がっつり深める

東日本大震災から10年

<第5回>次の大地震はすでに「準備」されつつある

隆起と沈降も逆転している

ここで、もう一人の専門家に登場してもらいましょう。JAMSTEC海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター主任研究員の飯沼卓史さんです。東北沖地震が起きた時、飯沼さんは東北大学の地震・噴火予知研究観測センターに勤務していました。第3回で取材した内田直希さん(現・東北大学大学院理学研究科准教授)の隣の研究室だったそうです。

プロフィール写真

飯沼卓史(いいぬま・たけし)

1977年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。東北大学大学院理学研究科の産学官連携研究員及び助教、東北大学災害科学国際研究所助教などを経て、2015年より海洋研究開発機構に所属。2020年より現職。2011年東北地方太平洋沖地震に関する観測・研究により、日本測地学会賞坪井賞第13回団体賞を2013年に共同受賞。海陸の地殻変動観測データの取得・解析により地震発生過程に関する研究を進めている。提供/飯沼卓史氏

その日、飯沼さんは3月9日に起きた前震で、プレート境界がどれくらいすべったのかを調べていました。それが一段落したところで昼食をとりに出かけ、部屋に戻ってしばらくすると本震が襲ってきました。地震・噴火予知研究観測センター独自の緊急地震速報が鳴り、携帯電話の「エリアメール」も鳴りました。前震の時は緊急地震速報だけだったので、より規模が大きいのだと思い「まずいぞ」とデスクの下に潜りこみました。

「もう3分くらい、ずっとその中で全てのものが倒れていくさまを見ていました」飯沼さんは振り返ります。「テーブル上の液晶ディスプレイが向こうに落っこちていく様子とか『ああ、いっちゃったな』と見てました。2008年の岩手・宮城内陸地震(M7.2)の時も相当に揺れましたけど、短かったですからね。そんな『いつ終わるんだ』というくらい激しい揺れをずっと感じていたのは、この時が最初で最後だと思います」

2011年当時の研究室で、東北沖地震発生時に飯沼さんが潜ったデスク(左)と、液晶ディスプレイが落ちた後のテーブル(右)。パソコン本体も奇妙な倒れかたをしている。突き上げるような揺れの結果と思われる。地震の3日後に撮影された。
提供/飯沼卓史氏

それから1週間後くらいに、飯沼さんは陸上にあるGPS観測点のデータ解析を始めました。4月下旬には第2回で登場した木戸元之さん(現・東北大学災害科学国際研究所教授)らが、GPS-Aで得られた巨大すべりの情報をもたらします。そして翌年になるとGPS-Aの観測点が大幅に増やされ、さらに詳しい解析が進められていきました。そうした過程のわりと早い時期に、最も大きくすべった領域が西側へ動いていると判明したのです。研究者の間でも驚きの声が上がりました。

奇妙なのは地震時に東へ動いた海底が、逆向きに動いていたことばかりではありません。地震時に沈降した沿岸域が、地震後は隆起に転じています。一方、震源域の海底は地震時に隆起し、地震後は沈降していました。このようにがらりと変わった地下の様子を説明するため、飯沼さんはプレートや、その下にあるマントルの硬さ、そして「粘弾性」など、様々な条件を検討しました。

プレートの下は後から流れていく

物体に力を加えると、変形したり流れたりします。こうした観点から、物体には「弾性」「粘性」「粘弾性」という性質があるとされています。

弾性は主に固体の性質で、力を加えると、加えた方向に変形し、力を抜けばすぐ元の形に戻ります。粘性は主に液体の性質で、力を加えると、加えた方向に変形が大きくなっていき(つまり流れていき)、力を抜いても元の形には戻りません。粘弾性は弾性と粘性の中間で、力を加えると、加えた方向に変形が大きくなっていきますが、だんだんその割合が一定になります。そして力を抜くと変形は小さくなっていき、やがて元の形に戻ろうとはしますが、完全には戻りません。

粘弾性の例としてよく挙げられるのは卵白や水飴、ビニールなどです。お餅とか、くちゃくちゃ噛んだ後のガムなんかも含まれるでしょう。つきたてのお餅は指で軽く押した程度なら、いったんへこんで、ほぼもとの形に戻ります。でも、ぎゅっと押してしまったら、へこんだままでしょう。もっと柔らかい卵白や水飴では、力を抜いてもすぐには変形が止まらないかもしれません。

粘弾性には、もう一つ面白い性質があります。力を加えた瞬間は、あまり変形しないのですが、しばらくして、じわじわと変わっていくのです。ビーチボールや浮き輪の空気を抜く時の様子に、少し似ています。浮き輪の弁を開いて上から潰そうとすると、最初は抵抗がありますよね。でも押し続けていると、だんだんシューッと空気が抜けていきます。あの感覚です。

岩石でできたプレートやマントルにも、弾性や粘弾性があると考えられます。比較的、冷たくて硬いプレートは弾性の性質が強いため、地震前は圧縮されていたのが、地震時にはほぼ瞬間的に伸びて元の形に戻ります。しかしプレート直下にあるマントルの上層部(アセノスフェア)は温かくて柔らかく、固体とはいえ粘弾性をもっています。このためプレートの瞬間的な変化にはついていけず、後からゆるゆると変形していく(流れていく)ことになります。

模式的に示した地球内部の構造。「リソスフェア(プレート)」の下にある「アセノスフェア」は上部マントルの一部で「岩流圏」とも呼ばれている。海底下では深さ70〜250kmくらいに存在する。大陸下にはほとんどないが、日本のような島弧の下では深さ30kmあたりに認められる。高温のため岩石が部分的に溶けているか、それに近い軟らかな状態にあると考えられている。

「粘弾性緩和」で打ち消された余効すべり

以上のようなことを頭に入れて、東北沖地震後の地殻変動を考えてみましょう。地震が起きた時、陸側の北米プレートは東へ一気に動きました。同時に海側の太平洋プレートは西へ、ぐっと沈みこんだと考えられます。どちらのプレートにもかかっていた圧縮の力(応力)が、解き放たれたからです。しかし両プレートの下にあるアセノスフェアは、ゆるゆると動き続けました。これを「粘弾性緩和」あるいは「粘性緩和」と呼びます。

ところで北米プレートの先端部分、東北の奥羽山脈あたりから海溝軸までの範囲は全体が冷たく固まっており、アセノスフェアがなくなっています。したがって、そこでは粘性緩和が起きません。その下には太平洋プレートがあり、それ自体はもう変化しませんが、さらに下のアセノスフェアは粘弾性緩和で西へ動き続けています。すると今度はそれにつられて、太平洋プレートが西へ動き、その上の北米プレート、すなわち海底も影響を受けて西へ動くのです。それが飯沼さんによる検討と解析の結果でした。

飯沼さんらが東北沖地震後の余効変動を解析するため、コンピュータの中につくった仮想の沈みこみ帯。日本海溝周辺の地下構造を数学的にモデル化している。青い太線が千島海溝と日本海溝の位置を示す。地下は多数のブロックに分割され、それらの相互作用から様々な変動のパターンを計算する。地表の赤い点は、GPSやGPS-Aの観測点を示す。断面図で濃い色のブロックはプレートなどの弾性体、それ以外はアセノスフェアなどの粘弾性体を仮定している。陸側の北米プレートの先端(三角形になっている部分)は「Cold nose」と書かれているが、全体が冷えて弾性体となっており、アセノスフェアは存在しない。その下には太平洋プレートが沈みこんでおり、さらに下ではアセノスフェアが粘弾性緩和で西へ流れ続けていると考えられる。
提供/飯沼卓史氏

ちょっと、ややこしいのですが、粘弾性緩和による動きとは別に、実は東向きの余効すべりも起きていると考えられています。それは宮城県沖ほど大きくはすべらなかった福島県沖で、海底が東向きに動いていることからも予想できます。これは明らかに余効すべりです。つまり宮城県沖でも余効すべりは起きているものの、粘弾性緩和による影響が大きくて打ち消され、なおかつ逆向きになってしまっている。一方、福島県沖では粘弾性緩和の影響が小さいため、打ち消されることなく東へ動いていると考えられるのです。

たとえ話をするなら、西向きに動いているベルトコンベアーの上を、東向きに走るようなものでしょうか。いくら走ってもベルトコンベアーのほうが速ければ、結果的には西向きに運ばれてしまいます。逆にベルトコンベアーが遅いか、止まっていれば、そのまま東向きに進めます。

そこで飯沼さんらは、宮城県沖の地殻変動から計算によって粘弾性緩和の影響を取り除いてみることにしました。つまり仮想的にベルトコンベアーを止めてやるわけです。それによって地震後のアスペリティや安定すべり域の状態が、より正確にわかると考えたからです。すると次の地震がいつどのように起きるかも、ある程度、予想できます。

次の宮城県沖地震は早まるかもしれない

計算の結果「隠れていた」余効すべりの状況が明らかになりました。東北沖全体としては、やはり地震時と同じ東向きの動きが広く見られます。ただ東北沖地震で大きくすべった領域では、余効すべりがほとんど起きていませんでした。つまり、そこはすでにアスペリティとして、ふんばり始めていることを意味します。次の地震に向けて、もう「準備」が進められているわけです。

一方、40年くらいの周期で発生する宮城県沖地震(M7.5前後)のアスペリティでも、余効すべりはあまり起きていません。2011年の東北沖地震で、そこも一緒にすべりましたが、またふんばり始めています。しかし、その周囲では通常のスロースリップ(約8cm/年)ではなく、もっと速い余効すべり(約20cm/年)が起きています。すると応力がたまって、ふんばりがきかなくなるまでの時間も短くなる恐れがあります。

例えば東北沖地震以前は40年周期で起きていたのが、20年になってしまうかもしれません。あるいは25年くらいがんばってしまい、そのぶん規模が大きくなる可能性もあります。第3回で触れた釜石沖の「小くりかえし地震」も、東北沖地震後は頻度が急増し、また規模も一時的に大きくなりました。原理的には、それと同じことです。

粘弾性緩和の影響を計算によって取り除いた結果、判明した余効すべりの分布。赤あるいは青のグラデーションが濃い領域ほど、大きくすべっている。同時に赤は地震時のすべりと同じ東向きに動いている領域を、青は逆の西向きに動いている領域を表している。全体的に東へ動いている領域が目立つ。青色の破線は東北沖地震発生時にすべった量を10m単位で示した等値線。灰色の等値線は過去の大きな地震の破壊域を示す。東北沖地震で大きくすべった領域や、宮城県沖地震の震源域(黄緑色の線で囲んだ領域)、十勝沖地震の震源域(水色の線で囲んだ領域)では、あまり余効すべりが見られない。
提供/飯沼卓史氏

付け加えると東北沖地震で大きくはすべらなかった福島県沖や、ほとんどすべらなかった三陸沖北部にあるアスペリティも、ふんばっていることがわかりました。しかし、その周囲では、やはり余効すべりが起きています。2016年11月に起きた福島県沖地震(M7.4)は、その影響によるものではないかと飯沼さんは考えています。また三陸沖北部では1968年の十勝沖地震のようなM8程度の地震が、100年弱の間隔でくり返されています。この周期も短くなる可能性はあります。

となると、次の東北沖地震は?「今のところですけど、東北沖の巨大地震は869年の貞観(じょうがん)地震があって、1454年の享徳(きょうとく)地震があって、2011年の東北沖地震、みたいな間隔になっているので、500~600年に1回くらいの周期でしか起きないだろうと思われています。でも、それより前がわからないと、さすがに言い切れないですよね」と飯沼さん。「ただ数百年は起きないんじゃないかなと思います」

ここで、ちょっと不安をやわらげる計算をしましょう。第2回で触れた通り、東北沖地震では海溝軸付近で50m以上のすべりがあったと考えられています。これを控えめにみて50mだったとします。そしてアスペリティは50mすべり遅れるまで、ふんばれると考えます。太平洋プレートが沈みこむ速度は年に約8cmです。それが50mに達するまでの時間は50÷0.08=625年となります。あくまでも単純計算ですが、少しはほっとしたでしょうか?

貞観地震や享徳地震を含めて、過去の巨大地震については次回で詳しく触れる予定です。その時に改めて周期をどうとらえるかについても考えてみましょう。

黒い矢印は東北大学によって設置された20点のGPS-A観測点における年間あたりの変位量(2012年9月〜2016年5月)。赤とオレンジの等値線は東北沖地震でのすべり量(それぞれ50mと20m)を表す。宮城県沖では、やはり粘弾性緩和の影響による西向きの動きが目立つ。アウターライズにある1点(G01)も西向きに動いているが、これは太平洋プレートの運動に加えて、その下にあるアセノスフェアの粘弾性緩和を直接、反映していると考えられる。福島県沖では余効すべりで東向きに動いている。提供/飯沼卓史氏

粘弾性緩和の影響を除いた余効すべりの見積もりは、実は2011年4月から11月までの観測結果をもとにしています。そのころ東北大学のGPS-A観測点は、まだ4ヵ所しかありませんでした。それを20ヵ所に増やして以降の観測結果をもとに、飯沼さんらはより詳細な解析をしようと試みています(上の図)。今後は宮城県沖ばかりでなく、三陸沖や福島県沖、そして海溝軸の東側(海側)の動きにも注目していくそうです。そのために第2回で触れた無人海上観測機「ウェーブグライダー」で、こまめに観測をくり返していく予定です。(次回に続く)

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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