がっつり深める

東日本大震災から10年

<第9回>オーダーメイド津波情報の時代

1500通り以上の「津波シナリオ」を準備

高橋さんらが開発した「津波即時予測システム」は各地域や自治体の要望に合わせて用意され、ぞれぞれで運用されますので、お金のかかるスパコンなどは使いません。パソコンでも迅速に動くような工夫がされています。

高橋さんらの方法では、マグニチュードや震源の深さ、断層の傾斜角といった条件を組み合わせて、津波を起こしうる地震の断層モデルを、あらかじめ計算しておきます。この時、必ずしもプレート境界には、こだわっていません。例えば和歌山県のために用意されたシステムだと、1500通り以上の断層モデルが準備されています。これらを示した地図を見ると、南海トラフ周辺の海域全体に矩形の断層モデルが幾重にも貼りつけられているようです。

重なり合った無数の赤い枠は、4段階のマグニチュード(M7.6、7.9、8.2、8.5)を想定して、あらかじめ推定された断層モデル。和歌山県の津波即時予測システムでは、全部で1506通りが用意されている。
提供/高橋成実氏

この方法では、その1500通りの断層モデルについて、あらかじめ津波の解析も行っておきます。それぞれの断層モデルを使って、津波が起きたとした場合、DONETの各観測点では、いつ、どれくらいの水圧が観測され、予測対象となる沿岸には、いつ、どれくらいの津波が到達し、浸水域はどれくらいの範囲になるかを計算しておくのです。これを、ここでは「シナリオ」と呼んでおきましょう。

断層モデルが1500通りあれば、シナリオも1500通りできます。これらは関連づけられてデータベースに格納されています。

ひとたび地震が起きて、DONETの水圧計が津波を検知し、それが一定の閾値(高さなど)以上だった場合、システムは予測を開始します。まず複数の観測点における観測値をもとに、1500通りの断層モデルから対応するものをいくつか選びだします。震源がわかっていれば、それも参考にします。選択したモデルのシナリオから、予測する沿岸で津波が最も高くなるものと、到達が最も早くなるものをさらに選んで、それぞれの予測値をパソコンなどの画面に表示します。

予測が開始されてから実際に最も高い波が到達するまでに、避難のための十分な猶予時間があれば、その間に逃げられる人もいるでしょう。予測や表示は、それぞれの予測地点で1秒ごとに更新され、画面の地図には浸水域と場所による深さ(浸水深)も示されます。それを見て、どの方向へ逃げるのがいいのか、国道や線路は越えるのか、といった判断もできます。

避難の猶予時間があまりない場合は、このシステムで津波の振る舞いを確認して、とにかく早く逃げることになります。この時、例えば地域の西側と東側とでは、どちらから先に浸水してくるか、といった予測情報が役に立つでしょう。また自治体の職員などは、どこの避難所が孤立しているかを、このシステムで確認できます。

予測が行われている間、津波の成長とともにDONETの観測値が変化していくのに応じて、選択される断層モデルやシナリオも時々刻々と変わっていきます。こういう形をとることによって、想定以上の大地震が起きたり、断層モデル上でのすべり量が変わったりしても予測が可能になります。また地すべりで局所的に高い津波が発生しても、ある程度は対応できます。これは水圧計を使う予測システムの大きな利点と言えるでしょう。

DONETによる津波即時予測システムが、津波を検知してから浸水域などを表示するまでの動画。4分割された画面のうち、左上には対象となっている地域での津波到達時刻や高さ、浸水深などが、左下には地震や津波を観測・計算しているかどうかの状況が表示される。右上にはDONETの各観測点で捉えられている津波の高さが、右下には浸水域や波形の予想図が示される。冒頭から17秒くらいのところで予測が開始され、2秒後には予測値が出る。予測は1秒ごとに更新されるが、結果が同じであれば数値は変化しない。提供/高橋成実氏

避難訓練にも使える予測システム

現在、和歌山県と三重県では、気象庁から「津波予報業務許可」を取得して、実際に高橋さんらのシステムを使い始めています。千葉県も導入する準備を進めています(同県のシステムはS-netを使います)。しかし残念ながら各県の一般市民は、津波の高さや到達時刻など具体的な予測情報を知ることができません。情報の錯綜や混乱を避けるため、気象業務法によって、そのような情報は不特定多数には出せないことになっているのです。

しかし県の職員は知ることができますし、津波予報業務許可があれば、あらかじめ気象庁に申請した特定の市町村の職員などには知らせることができます。そうした職員の中には警察や消防関係者、場合によっては民生委員などの社会福祉関係者なども含まれますから、そのような人々が避難誘導や救助を行う際に役立てられることになります。

また不特定多数に出せないのは津波の高さなど具体的な数値なので、例えば「津波が観測されました。だんだん大きくなっています」というような内容であれば、気象業務法には抵触しません。そこで和歌山県や三重県では一般市民にもエリアメールや緊急速報メールで、そのような情報を流す仕組みを取り入れています。

写真
三重県尾鷲市にあるDONET1の古江陸上局。廃校となった小学校の敷地内にある。三重県の場合、DONET観測点からの情報は、ここから尾鷲市防災センターを経由して三重県庁に送られ、そこから各地域に予測情報が伝達される。住民や旅行者に避難をうながす緊急速報メールなども配信される。
ジェーアール東海一口株主, CC BY-SA 4.0
<https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

現在、和歌山県では約100ヵ所、三重県では約60ヵ所の沿岸地域に対して予測を出しています。千葉県でも60ヵ所くらいになる予定です。それぞれの地域は異なる事情を抱えており、予測に対する要望も異なっています。そこで高橋さんはシステムのユーザーである防災関係者や住人と話し合って、各地域に最適な予測を出せるようにしています。すなわちオーダーメイドです。

「例えば浸水域を予測をする場合、堤防を考慮するかしないか、地域によって異なりますね。このあたりもユーザーの使い方に合わせてカスタマイズします」と高橋さんは言います。「地域で自ら運用してもらう形をとるために、和歌山県や三重県から県の職員に来ていただき、津波の計算の仕方やデータベースの構築を学んでいただく体制を維持しています。これは堤防の有無など、刻々と変わる港湾部の情報は県にしか集まらないからです」

また高橋さんらのシステムは実際に津波が起きなくても、あたかも起きたように動かすことができます。過去の大きな地震(例えば昭和東南海地震)の断層モデルや、内閣府が想定しているM9クラスの地震の断層モデルなどを使って計算した波形のデータが、あらかじめ組みこまれているからです。それを避難訓練のシナリオや、予測の精度を検証するために使ってきました。

避難訓練への応用では、地域ごとに起きうる津波のシナリオを選んで訓練用の予測情報を出し、それに基づいて避難の手順を検証してみるという形が実際に行われています。そうすることで津波の高さばかりでなく、どこから津波が入ってきて、どのように浸水が進むのか、といったその地域での津波の特徴を、県や市町村の関係者に伝えられるのではないかと高橋さんは期待しています。

閾値の設定に東北沖地震のデータを使う

もともとは南海トラフで起きる津波を想定してつくられたシステムですが、開発には東北沖地震での経験が大いに役立ちました。例えば水圧計が津波を検知して、一定の閾値を超えたら予測を開始するという最初のステップです。

実は水圧計も地震を検知できます。津波が来る前の水圧を見ると、地震によって細かい変動が記録されているのです。これがシステムによって津波と勘違いされ、予測が始まってしまったら困ります。地震による変動の影響は、なるべく抑えるようにしなければなりません。一方で本物の津波は逃さないようにする必要もあります。そこで最適な閾値を設定するために、過去の地震の記録を参考にするわけです。

DONETの海底水圧計で観測された東北沖地震と津波。縦軸は水圧で、横軸は経過時間。水圧のゆったりとした変化は潮汐によるもの。200,000サンプル(20,000秒)あたりの大きな振動が地震を、続く山のような形をしているところが津波を示している。
提供/高橋成実氏

水圧計が波源から遠ければ、地震による変動と津波との間には、それなりの時間差があるので、両者を判別しやすくなります。揺れの伝わる速度のほうが、津波より速いからです。しかし東北沖地震の震源域近くにあった水圧計では、両者の間に、あまり時間差がありませんでした。南海トラフで地震が起きた場合も、DONETの観測点では同じ状況になる可能性があります。

「(水圧の変化が)地震と津波がほぼ同時に来たような波形の時に、即時予測システムはどんな振る舞いをするのか。そういう部分は東北大学の皆さんからデータをお借りして、その時にはこんなふうに動くね、こういう設定にすれば大丈夫そうだね、というのを確認して、このシステムを組み上げました」と高橋さんは振り返っています。「今でも東北大の皆さんとは共同研究をしたりして、良い関係を築かせてもらっています」

なお地球温暖化のためか、最近は台風などの気象現象も激烈化しています。すると、いわゆる「高潮」もシステムが津波と勘違いしてしまう可能性が出てきます。両者を区別できるようにするのは、現在の課題の一つです。

そして太田さんのシステムと高橋さんのシステム、両者に共通している今後の改良点は、お互いの「いいとこ取り」をすることです。どちらも予測の精度を上げるため、太田さんはS-netやDONETによる観測データを、高橋さんはREGARDが予測する地殻変動の情報を利用したいと考えています。

目的やコンセプトは異なっていますが、それぞれのシステムが進歩・発展して、使う側の選択肢も広がっていくことが期待されます。(次回に続く)

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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