この夏も日本では豪雨による気象災害が起こりました。また、今年はすでに台風4号や8号が上陸し、最近も11号によって大雨がもたらされています。1時間の雨量が50ミリを超える豪雨、最高気温が35℃を超える日(猛暑日)、このような気象のことを「極端現象」と呼びます。
この極端現象を引き起こすものが何かを探る研究を行っているのが、JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)地球環境部門の大気海洋相互作用研究センターです。気象災害が激甚化・頻発化している可能性も指摘されているなか、同センターの米山邦夫センター長は、近年、「大気の川」と呼ばれる現象が注目されており、豪雨の発生には大気の川が深く関わっているのではないかと話します。
そこで、この大気の川という未知の現象について研究している同センターの趙寧(チョウ・ネイ)研究員に話を聞きました。
趙 寧(チョウ・ネイ zhao ning)
国立研究開発法人 海洋研究開発機構 地球環境部門 大気海洋相互作用研究センター 研究員。2010年7月、上海海洋大学 海洋漁業科学と技術専攻 卒業。
2013年7月、上海海洋大学 環境科学 修士課程修了。
2017年10月、九州大学 大気海洋環境システム学専攻 博士課程 修了。
2017年10月~2019年3月、九州大学 応用力学研究所 学術研究員。
2019年より現職。大気海洋相互作用、水蒸気輸送、短周期降水をテーマに研究を行っている。趣味は研究と写真撮影(おもに風景写真)。
8月の東北地方豪雨にも大気の川があらわれている
8月9日に、秋田県と岩手県を中心に東北地方で記録的な大雨が降りました。
下の図1を見てください。これは8月9日21時の日本列島付近の水蒸気の量をあらわしたものです。朝鮮半島から東北地方にかけて、緑色で示された帯状のエリアが細長く伸びているのが見えます。この緑色の帯は、とくに水蒸気を多く含んだ大気があることを示していて、これがまさに「大気の川」なんです。
図1は、水蒸気の量に応じて色分けしてあります。鉛直方向に含まれる大気中の水蒸気を集めて液体の水にしたときの量を示しています。たとえば明るい緑は50ミリですから、地表から大気の一番上までに含まれる水蒸気を水にしてコップに入れたら、高さが50ミリになるということです。
──大気の川、実はこれまで聞いたことのない言葉だったのですが、どのようなものなんでしょうか?
まず、地上には川があり、その川は水を運びますね。大気の川は、大量の水蒸気を含んだ大気が、まるで川のように流れているものなんです。大量の水蒸気を運ぶため、大気の川は大雨をもたらすこともあります。
8月9日も、あらわれた大気の川によって大量の水蒸気が東北地方に流れこみ、それが大雨をもたらしたのだといえます。
大気の川は数千キロにおよぶ地球規模の現象
──上空にも「川」が流れているなんて思ってもいませんでした。
川といっても、運んでいるのは目に見えない水蒸気ですから、空を見ても実際に見えるわけではありません。また、地上の川とはスケールもだいぶ異なります。大気の川は、幅数百キロメートル、長さ数千キロメートルにもなる大規模な現象なんです。
この動画を見てもらうとわかりやすいと思います。
これは大気中の水蒸気量が日々どのように変化するかを示した動画です。色の濃いところが水蒸気を多く含む大気を示しています。これを見ると、赤道付近から東西方向に細長い大量の水蒸気の流れが、何本も出ては消えているのが見えます。これが地球規模で見た大気の川の流れなんです。
──私たちが思い浮かべる川とはスケールがまるでちがうんですね。
スケールもそうですが、地上を流れる川とのちがいでは、大気の川には明瞭な境界がないことも挙げられます。地上の川は、川と陸に明らかな境界があります。しかし、大気中にはどこでも水蒸気が含まれているので、大気の川とそれ以外の場所をはっきりと線引きすることは難しいのです。
また、大気の川は比較的新しい研究分野のため、まだ数値を使った明確な定義がありません。水蒸気量や幅、長さで規定されているわけではないのです。そのため、研究者により定義がさまざまとなっており、私は周囲より水蒸気量の多い大気が、細長い形で流れる現象のことを、大気の川と呼んでいます。
「令和2年7月豪雨」が研究のきっかけだった
──大気の川は、いつごろから知られている現象なんですか?
世界的には1990年代に発見されて、2000年代に入ってから本格的な研究が始まりました。主にアメリカを中心に、大気の川と大雨の関係が研究されてきました。
私が大気の川の研究を始めたのは、今から2年前の2020年です。もともと、私は上海海洋大学や九州大学で大気と海洋の相互作用について研究をしていて、2019年からJAMSTECで研究を始めています。
JAMSTECに入った翌年に起こったのが、「令和2年7月豪雨」と呼ばれる記録的な大雨でした。この豪雨では、熊本県などで大きな被害が出ました。実は、このときの豪雨でも大気の川が影響を与えていたのです。これをきっかけに、私は大気の川の研究を本格的に開始しました。
──令和2年7月豪雨に関しては、どんなことがわかったのでしょうか?
当時、九州から本州の広い範囲を覆うように大気の川が日本を横切っていたのです。そのため大量の水蒸気が日本に流れこんでいました。その大気の川の中で、九州に大規模な「線状降水帯」が発生し、大雨が降ったのです。
私は、九州に豪雨をもたらした大量の水蒸気が、どこからどういうルートを通ってやってきたのかを明らかにする研究を行いました。
下の「動画2」は、そのとき行ったシミュレーションの結果です。緑や赤の点は、水蒸気を含む空気のかたまりをあらわしています。
日本上空に生じていた大気の川は、「中国大陸から日本に続くルート」と、「南の海上から日本に続くルート」の二つが合流するような形で形成されていました。
当初、私は水蒸気もその二つのルートを通って九州にやってきたと思っていたのですが、シミュレーションの結果はちがいました。豪雨をもたらした水蒸気の80%以上は南の海上から供給されていて、中国からはほとんど来ていなかったのです。この研究で、初めて水蒸気の由来を定量化して示すことができました。
大気の川は、日本の豪雨の7割以上に関係している!
──梅雨や台風など、日本は雨が降ることが多い地域です。大気の川は日本の気候にどんな影響を与えているでしょうか?
東アジアにおける大気の川の季節変化を調べた研究があります。それによると、3月から9月にかけて日本上空に大気の川が発生しやすいという結果が出ています。中でも梅雨と秋雨の時期は大気の川の発生頻度が高くて、その時期の降水の3〜4割は大気の川が運んできた水蒸気によるものだという研究結果が出ています。また、別の研究では、日本で発生する豪雨の7割以上に大気の川が関係しているという結果も出ています。
先ほど話したように大気の川の明確な定義はないため、ある水蒸気の流れが大気の川かどうかを判断する基準は、研究者によって多少変わります。そのため、雨の何割が大気の川によるものかも研究者によってずれが生じるのですが、日本の夏と秋に降る雨の多くに大気の川が影響を与えていることはまちがいないと言えるでしょう。
──大気の川が発生すると、必ず雨が降るのでしょうか?
よく誤解される点なのですが、大気の川があるからといって、必ず雨が降るわけではありません。大気の川の途中に、水蒸気を雨に変える何かが存在しないと雨は降らないのです。たとえば、途中に山があって水蒸気を強制的に上昇させたり、上空に寒気が入って大気が不安定な状態になったりすると、雨雲が生じて雨が降ります。
逆に、大気の川がなくても大雨が降ることはあります。たとえば、台風は大気の川とは関係なく大雨をもたらすことがあります。熱帯から日本に向けて細長い大気の川が頻繁に伸びていますが、台風は独立した現象なので、台風と大気の川がつながるときもあれば、つながらないときもあります。
大気の川は、台風のようにそれ自身が大量の水蒸気を運ぶ激しい現象とちがって、ほかの低気圧や前線などの影響を受けて生じる受動的な現象なんです。さまざまな現象が組み合わさった結果として生じた多量の水蒸気の流れが、大気の川だといえます。ある意味では、大気の川がそれぞれの現象による結果だと考えても、いいかもしれません。
大気の川と線状降水帯の関係とは?
──日本では最近、線状降水帯による豪雨被害が頻発しています。大気の川と線状降水帯はどのような関係にあるのでしょうか?
令和2年7月豪雨のときは、大気の川の中に生じた線状降水帯が大雨をもたらしました。雨が降るためには水蒸気が必要ですから、水蒸気を供給する大気の川は線状降水帯を発生させる1つの要因になります。ただ、先ほども話したように、大気の川があるからといって必ずしも雨が降るわけではありません。
大気の川と線状降水帯は、スケール感からして大きくちがう現象です。長さがときに数千キロメートルにもなる大気の川に比べて、線状降水帯は長くても200キロメートル程度です。これだけ規模のちがう現象の間にある関係性を見極めるのは、とても難しいと思います。線状降水帯の発生に大気の川がどのように関わっているのかを明らかにするのは、これからの研究課題ですね。