今年も日本各地に被害をもたらした台風。9月には12-18号が発生しました。
現在、JAMSTECで行われている台風研究において強力な武器となっているものが、地球上のひとつひとつの雲の動きを計算できる「NICAM(ニッカム)」という高性能な数値シミュレーション・モデルです(前編「世界中の雲の生成を計算して、台風の動きを予測する!」)。この「NICAM」を用いて台風研究を行っている、同センター・雲解像モデル開発応用グループの那須野智江主任研究員に、台風のメカニズムから「NICAM」を用いた研究の最前線までをうかがいました。
那須野 智江
国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球環境部門 環境変動予測研究センター 雲解像モデル開発応用グループ 主任研究員・グループリーダー
東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻 博士課程修了。理学博士。2000年より、JAMSTEC地球フロンティア研究システム モデル統合化領域に在籍、地球環境変動領域 次世代モデル研究プログラム、基幹研究領域 シームレス環境予測研究分野を経て、2019年より、現職。2021年10月より、横浜国立大学 先端科学高等研究院 台風科学技術研究センター 客員教授。専門は、気象学、気候学、数値モデル。公益社団法人 日本気象学会会員。(撮影:松井雄輝・講談社写真部)
那須野 智江
国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球環境部門 環境変動予測研究センター 雲解像モデル開発応用グループ 主任研究員・グループリーダー
東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻 博士課程修了。理学博士。2000年より、JAMSTEC地球フロンティア研究システム モデル統合化領域に在籍、地球環境変動領域 次世代モデル研究プログラム、基幹研究領域 シームレス環境予測研究分野を経て、2019年より、現職。2021年10月より、横浜国立大学 先端科学高等研究院 台風科学技術研究センター 客員教授。専門は、気象学、気候学、数値モデル。公益社団法人 日本気象学会会員。(撮影:松井雄輝・講談社写真部)
世界初の全球雲解像モデルの誕生
――NICAMはいつ生まれたんですか?
私は2000年からJAMSTECに所属していますが、その前は、大学院で雲の1つ1つを計算する「非静力学台風モデル」を用いて、雲がどのようにしてできて、最終的に台風になるのかを研究していました。JAMSTECに入った頃は、当時世界最高速度のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」がJAMSTECにもうすぐできるというタイミングでした。
そのとき、JAMSTECの松野太郎先生が、スパコンを使って全球の雲をひとつひとつ細かく計算するモデルを開発する研究プロジェクトを立ち上げたんです。
これがNICAMの始まりです。そのプロジェクトに、東京大学大気海洋研究所の佐藤正樹先生(プロジェクトリーダー)と、理化学研究所の富田浩文先生、そして私が参加することになりました。
格子に区切る方法や、雲を計算する方法などを開発していき、2005年に、地球シミュレータを使って、世界に先駆けて全球の雲解像数値シミュレーションを実現させました。
雲解像モデル開発の裏側には!
――NICAMは雲解像モデルのパイオニアなんですね。
はい、その後、若くてエネルギーのあるメンバーが続々とこの「全球雲解像」モデル開発プロジェクトに加わり、今ではJAMSTECのほか、東京大学、理化学研究所、国立環境研究所などの多くの研究者と組織の枠を超えて共同開発しています。
NICAMはさまざまな世界初を実現してきました。
地球を3.5キロメートルという細かいメッシュに区切って10日先まで予測したり、14キロメートルの大きなメッシュで30年もの長期間の予測を行ったりしたのは、NICAMが世界で初めてです。
NICAMが出てくるまでは雲をひとつひとつ計算するモデルはありませんでしたから、それなりの大変さもありました。
たとえば、従来型の気候モデルとはちがった結果が出てくることもありました。地球温暖化が進むことで世界各地にどんな影響が現れるかを予測してみると、NICAMは従来型の気候モデルとはことなる傾向を出す場合があります。
原理的には正しいことをやっているはずですが、さまざまな調整は人間がやっているわけですから、もちろん不完全なところもあります。NICAMの結果が従来型の気候モデルよりもつねに正しいというわけではありません。しかし、従来型のモデルに真っ向勝負するわけですから、ある意味“とがった”仕事だと思います。まだまだ、雲解像モデルのパイオニアとして頑張らないといけないと思っています。
NICAMの予測精度を比較すると
今はNICAMだけでなく、世界各地の研究機関で全球の雲解像モデルが開発されています。雲解像モデル間で比較すると、モデルによって一長一短があることがわかっています。台風の予測に関していえば、NICAMはある程度標準的なパフォーマンスを出せているといえます。
2017年に、日本にある3つのモデルを使って、台風の進路や強度を予測する比較実験を行ったことがあります。NICAMのほかに、JAMSTECの「MSSG」と気象庁の「DFSM」というモデルを使って比較しました(「全球高解像度シミュレーションにより台風予測精度が向上 複数のモデルと多数の事例で高解像度化の効果を定量的に確認」)。NICAM以外は雲解像モデルではありませんが、従来よりも細かいメッシュで大気の計算を行える高精度なモデルです。
過去に発生した137個の台風をベースに、3つのモデルごとに、計算によってその進路や強度を再現することを試みました。従来の粗いメッシュで計算するモデルよりは、3つとも高い精度で予測ができていました。3つの中ではNICAMはちょうど中間程度の成績でした。
ちなみに3つのモデルの結果を足し合わせたものをアンサンブル実験といいますが、アンサンブルがいちばん良い成績を出しました。これは、おたがいの誤差を消し合えるからなのかもしれません。
この比較実験の結果から、やはりどんなモデルにも一長一短があって、別のモデルと比較したり、実際の観測データと比較したりしながら、精度を良くしていく努力が必要なんだとわかりました。
2019年には、世界中の9つの雲解像モデルを使って、台風の風速の時間変化を予測する比較実験も行われました。その実験で、NICAMは比較的、実際の観測値に近い結果を出すことができています。
台風の進路をほぼ正確に再現した!
――NICAMで台風の進路予想をすることはできるんですか?
現状では、台風の進路予測を目的としたリアルタイムの数値シミュレーションを経常的に行ってはいません。
NICAMを用いたリアルタイムのプロダクトとしては、JAXAと理化学研究所・東京大学大気海洋研究所の共同プロジェクトで開発・運用されているNEXRAというシステムをGSMaP理研ナウキャストと組み合わせた「世界の気象リアルタイム」があります(日本域は非表示)。
――NICAMを使った進路予想は、ぜひ見てみたいですね。
2008年に発生した過去の台風を題材にして、NICAMとほかの「全球大気モデル」で台風の進路を予測した研究があるので紹介します。
結論からいえば、NICAMは実際の進路にとても近い結果を導き出すことができました。
実験のもとにした台風は、フィリピンに上陸後、日本に向かって北上することなく西に移動して中国大陸に上陸するという進路をとった台風6号(アジア名:フンシェン)です。この台風は、現業予報の台風進路の誤差が大きい事例として注目を集めました。
この台風では、台風の西側に新しい雲がたくさん生じていたために、西側で上昇気流が強くなり、その影響でどんどん西側に移動していくという現象が起きていました。NICAMでは、そのような雲と上昇気流の発生を計算でシミュレーションできたので、実際の進路に近い結果を出すことができました(図4)。
一方、雲を詳細に計算しない、従来型の全球モデルによる予測では、台風中心の西側での雲の発生を十分に表現することができず、周囲の風に流されて北上する傾向が強くなりました。その結果、実際に観測された台風の進路とは大きくちがったものになったんです。
台風の発生に影響を与える“季節内振動”とは?
――台風の理解が進めば、進路だけでなく、発生数や強度など、さまざまなことが予測できるようになりそうですね。
台風の発生には、熱帯のさまざまなスケールの現象が影響を及ぼしています。たとえば、赤道付近では、「季節内振動」と呼ばれる現象があり、大きな雲のかたまりが30~60日の周期で周回しています。季節内振動に伴い、雲の発生が活発な場所と不活発な場所が周期的に入れ替わり、活発な時期には台風が発生しやすくなることが知られています。
また、夏季のアジア太平洋域では、「モンスーン」と呼ばれる降水活動の強まりや、対流活動に好都合な大気循環場が、季節進行に伴って現れます。これらの現象によって条件が整うと、台風がまとまって発生する傾向が見られます。
季節内振動によって雲の発生が活発になると、必然的に台風が発生する確率も上がります。NICAMは季節内振動の兆候をとらえることで、台風の発生を2週間前から予測することに成功しています(「台風発生の2週間予測が実現可能であることを実証 台風発生予測の実用化に向けた第一歩」)。
台風以外の豪雨予測では?
――近年、日本では豪雨による被害が起こっています。たとえば、「線状降水帯」などの発生予測にも、NICAMは利用できますか?
NICAMは、基本的に地球規模(全球)でおきるようなスケールの大きな現象を予測することが得意なモデルです。一方の線状降水帯は、50〜100キロメートル前後の非常に局地的な現象です。
たとえば九州で線状降水帯が発生するかどうかを予測しようとするとき、NICAMのように地球の裏側の雲の動き方まで計算するようなモデルは必要ありませんし、計算によけいな時間がかかってしまいます。そのため、線状降水帯の予測には、全球を計算するNICAMではなく、地域を限定して計算する別のモデルを開発したほうが良いと思います(「富岳」成果創出加速プログラム 防災・現在に資する新時代の大アンサンブル気象・大気環境予測。 文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究「変わりゆく気候系における中緯度大気海洋相互作用のhotspot」)
ただし、熱帯の季節内振動が日本付近の線状降水帯の出現にどんな影響を及ぼすのかとか、台風と線状降水帯にはどのような関係があるのか、などの地球規模の現象と線状降水帯の関係を研究するような場合には、NICAMの特徴が生かせるかなと思います。
NICAMは、870メートルという、1キロメートルを切る非常に細かいメッシュで計算することもできます。ここまでメッシュを細かくすれば線状降水帯のような局地的な現象にも応用できる可能性が出てきますが、細かくするほど計算には時間がかかりますから、これは今後の課題ですね。
NICAMを使って台風への理解を深めたい
――今後、NICAMを使ってどんな研究を行う予定ですか?
やはり、台風の理解をもっと深めたいですね。
地球温暖化の進行で、台風の発生数や強度にどんな変化がおきるかについては、世界中でさまざまな研究が行われています。その一環として、NICAMを使って、熱帯の海面水温が変化したときに台風の発生の仕方がどう変わるかを分析したり、日本の近くの中緯度の海面水温が変化したときに台風の強度や進路がどう変わるかを分析したりする研究を始めています。
世界のモデル研究の流れとしては、高解像度で全球をシミュレーションする方向へと進んでいます。気候研究の分野では、現実の地球と双子の関係にある、精巧な仮想の地球をつくろうというプロジェクト、例えば、世界気候研究プログラム(WCRP)による「デジタル・アース」プロジェクトも進行中です。これは「デジタルツイン」と呼ばれる発想の1つですが、仮想地球を使って、これから地球に何がおきるかを予測しようというわけです。
――興味深いプロジェクトですね!
すぐに結果が出ることを期待せずに、じっくり見守っていくべきだと思いますね。正確に予測できるようになるまでに時間がかかることは、NICAMの20年以上にわたる研究で身にしみて感じています。精度の良い予測の実現には、モデルの調整などの地道な努力が必要なんです。
NICAMの今後の性能アップに関しても、JAMSTECだけでなく、共同研究を行っている方たちと試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ進んでいくものだと思います。
将来、台風を制御する日をめざして
――NICAMで台風の理解が進んで、台風による被害が減らせることを期待します。
民間企業を含めて災害予測に関係する人たち全員で手を組んで、安全な社会の実現に近づけたいなと思っています。NICAMは、それに確実に貢献できるツールだと考えています。
昨年9月に内閣府の事業「ムーンショット目標8」が決定されました。それは「2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現」というものです。
この目標を達成するためのプロジェクトの一つ「タイフーンショット」に、NICAMの研究グループも参加しています。
人為的介入によって台風の強さや進路を変化する手法を確立しようという、かなり挑戦的な目標です。この目標を達成するためには、どんなことをやれば台風の強度や進路が変化するのか、最小限の介入で最大限の効果を得るためにはどんな手法が有効かなどを見定める必要があります。そのために介入を想定した(海面条件や雲・降水の生成過程等に変更を加えた)さまざまな数値シミュレーションを行い、台風にどんな影響がおよぶかを分析するわけです。
台風を制御する技術が開発されても、その技術の使用によって地球環境にどんな影響が出るのかが示されていなければ、社会に受け入れられることはありません。たとえば台風が日本に上陸しなくなる代わりに、ほかの国に頻繁に上陸するようになったり、日本で雨が極端に少なくなったりしては意味がありませんから。それを評価するためにもNICAMはとても有用なツールなんです。
取材・文:福田伊佐央
イラストレーション:鈴木知哉(あざみ野図案室)
写真撮影:松井雄希・講談社写真部