がっつり深める
東日本大震災から10年
<第5回>次の大地震はすでに「準備」されつつある
セットで起きるアウターライズ地震
あまり多くはありませんが、普段でもアウターライズ地震は起きています。ただプレート境界で大きな地震があると、とたんに頻発する場合があります。沈みこんでいる海洋プレートが、深い方へ一気にすべるため、アウターライズも普段以上に引っぱられる状態になり、地震が起きやすくなるからです。そして通常は圧縮されているアーチの内側までが引っぱられ、正断層型の地震が大きくなる可能性もあります。
このような状態は数年から数十年も続くことがあります。前回に触れた1896年の明治三陸地震(M8.2)は、プレート境界型の地震でした。そして1933年には昭和三陸地震(M8.1)が発生し、津波により3000人以上の死者・行方不明者を出しています。これはアウターライズ地震で、明治三陸地震に誘発されたと考えられています。37年もの時を経て、ほとんど変わらない規模の「余震」が起きたのです。
最近では2006年11月15日に千島列島沖でM8.2の地震が発生し、2ヶ月後の2007年1月13日に、やはり千島列島沖でM8.1の地震が起きています。これも前者はプレート境界型地震で、後者はアウターライズ地震です。日本海溝の北に続く千島海溝をはさんで、それぞれ陸側と海側に震源があります。このようにプレート境界型地震とアウターライズ地震はセットで起きることがしばしばあり、似たような規模になることもあるのです。
東北沖地震の発生からは、まだ10年。今後、数十年の間にアウターライズで巨大地震が発生する可能性も否定はできません。本震がM9.0ですから、それに近い規模になったらと思うと、ぞっとします。
「揺れたら逃げる」だけでは間に合わない
以上のようなことをふまえて、尾鼻さんは東北沖で発生したアウターライズ地震の観測と解析を、徳島大学や防災科学技術研究所などと共同で進めています。
海底地震計で何千もの地震の震源を決定し、それを地図上にプロットしていくと、海溝軸に平行な線状の集まりが見えてきました。ホルスト・グラーベンを形成している正断層に沿って、それらが起きていると考えられます。そうした結果と、地下の構造探査や地形探査のデータなどから、一つ一つの断層がどれくらい延びているか、あるいは今後、延びる可能性があるかを調べています。そうしてできた「断層マップ」をもとに、それぞれの断層が破壊されたら、どれくらいの津波が起きるかを予想したデータベースも構築しています。
「アウターライズ地震の場合、何が怖いかっていうのは、やっぱり震源が遠いので地震の揺れが、陸で見ているぶんには弱いんですね。だから『地震が来た、さあ津波だ逃げろ』って言っても『いや、今の地震、大したことなかったよな』みたいな話になっちゃって『ああ、じゃあしばらく様子見だ』とかってなると、間に合わない可能性もある。なので揺れたら逃げるだけでは間に合わない」と尾鼻さんは言います。あらかじめ地震の場所や大きさと、津波の被害とをつなげた情報が必要になるわけです。
東北沖については一区切りついたそうで、次は千島海溝のアウターライズについても、尾鼻さんは同じような断層マップやデータベースをつくろうとしています。実は海溝としては一続きになっていますが、同じアウターライズでも日本海溝と千島海溝とでは様子が少しちがっています。その、もともとの原因は太平洋プレートが沈みこむ方向にあるようです。
日本海溝ではおおむね東から西に沈みこんでいる太平洋プレートですが、千島海溝では南東から北西の方向に沈んでいます。プレート自体が動いている方向は、東南東から西北西です。海嶺で生まれた時、そこでは引っぱりの力が働くため、太平洋プレートには一定の間隔で正断層ができました。それは移動方向と直角をなしています。つまり千島海溝とほぼ平行な断層(の痕跡)が、あらかじめ入っているということです。
したがって千島海溝のアウターライズに走っているホルスト・グラーベン(正断層)は、プレート誕生時の「古傷」が改めてパキパキ割れて、地震断層としての活動を始めたものと考えられます。ある意味、素直に割れながら沈みこんでいるとも言えるでしょう。
しかし日本海溝は、その古傷と約60度斜めに交差しています。板チョコを溝に沿ってではなく、あえて斜めに割ろうとしているようなものです。このためか断層のラインが、少しぐにゃぐにゃしているようにも見えます。千島海溝と日本海溝のアウターライズでは、断層の数や深さもかなり異なっており、それが地震の起きかたにも影響していると考えられます。
また日本海溝では地形に表れていなくても、地震が特定のラインに沿って起きている場合があり、そこでは新しい断層ができ始めている可能性があります。「ある種、海洋プレートの折り曲げ実験をやっているんですよね、ここでは」と尾鼻さんは言います。その「実験」で何が起きるかを調べるのも、今後の研究目標になっているようです。
地震後の宮城県沖は反対に動いている
次は東北沖地震の静かな「余韻」についてです。記事の冒頭で「余効変動」という、ちょっと聞き慣れない言葉を出しました。平たく言えば地震の後に起きる地殻変動のことなのですが、その中には「余効すべり」と「粘弾性緩和(ねんだんせいかんわ)」という、やはり一般には馴染みのない現象が含まれています。このうち次の地震がどうなるかという予測につながるのは、余効すべりです。
第3回の記事で「アスペリティ」という言葉が出てきたのを、覚えているでしょうか。プレート境界の中にある「すべりにくい場所」のことでした。その周囲には、いつも静かに、ゆっくりとすべっている「安定すべり域」があります。アスペリティはすべり遅れているわけですが、同じプレート上なので、いつまでもふんばってはいられません。ある時、一気にすべって周囲に追いつきます。これが地震です。
余効すべりも、現象的には安定すべり域の「スロースリップ(ゆっくりすべり)」に似ています。ただスロースリップはプレートの沈みこみにともなって自然に発生し、多少、遅くなったり速くなったりはしますが、ずっと続いていきます。一方、余効すべりは地震の後だけに発生し、一時的には通常の沈みこみより速くなることもありますが、だんだん遅くなっていきます。そして、いつかは止まるか、通常のスロースリップになります。
ざっくり言ってしまえば、余効すべりはプレートが「勢い余って」しばらく止まれないでいる状態でしょうか。なので、すべる方向も地震時にすべった方向と同じです。東北沖地震では、陸側の北米プレートが東向きに動きました。その大きさは第2回でお伝えした通り、牡鹿半島の先端では5m、海溝軸付近の海底では50m以上です。ということは余効すべりも東向きになっているはずです。
ところが地震後の陸上や海底の動きを、これも第2回で紹介した「GPS音響測位法(GPS-A)」などで調べたところ、宮城県沖では反対方向、つまり西向きに海底が動いているとわかりました。これはいったい、どういうことなのでしょうか。