(図版作成:酒井春)

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JAMSTEC探訪

地球のどこまで「生命」は存在するのか? 海底下の微生物から見えた「生命現象」を考える

記事

取材・文:岡田仁志

世界に3ヵ所ある海底下から採取したコア試料保管庫のひとつである高知コア研究所。ここで管理されているコア試料は、海底下に生きる微生物の研究にも用いられています。栄養源に乏しい海底下の世界で生命はどのように生きているのか? 海洋研究開発機構(JAMSTEC)超先鋭研究開発部門 高知コア研究所の星野辰彦主任研究員に、海底下の生命について、そして「生命現象」そのものへの謎についてお話を伺いました(取材・文:岡田仁志)

写真
星野辰彦主任研究員(撮影:市谷明美/講談社写真部)

――いま星野さんはJAMSTECで、海底下にいる微生物の研究をされています。どういう経緯で、この分野がご専門になったのですか?

子どものころから地球生命の謎に興味があって……という話を期待されるかもしれませんが、全然違うんです(笑)。もともとは、排水処理プロセスの中にいる微生物の研究をしていました。どちらかというと、工学寄りの分野ですね。

工場などの施設からの排水は、河川や下水に流す前に、有機物や窒素やリンを除去するのが大事なんです。それらの反応、例えば窒素をN2ガスにして大気中に除去する反応は微生物がやってくれるんですね。地球上でふつうに起きているプロセスの縮図が排水処理のプロセスで起きているので、いまの研究とまったく無関係ではありません。

でも、海底下の堆積物のことは、JAMSTECに来るまではまったく知りませんでした。いまだに、「白亜紀」とか「ジュラ紀」とか聞いても何年前なのかすぐにはピンと来ませんね(笑)。海底下に微生物がいることは知っていましたが、「まあ、微生物はどこにでもいるから、海底下にもいるんだろうな」という程度の認識でした。

いるのか? いないか? 微生物を見るには

――そういう星野さんが、なぜJAMSTECで海底下生命圏の研究をすることに?

僕が前の職場でおもにやっていたのは、顕微鏡で微生物の種類や機能を見分ける手法の開発でした。やや専門的な話になりますが、微生物の種類を見分けるためには、すべての生き物が持っている「リボソーマルRNA(タンパク質合成反応を担う細胞小器官リボソームに含まれるRNA)」という分子をターゲットにします。その配列を見ると、生物の種類がわかるんですね。

DNAの遺伝情報をメッセンジャーRNA(mRNA)に写し取り「転写」、mRNAのコピー情報を読み取ってタンパク質を合成する作業「翻訳」が行われています。この翻訳は、リボソームとよばれる細胞内小器官が担っています。リボソームはRNAとタンパク質からできた特殊な構造をしていて、その構成RNAがリボソーマルRNA(rRNA)と呼ばれます。(図版作成:酒井春)

一方、微生物の機能を知るには、「機能遺伝子」をターゲットにしなければなりません。リボソーマルRNAは細胞内に多ければ数万コピーぐらいあるので染色して光らせやすいのですが、機能遺伝子は数コピーしかないので見るのが難しいんです。

僕は、細胞の中でその機能遺伝子を増幅して検出する方法を研究していました。排水処理プロセスの中で窒素を除去する細菌をターゲットにして、窒素除去に関わるシングルコピーの機能遺伝子を細胞内で検出する。それを微生物の種類の検出と同時に行う手法を開発したんです。

それが海底下の微生物研究にも役に立つということで、JAMSTECに来ました。それまで扱っていた工学的なプロセスは人為的にコントロールできるので、自然環境中で起こっている普遍的な原理・法則的なものが見えにくいんですね。ピュアサイエンスもやってみたいと思っていたこともあって、2009年にこちらに移りました。

微生物数が足りない!

でも、最初の数年間はかなり苦労しましたね。というのも、排水処理のプロセスは微生物がたくさんいます。汚泥はほとんど微生物でできていますから。それと比べると、海底下の堆積物は微生物がとても少ないんです。

JAMSTECに来る前は、なんとなく「海底下にも微生物はいて当たり前」と思っていましたが、決してそんなことはありません。浅いところはともかく、海底下の深いところには微生物の餌になる栄養分がほとんどないからです。栄養分のインプットは海水から来るので、浅いところで使い切られてしまって、深いところまで届きません。

海底下から採取されたコア試料は、鮮度を保つために冷凍保管される。(撮影:市谷明美/講談社写真部)

だから、深いところから採った泥を顕微鏡で見ても、微生物はほとんど見つからないんですよ。ほんの少ししかいない微生物の細胞をひとつひとつ分けて、そこから取り出したゲノムをうまく読めるようになったのは、ごく最近になってからのことです。

バラバラになった部品をかき集めて全体を見る

その一方で、2010年頃からは、海底下から採取した泥に含まれたDNAを抽出して、どんな微生物がいたのかを全体的に把握するというやり方も始めました。泥を溶かすと微生物の細胞も壊れますが、DNAやタンパク質がすべて水の中に出てくるので、そこからDNAを抽出して分析するんです。

――細胞を見るのではなく、バラバラになった部品を集めて全体像を見極めるんですね。

そういうことです。そこで威力を発揮するのが、新型コロナウイルス感染症の検査で広く知られるようになったPCR。これはDNAを複製して増幅させる方法なので、微生物の研究でもよく使います。集めたDNAに含まれるリボソーマルRNA遺伝子をPCRで増幅して、その配列を読むと、どんな種類の微生物がその堆積物の中でコミュニティをつくっているかがわかるんです。

高知コア研究所で使われているPCRを行う「サーマルサイクラー」(撮影:市谷明美/講談社写真部)

ただ、この方法にはひとつ問題がありました。世界各地の海で海底下の掘削を行うIODP(国際深海科学掘削計画)のプロジェクトでは、採取した堆積物の研究をそれぞれ異なるグループでやっています。ところがこのDNA分析方法は、研究グループそれぞれのやり方によって、まったく違うデータが出てしまうんですね。

たとえばどのような方法でDNAを抽出するか、あるいはPCRでどの領域を増幅するかなど、人によって好みが違うんです。そのため、ある研究グループの分析では検出できた種類の微生物が、別の研究グループでは検出できずに取りこぼされたりしてしまうんです。

これで困るのは、比較ができないこと。たとえば日本近辺の太平洋にいる微生物コミュニティと、大西洋の微生物コミュニティを比較検討したくても、それぞれの研究手法によるバイアスが強すぎて、うまくいきません。これでは、地球全体の海底下生命圏の全体像がつかめませんよね。

そこで僕たちは、JAMSTEC高知コア研究所に保存されている世界各地のコア試料を統一基準で分析する研究に取り組みました。過去18年間に、計40カ所で採取された膨大なコア試料の中から、品質の良い299個のサンプルを最初から最後まで一貫して同じ手法で分析したんです。

海底下の微生物はバクテリア? アーキア?

――手元に膨大なコア試料のある高知コア研究所ならではの取り組みですが、スケールが大きくて労力もすごくかかりそうですね。

世界で初めての試みだったので、いろいろ苦労しましたね。世界中のサンプルからDNAを抽出するだけで、ほぼ1年がかり。そのDNAに含まれる約5000万の遺伝子配列を分析し、結果が論文として発表されるまでに8年もかかってしまいました。

しかしその結果、海底下には考えていたより多様な微生物がいることがわかったんです。僕たちが推定したところ、地球全体の海底下に存在する微生物の種類は、バクテリア(細菌)が3万〜250万種、アーキア(古細菌)が8000〜60万種。推定値にはかなり幅がありますが、これは陸地の土壌や海洋に生息すると推定される微生物の種類と同程度です。

海底下は栄養が乏しくて、あまり多くの微生物がいないにもかかわらず、どこにでもたくさんの微生物がいる地表と同じぐらい多様な生命圏が広がっている。これは予想外の結果でしたね。

ちなみに僕たちの研究では、バクテリアとアーキアの存在比率も検討しました。これは以前から、学界でも議論が分かれていた問題です。地表や海洋ではバクテリアのほうが多いのですが、海底下ではアーキアのほうが生きるのに有利だという見方が根強かったんですよ。

――まず、バクテリアとアーキアの違いから教えてください。

どちらも真核生物と違って細胞に核をもたない「原核生物」ですが、いちばん大きな違いは、細胞膜です。

バクテリアとアーキアの違い。(図版作成:酒井春)

簡単に言えば、アーキアの細胞膜はバクテリアや我々真核生物の細胞膜と比較すると、イオンなどの分子の透過性が低い性質を持っています。

海底下生命の生存戦略とは

――そのほうが海底下では有利ということですか?

バクテリアもアーキアも外に漏れる量はわずかなので、栄養源などが豊富な環境では、大勢に影響がありません。しかし海底下は栄養源が乏しいので、少しでも漏れにくいほうが生きる上で有利だろうと考えることができるわけです。そのような理由から、海底下ではバクテリアよりアーキアのほうが存在比率が多いかもしれないという予想がありました。

しかし、僕たちがグローバルにサンプルを分析したところ、地球全体の海底下生命圏でアーキアが占める割合は、微生物全体の37.3%。海洋全体におけるアーキアの割合は41.9%ですから、大きな差はありません。

もちろん、場所によっては、アーキアが多いところも少ないところもあります。でも全体的に見れば、海底下で特別にアーキアが多いとは言えません。種の多様性という点でも、バクテリアとアーキアの存在比率という点でも、海底下生命圏における微生物の全体像は、地表の他の生命圏とあまり違わないということですね。

(撮影:市谷明美/講談社写真部)

いよいよ次の記事「DNAを組み立てれば生命は組み立てられるのか? 生命活動の発動スイッチはどこに?」では、海底下生命から見えた「生命というシステムの謎」について迫ります。

(参考リンク)海底下生命圏ガイド~海底のさらに下で会いましょう~ 新しいウィンドウ 新しいウィンドウ

取材・文:岡田仁志
撮影:市谷明美(講談社写真部)
取材・図版協力:高知コア研究所 星野 辰彦 主任研究員

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