分割化や、粒子番号の並び替えによる通信の効率化、通信と演算のオーバーラップ処理など、粒子法における大規模並列計算の高性能化を実現する数多くの独自技術を開発しました。これらの結果、『DEPTH』は高度なハイブリッド並列化技術を有するソフトウェアとなり、それを用いた数値砂箱実験シミュレーションは10億粒子を超える世界最大規模のDEMシミュレーション(図6)として学術的評価を得ることができました(Furuichi et al., 2018)。さらに、『DEPTH』を使用した砂箱シミュレーションに関する研究(Nishiura et al., 2021)は2020年に粉体工学会論文賞も受賞しました。
図6 断層形成の砂箱シミュレーション。(a)実験結果、(b)24億粒子、(c)2億粒子のシミュレーション結果:シミュレーションで扱う粒子サイズを実験と同等にまで近づけることで、実験で観測された断層構造を高精細に再現できている。当時、プレスリリースもされた。近年の「ES4」や「富岳」を活用した研究では、『DEPTH』による大規模粒状体計算を武器とした研究を実施しています。例えば、数値砂箱実験の進化版である数値岩石箱シミュレーション(図7)では、構造発達から地震発生までの地震発生帯における一連のプロセスを、粒状体挙動としてシームレスに再現することで、構造発達から地震に至るメカニズムの統一的理解に挑戦しています (Furuichi et al., 2024)。また、100億規模の粒子数を扱う研究(図8)では、高精度な大規模シミュレーションを用いて熊本地震による阿蘇大橋地区の地滑り現象の再現とメカニズムの解明に挑んでいます(Chen et al., 2024)。
図7 数値岩石箱実験による地震のシミュレーション:粒子間の摩擦運動が間欠的に発生し、生じた波動が約500万粒子で構成される媒質中を伝わる様子が再現されている。
図8 阿蘇大橋地区の地滑りシミュレーションによって得られた地滑り領域。(a)航空写真、(b)粒径1m、(c)粒径1mで5m岩塊有り、(d)粒径0.2m:実際の条件に近づけるために岩塊を考慮したり粒経を小さくすることで、土砂の輸送距離が観測事実に近づくことが分かる。この様に計算科学、地球科学において高い評価を得ている『DEPTH』ですが、ここまでは研究者が自分の研究のために開発したコードに過ぎません。つまり汎用性が無くユーザビリティも低いため、『DEPTH』を研究グループ以外の人が利用することは極めて難しいです。そこで、2020年ごろから『DEPTH』の産業利用を目的として、シミュレーションコードの洗練化を行い始めました。具体的には、マニュアルの整備を始め、CADを利用した任意形状の境界条件設定やシミュレーションに必要なプリポスト処理や実行操作の簡略化などが挙げられます(図9)。これにより、ユーザーはCADと入力ファイル1つを準備すれば、1行のコマンドだけでシミュレーションの実行と解析結果の可視化データ処理まで行うことが可能になりました。そして、2022年に満を持して商用版の『DEPTH』を販売開始しました。初版はDEMの機能のみでしたが、2023年にはVer.2でCFDを、Ver.3ではSPHを実装し、DEM-CFDおよびDEM-SPHによる連成手法により混相流解析を可能にしました。さらに、2024年のVer.4では粒子間の相互作用モデルとして付着力と粘塑性力、2025年のVer.5では固着力を追加しました。これらのバージョンアップに伴う追加機能の多くは、産業界との共同研究において寄せられた要望に応えたものであり、『DEPTH』の産業利用促進につながりました。また、地盤工学会や計算工学会などの関連学会と協力してV&Vに関するベンチマークテストを行い、『DEPTH』の信頼性についても証明されています(Saomoto et al., 2023、Fukumoto et al., 2025)。これらの、『DEPTH』の高い計算性能と実用化実績が評価され、令和4年度の地球シミュレータ最優秀課題賞、また令和6年度のHPCI利用研究課題においては全211課題の中から顕著な成果を達成した8課題に与えられる優秀成果賞を受賞しました(図10)。
図9 『DEPTH』の宣伝パンフレット。『DEPTH』は社会のニーズに応じて日々アップグレードしており、その都度パンフレットも更新しています。
図10 2025年10月24日に行われた第12回「富岳」を中核とするHPCIシステム利用研究課題成果報告会の中で執り行われた優秀成果賞受賞式の様子。筆者は右から4人目。
今現在世界はAIで活況となり、これに応じて今後は「富岳NEXT」を含め世界的に見てもスパコンはGPUを多く搭載した仕様になりつつあります。そのため、『DEPTH』も近い将来再びGPU化し、次世代計算機システムに対応した計算アルゴリズムの開発により計算科学の発展に貢献したいと考えています(図11)。また、AI等を活用した大規模データ解析やシミュレーションに使用するパラメータ同定など、『DEPTH』の機能拡充も図っていきます。そして学術分野のみならず産業界にますます貢献できるよう社会のニーズに応じてバージョンアップしていきます。今後も引き続き、『DEPTH』の普及により各企業や大学・研究機関が所有する模計算機資源の活用を促進し、Made in JAMSTECの高性能・高信頼性技術で分野を問わず産業と学術の発展に貢献していきたいと思います。
図11 『DEPTH』による学術と産業への貢献。最先端の計算科学技術を用いて開発された『DEPTH』の普及により様々な分野の学術と産業の発展に貢献します。最後に一番大切なことを言い忘れていました。タイトルにもあるように「誰でもMade in JAMSTECのソフトウェアを買えるの?」については、ライセンス契約に同意すれば誰でも購入できます。『DEPTH』は家電量販店とかではなく、JAMSTECから直接ご購入頂けます。『DEPTH』の導入やさらに詳しく知りたい方はこちらから「JAMSTECの知的財産を使ってみたい方」にお問い合わせください。また学会等で私を含め『DEPTH』を開発している研究者に直接ご相談頂くことも可能です。これまで実際のところは、『DEPTH』の購入者の多くは学会等でお知り合いになった企業・大学関係者様がほとんどです。また、販売代理店もご用意しております。現在、アドバンスソフト株式会社からご購入いただけますので、そちらも合わせてどうぞよろしくお願いいたします。
[参考文献]