更新日:2020/10/05

台風強化に寄与する黒潮の遠隔影響を捉える!

台風発達のエネルギー源は水蒸気の凝結に伴う潜熱であることは言うまでもありません。そのため、大気中に豊富な水蒸気が存在している熱帯海洋上で、 台風は発生・発達していきます。日本近海に接近してくる台風でも、台風システム内に継続的に水蒸気が供給されれば、勢力を維持することができます。

台風の発達理論は様々ですが、全て軸対称構造を仮定しています。理想化実験などから台風の2次循環(動径方向の鉛直循環)内で海面から蒸発した水蒸気が 台風の内部コアに輸送され、上昇流によって上空で凝結が起こり潜熱を解放することで上昇流をさらに強めるフィードバックが生じる一方、 2次循環に伴う内向きの動径風(インフロー)によって外側から絶対角運動量が内部コアに輸送されるため、接線風速が加速されていくというプロセスは どの理論でも共通です。

しかし現実大気においては、完全な軸対称構造をもった台風はほとんど存在しません。仮に発生初期に典型的な軸対称構造をもった台風でも、 発達しながら移動していく過程でその構造が歪んだりすることは頻繁に観測されます。そのため、実際に観測される台風の2次循環の範囲を同定することは ほぼ不可能といって良いかもしれません。となると、ある台風の発達をもたらす水蒸気は一体どのくらいの広さの領域(海域)から供給されているのでしょうか。 このような本質的な問いに対する明快な答えはこれまで皆無でした。上述の問題を明らかにするために、私たちが行っている研究の成果の一部をここで紹介します。

図1:(a)台風Chaba (2010)の衛星画像と海面更正気圧の分布。(b)衛星観測に基づく海面潜熱フラックスと海上風の分布。灰色の領域は欠測。

秋台風の典型事例として台風Chaba (2010年台風14号)に注目しました。Chabaが南西諸島の南方海上を北上している時の海面更正気圧をみると、 日本付近の移動性高気圧と台風との間で気圧差が大きくなっています(図1a)。そのため、黒潮上では北東風が強まり、黒潮からの海面蒸発が 活発化していることがわかります(図1b)。熱フラックスとしては500 W/m2を超えています。そこで、雲解像領域モデルを用いて黒潮(図2aの緑枠内)の 海面潜熱フラックス(LHF)改変実験を行いました。具体的にはLHFを50%減少させた実験とLHFを0%にした2種類の実験を、 再現実験(コントロール実験)と比較しました。その結果、黒潮のLHFを人為的に減少させる、あるいは除去すると、 LHF改変領域から十分遠距離に台風が 位置しているにもかかわらず、台風の発達が明らかに抑制されることがわかりました(図2b)。これは環境風による黒潮からの水蒸気流入フラックスが 台風発達に重要であることを意味しています。

図2:(a)台風Chaba (2010)の経路。緑枠内が海面潜熱フラックス改変領域。(b)台風の中心気圧(実線)と最大風速(点線)の推移。 再現実験(コントロール実験)は黒線、潜熱フラックス50%減少実験は青線、潜熱フラックス除去実験は赤線で示す。

LHF感度実験では、中緯度起源の乾燥空気は黒潮からの水蒸気供給をほとんど受け取れないので、 境界層のインフロー内の相当温位は減少傾向にあり(図3)、 台風の壁雲付近の対流による上昇流・下降流の弱化を促進させることになります。そのような変化は台風発達の抑制因子として作用すると考えられます。 もし総観場が好適な条件を満たせば、このように黒潮は北西太平洋の台風の強度に遠隔影響をもたらすポテンシャルをもっていることが初めて明らかになりました。

図3:台風中心近傍の高度500mでの相当温位(陰影)と水平風(ベクトル)の分布。 (a)再現実験、(b)潜熱フラックス50%減少実験、(c)潜熱フラックス除去実験。赤い円は台風の内部コア領域を示す。

以上の結果が果たして妥当であるのか、その信頼性を高めるために、LHFを50%増加させた改変実験も併せて行いました。私たちはコントロール実験よりも 台風の発達が強化されると予想しましたが、再び台風の発達が抑制される結果となり、予想は見事に裏切られました。一見すると矛盾した結果ですが、 調べていくうちにそのからくりがわかりました。

図4に示すように、再現実験では黒潮から台風本体へ向かって水蒸気の流れが見られていますが、LHF増加実験では東日本に近い黒潮上(図4c,fのA地域)の 弱い低気圧擾乱を人為的に強めてしまい、その発達した低気圧に黒潮からの水蒸気が捕捉されると同時に、下層北東風も弱まりました。結果として、 台風本体への水蒸気の流入が阻害されていたわけです(図4b,e)。LHF増加実験の結果は、黒潮からの水蒸気流入が台風の発達に遠隔的な影響を与えていることを 改めて示すことができました。

一連の研究成果は、台風の予測可能性に大きな示唆を与えるものです。たとえば、日本付近の移動性高気圧や黒潮上の低気圧擾乱が適切に予報されないと、 その予報誤差が水蒸気流入量の変化を介して台風の強度予報にも誤差を与えてしまう可能性があります。また、予報モデルにおいては黒潮からの海面蒸発が 精度良く見積もられる必要があります。海面潜熱フラックスの高精度の推定は数値モデルを検証するためにも大変重要な物理量です。 私たちの計画研究班(A01-1)では衛星観測による海面フラックスの高精度推定の研究も推進しています。

図4:(上図)再現実験における水蒸気フラックス(ベクトル)とその大きさ(陰影)。 (中央)潜熱フラックス50%増加実験における水蒸気フラックス(ベクトル)とその大きさ(陰影)。(下図)両実験の差の分布。


この研究の詳細は以下の論文をご覧ください:
  1. Fujiwara, K., R. Kawamura, and T. Kawano (2020): Remote thermodynamic impact of the Kuroshio Current on a developing tropical cyclone over the western North Pacific in boreal fall. J. Geophys. Res. Atmos., 125, e2019JD031356. https://doi.org/10.1029/2019JD031356
  2. Fujiwara, K., R. Kawamura, and T. Kawano (2020): Suppression of tropical cyclone development in response to a remote increase in the latent heat flux over the Kuroshio: A case study for Typhoon Chaba in 2010. SOLA, 16, 151-156. doi:10.2151/sola.2020-026