がっつり深める

東日本大震災から10年

<第2回>断層のすべりは海溝軸にまで達した

海底地形の比較で「点」を「面」に

ここで、もう一人の研究者が登場します。海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門地震発生帯研究センター主任研究員の冨士原敏也さんです。

冨士原さんが東北沖地震にみまわれたのも、ちょっと奇妙なタイミングでした。皆さんはスマトラ島沖地震を覚えているでしょうか。2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島北西沖で起きたM9.1の地震です。この時も巨大な津波が発生し、20万人以上が亡くなりました。

2011年3月11日、冨士原さんは千葉県柏市にある東京大学の大気海洋研究所にいました。何とそこでは、7年前に起きたスマトラ島沖地震に関する研究の、中間まとめをする国際シンポジウムが開かれていたのです。もちろんインドネシアの研究者も招かれていました。その会議中に東北沖地震の揺れが襲ってきました。

「びっくりしました。大騒ぎですね」と冨士原さんは振り返ります。しばらく屋内にとどまっていたものの、揺れが激しくなったので建物から逃げだし、駐車場に避難しました。「その時はまだスマホとか普及していなくて、携帯のワンセグで、ずっと映像を見ていました」。まさか日本で再びM9の地震にでくわすとは、インドネシアの研究者も予想だにしていなかったでしょう。

プロフィール写真

冨士原敏也(ふじわら・としや)

1964年、千葉県生まれ。東京大学大学院理学系研究科修了、博士(理学)。2019年より現職。高知大学客員教授、海上保安庁の海底地形の名称に関する検討会委員なども務めている。専門は海洋底地球物理学。地球物理学的観測による海洋底のプレートテクトニクスの研究を行っている。写真は深海調査研究船「かいれい」の船尾近くに立つ冨士原さん。撮影/藤崎慎吾

冨士原さんも木戸さんと同じように、沈みこみ帯のプレートテクトニクスを研究しています。しかしGPS-Aや海底水圧計による観測はやっていません。前回、紹介したマルチビーム音響測深機(ソーナー)による海底地形の調査(音波探査)から、プレートの動きを読み取ろうとしています。また所属する研究グループとして、これも前回、触れた反射法地震探査などを行っています。

日本海溝の周辺では、1990年代から深海調査研究船「かいれい」などによって、音波探査や地震探査が何度も行われていました。そうしたデータの蓄積があった上で、東北沖地震発生から数日後の緊急調査も行われたのです。JAMSTECは1999年と2004年に宮城県沖で調べた海底と全く同じ場所を、2011年3月に「かいれい」で調査し、地震後の新しい地形データを得ました。これらを比較すれば、広範囲の「面」で海底の動きがわかると考えたからです。

東北沖地震直後に「かいれい」が海底地形を調査した海域(黄色い枠)。1999年と2004年にも、同じ海域で調査が行われている。×印は震源、赤い枠は震源域を示す。
提供/冨士原敏也 氏

とはいえ音波探査は本来、場所ごとの海底地形を知るために行うもので、いわば地図づくりの道具です。時間を追って、細かい変化を見ることは想定されていません。誤差は上下方向に数m、水平方向だと、日本海溝のように深い場所では20mも出る場合があります。そのためメートル単位で比較するのは、難しい可能性がありました。

しかし冨士原さんはあえて比較に挑戦し、それを様々な角度から検証することで、意味のある結果を出していきました。

まず冨士原さんは「海溝軸から海側にある海洋プレート上の地形は、地震の前後でほとんど変化しなかった」と仮定することにしました。つまり動かない基準点を設けたのです。東北沖地震のようにプレート境界で起きる地震では、海溝から沈みこむ海洋プレートではなく、その上に乗っている大陸プレートが動くとされているので、根拠のない仮定ではありません。

その上で冨士原さんは1999年と2004年、そして2011年に調べた同じ海底のデータを、海溝軸より海側の領域、つまり基準点で厳密に重ね合わせました。そして海溝軸より陸側の地形が、どれだけずれているかを調べました。ただ単純に重ね合わせただけだと、絶対的な深さや位置(地球上のどこにあるか)についての誤差が問題になってしまいますが、こうすると相対的な変化だけを見ることになるため、誤差の一部を無視できるようになるのです。

その結果、1999年と2011年を比べた場合で、陸側の海底は東北東方向へ最大50m以上、海面方向へ最大10m以上動いたことがわかりました。しかも、その変化は海溝へ近づくほど大きくなっていました。これは木戸さんらの観測結果と比べても、よく合っています。そしてGPS-Aの観測点がなかった海溝軸近くで、50m以上すべったのではないかという推定を裏づけました。

一方で地震前の1999年と2004年のデータを同じように比較したところ、変化はありませんでした。これは冨士原さんのとった方法が正しいことを示しています。

Aは2011年に調査した海域(一つ前の図を参照)の海底地形。浅いほど赤く、深いほど青く色分けされている。赤い▼と▲で結んだ場所が海溝軸。Bでは2011年と1999年、Cでは2011年と2004年のデータを比べて、差を色で示してある。赤っぽいほど大きく動いており、青っぽいほど動いていない。海溝軸より海側(右側)は動かなかったと仮定して重ねたため、青っぽく示されている。Dは地震前の1999年と2004年を重ねた結果で、全体に青っぽくなっており、ほとんど動いていなかったことがわかる。
提供/冨士原敏也 氏(Fujiwara et al. 2011, Scienceを修整)

さらに冨士原さんはカナダのビクトリア大学や、カナダ地質調査所・太平洋地球科学センターの研究者と共同して、コンピューターも駆使しました。海底地形の動きというのは、地震による断層(プレート境界)のすべりを反映しているはずですが、全く同じとは限りません。では断層がどうすべれば、海底地形が観測されたように動くのでしょう? 実際の断層で試すわけにはいきませんので、冨士原さんらはコンピューターの中に仮想の沈みこみ帯をつくりました。もちろん日本海溝周辺がモデルになっています。

この仮想沈みこみ帯を無数のブロックに区切り、それぞれのブロックにある岩石の状態(どれだけ変形しやすいか)や、ブロックどうしがどう影響し合うかも再現できるようにしました。その上で仮想の地震を起こし、断層のすべりかたを色々と変えて、海底地形がどう動くかを検証したのです。すると陸に近い方から沖へと、すべる量を約5mぶん次第に増加させ、海溝軸で65mに達するようにすると、実際の地形変化に最も近くなることがわかりました。

これで観測結果からわかった海底の動きが、断層のすべりからその通りに生じうることを証明したのです。

コンピューターの中につくった仮想の沈みこみ帯(日本海溝周辺)のイメージ。変動が大きい場所ほど細かいブロックに区切ってある。これを使って断層の動きかたを様々に変え、海底地形がどう動くかを検証した。
(Sun et al. 2017, Nat. Commun,を修整)

止まるはずだったすべりが止まらなかった

実はこの「海溝軸に近くなるほど大きくすべった」というのが、研究者にとって「想定外」の一つでした。しかも反射法地震探査で海溝軸付近の地下構造を調べてみると、断層のすべりが海底の表面にまで達してしまった可能性もあるとわかりました。これは驚異的なことです。

東北沖地震が起きる前までは、そんなに浅いところまですべることがあるとは思われていませんでした。プレート境界の地震は、だいたい深さ20〜50kmのあたりが震源(最初に断層が破壊される場所)となって、そこから浅い方へと断層がすべっていきます。しかし普通なら海底まで達する前に、どこかで止まるはずでした。

反射法地震探査で調査した日本海溝の海溝軸付近の地下構造。同じ場所を東北沖地震前の1999年(上)と地震後の2011年(中)で比較すると、海溝軸の東北側(陸側)斜面が少し沈降し、中央は変形しながら少し隆起していることがわかる。詳しく断面を読み取ると(下)、東北側の震源から伝わってきた断層のすべりが、いくつかの細かい断層に分岐しながら海底面にまで達したと考えられる。
冨士原敏也 氏(Kodaira et al. 2012, Nat. Geosci.を修整)

海溝軸から沈みこんだばかりの海洋プレートは、まだ海水をたっぷり含んでいて柔らかくなっています。また、その上に乗っていた泥のような堆積物は、次々と剥ぎ取られるようにして大陸プレートにくっついていきます。そういう海底付近の浅い場所では、プレート境界の上も下も柔らかいので固着が弱く、深いところからすべりが伝わってきてもあまり動かない。むしろ吸収するように止めてしまうと考えられていました。この場合、すべる量は海溝軸に向かって減っていくはずです。

岩やブロックのようなものを手で押せば、押しただけ動くでしょうが、泥や砂の山を押しても崩れるだけであまり動かないのと似ているかもしれません。

ところが東北沖地震では、すべりを止めるはずの場所が大きく動いてしまいました。そして巨大津波の原因になった可能性があります。どうしてそうなったのか、考えられる理由については次回に触れたいと思います。

東北沖の広域な地下構造(深さは5倍に強調してある)と、プレート境界型地震による断層のすべりかた。従来は黄色い線で示したように、浅い場所のどこかで、すべりは止まるものと思われていた。しかし東北沖地震では赤い線で示したように、海溝軸の海底まで達していた。

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