がっつり深める

東日本大震災から10年

<第9回>オーダーメイド津波情報の時代

車が勝手に安全な場所へ運んでくれる?

津波の予測にGPSを使うという研究は以前からしていたとはいえ、東北沖地震からわずか6年で開発から実証、そして社会実装に至ったのは、異例の早さだったと言えるでしょう。しかし太田さんは、まだ改良を加えたいと考えています。

一つの方向としては予測や推定を1個の値ではなく、誤差を含んだ範囲で求めるということです。「今のシステムでは観測データを最もよく説明するものとして、答えが1個だけ出てきます。でも1個の答えって独り歩きするじゃないですか。例えば津波が岩手県で6mっていうのを出すと、6m以上来ないって思う人がいるかもしれない。だけど6〜10mって幅をつけられれば、ちょっとと思うんじゃないでしょうか」と太田さんは言います。「そういう幅のある推定を使って、その中から最悪のケースだけ持ってくるようなことを、今はやりたいなと思っています」

気象庁の緊急地震速報でも「マグニチュードは8.8プラスマイナス0.2」などという発表はされません。最もありうる値が、一つだけ出てくることになっています。津波も同じです。それを太田さんの考えるシステムでは幅のある推定から、あえて最悪のシナリオを選んで出していこうというわけです。過小評価の危険を防ぐためです。

また幅をもった推定ができると、最も被害が小さいケースから大きいケースまでの様々なシナリオで、津波の浸水域を予測することができます。すると例えば100のシナリオがあったとして、全てのシナリオで浸水する地域、50のシナリオで浸水する地域、10のシナリオで浸水する地域などと分けることが可能になるでしょう。これはパーセントに置き換えて、津波到達確率あるいは危険度として示すことができます。色分けして地図にすれば「リアルタイム津波浸水危険度マップ」といったものもできそうです。実際に太田さんは、それを5〜10分以内に出せる技術の研究をしています。


リアルタイム津波浸水危険度マップのイメージ図。ピンクや赤で示された領域ほど、津波で浸水する確率が高い。
提供/太田雄策氏

将来的には、そうした地図をもとにして、個人のスマホやカーナビなどに「今あなたは危ないところにいます。最短避難ルートはこっちです」といった情報を配信できるかもしれません。住民にとっても役立ちますが、旅行者などには特にありがたいでしょう。さらに言えば今後、自動運転が普及していった場合、車が勝手に安全な場所へ運んでくれるかもしれません。渋滞が起きるなどの問題があって難しいかもしれませんが、全くの夢物語ではないはずです。

拡張されていく南海トラフの観測網

太田さんらの津波浸水被害推計システムはGEONETという全国規模の観測網を駆使しており、海底に水圧計などが設置されていない地域でも即時予測ができます。したがって現時点では南海トラフと日本海溝に面した沿岸域を対象としていますが、いずれ全国に対象を広げることも可能でしょう。

ただ津波が伝播していく過程を実際に見ているわけではないので、その精度には一定の限界があります。また地震そのものではなく海底の地すべりで津波が発生した場合、陸上の地震計やGPSは何も反応しませんので、局地的な大津波は予測できません。

そして今のところシステムを利用しているのは内閣府だけです。政府の初動対応などに役立てられることを念頭に置いているため、地域ごとの細かい事情やニーズは反映されていません。同様なシステムを地方自治体や企業にも利用してもらおうと、産学共同のベンチャー企業が2018年に設立されており、いくつか話は進められているとのことです。

この点、海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター上席研究員の高橋成実さんは、最初から地域と一体になって、言わば「オーダーメイド」の津波即時予報システムを開発しています。後で述べますが、すでに自治体での利用が広がっています。

これはGPSではなく、海底観測網の地震計や水圧計を使っている点でも太田さんらのシステムとは異なっています。つまり海で直接、津波を観測して、その伝播の過程を監視し、津波の発達に合わせて、沿岸に到達した時の高さや浸水域を予測するという方法です。ここでもS-netやDONETといった観測網が活用されています。DONETの開発や構築のチームにも、高橋さんは参加してきました。

プロフィール写真

高橋成実(たかはし・なるみ)

1967年、神奈川県生まれ。専門は海洋地震学。千葉大学大学院自然科学研究科で博士(理学)。東京大学海洋研究所(当時)COE研究員を経て1996年に海洋科学技術センター(当時)。2016年に防災科学技術研究所に移籍して現職。地殻構造研究から地震・津波観測監視システム(DONET)の構築、海域観測網を用いた地殻活動研究や津波研究にかかわる。2017年、DONETの開発と地震学分野への貢献により日本地震学会技術開発賞、2018年、DONETの開発により技術分野の文部科学省大臣表彰「科学技術賞」等を受賞。提供/高橋成実

日本海溝の周辺に展開されているS-netには150ヵ所の観測点があります。一方、南海トラフの周辺に展開されているDONETには51ヵ所の観測点があります。

DONETには1と2があって、それぞれ紀伊半島沖(熊野灘)と紀伊水道沖に設置されています。海底ケーブルの途中にコンセントのような役割を果たす「ノード」がいくつかあって、そこから放射状に海底地震計や水圧計などが接続されています。ケーブルは陸上局から沖合へ直線的に延びているのではなく、ループしているので、どこか途中で切れても観測点からの情報は得られるという特徴があります。

このDONET1とDONET2の配置図を見ると、南海トラフの海域を東海、東南海、南海、日向灘というように分けた場合、東側に偏っているのが、ちょっと気になってしまいます。

「過去の地震を振り返ってみたときに、前回は1944年に昭和東南海地震が起きて、2年後に昭和南海地震が起きました。その前、1854年の安政の時は東海と東南海全体が壊れて、その後、南海が壊れたっていうふうにされていて、どうも東南海地震が先に起きて南海地震が発生したらしいというのが研究者側のコンセンサスになっています」と高橋さんは言います。「それだったらまず最初に破壊が起こりそうな所をきちんと観測しようというコンセプトで、紀伊半島の両側に展開したということですね」

DONETの配置図。DONET1の陸上局は三重県尾鷲市古江町に、DONET2の陸上局は徳島県海陽町と高知県室戸市にある。

もちろん、それで事足りるというわけではなく、高橋さんとしては南海トラフ地震が起きる海域全体をカバーしたほうがいいと考えています。実際、今は防災科学技術研究所が中心となって、高知県沖から日向灘をカバーする「N-net」という観測網の設置が計画されており、昨年(2020年)5月から敷設に向けた取り組みが始められています。

写真
南海トラフ域の区分と、DONET1、DONET2、N-netがカバーする範囲。点線はプレートの境界を示す。 提供/高橋成実氏

ターゲットを絞って予測を出す

すでに触れましたが、DONETの地震計や水圧計のデータは気象庁へリアルタイムに伝えられており、緊急地震速報や津波警報などの発表に使われています。同じ観測網を使って、高橋さんはどのような即時予報システムを開発しているのでしょう?

「気象庁っていうのは全国に平等に情報を発出するっていうのが、国の機関としての役割ですよね。気象庁は津波予報区(全国で66区)を設定していて、それによってこの予報区では大津波警報とか、津波警報とかっていうふうに発表するわけですけれども、地域の人たちとちょっと話をすると、やっぱりそれでは少し情報が足りないという声がありました」と高橋さんは言います。

「例えば高知県の黒潮町では、M9の地震が起こったら津波の高さが30何mとか、そういう数値が出ることになるんですけれども、海岸がそれなりに長くて、場所によって高さが変わってくるわけですね。津波っていうのは、やっぱり、かなり地形に影響されるんです。津波が発生した所から、その津波を観測したり被害を受けたりする所までの地形ですね。また海岸の形とか、そういうところに大きく影響を受けます。すると例えば黒潮町で34mとかって出たとしても、どこでも34mじゃないんです。その中で一番高い所が34mなんですよ」

予報区では一律34mと出てしまいますが、もしかしたら、ほんとうに34mになる場所はごく一部で、そこには人が住んでいないかもしれません。それでも地域全体としては、無理をしてその高さに備えなければならなくなります。すると場合によっては「どうせ逃げ切れないよ」という人が出て、防災に対するモチベーションが下がってしまう可能性もあります。

「気象庁は平等に情報を出してくれる。私たちは、むしろ地域の声を聞いて、この海岸に来る津波の情報を詳しく知りたい、というところにターゲットを絞って、そこに対して予測をするというコンセプトにしてるんです」と高橋さんは言います。例えば三重県の沿岸は、でこぼこしたリアス式海岸になっていて、数ある小さな湾の一つ一つで津波の高さは変わってきます。その中で必要な湾についてのみ詳しい予測を出すということです。

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