鯨骨生物群集、相模湾沖(提供:藤原義弘/JAMSTEC)

がっつり深める

深海生態系の99%以上は謎なんです!~深海生態系の謎に挑む vol.2~

記事

取材・文 福田伊佐央  撮影 市谷明美(講談社写真部)

巨大ヨコヅナイワシの撮影成功! このニュースは、今年7月に大きな話題となりました。2000メートルより深い海に暮らす深海固有の硬骨魚類として「ヨコヅナイワシ」が世界最大であることが報じられた瞬間でもあります。
今回の大発見に至る経緯や研究の裏側、さらにそこから何がわかるのかを、JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)の藤原 義弘 上席研究員に聞きました。
研究背景やヨコヅナイワシの謎、そこから見えてきたものは「深海生態系」という大きな謎の存在とそれに挑み続ける研究者の姿でした。

プロフィール写真

藤原 義弘

JAMSTEC地球環境部門 海洋生物環境影響研究センター
深海生物多様性研究グループ 上席研究員

鯨骨生物群集の謎

――深海のトップ・プレデターを追う研究者として大活躍していますが、そもそも藤原先生が、研究対象として深海を選んだ理由はどこにあるのでしょうか?

大学時代に「海洋研究会」というサークルに入りました。伊豆や沖縄などのさまざまな場所で素潜りを行い、そこで海の魅力にどっぷりとはまりました。その後、1993年にJAMSTECに就職しました。当初は「熱水噴出孔生物群集(海底温泉の周りに集まる生物群集)」や「鯨骨生物群集」(げいこつせいぶつぐんしゅう)の研究にたずさわっていました。

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鯨骨生物群集、相模湾沖(提供:藤原義弘/JAMSTEC)

――鯨骨生物群集? それはどのようなものですか?

クジラが死んで海底に沈むと、その肉や骨を利用にするためにさまざまな生物が集まってきます。それを鯨骨生物群集とよびます。
浜にクジラの死体が打ち上げられると、自治体から研究機関に連絡が入ることがあります。そうして譲り受けたクジラの遺骸を海底に沈めて人為的に鯨骨生物群集をつくり、どんな生物がやってくるかを観察することで、海の生態系を調べることができます。
たんにどのような生物が集まるのかということだけでなく、そこに集まる生物から、海洋生物の進化の謎に迫る発見もなされています。

沈んだクジラを最初に食べるのは誰だ?

鯨骨生物群集の研究では、相模湾や沖縄など、さまざまな場所にクジラの死体や骨を沈めました。すると沈めてまもなく、骨が持ち去られたり、大きな穴が開いたりすることが続いたんです。
そこで、沖縄の南西諸島海溝、水深500メートルの場所にクジラの骨を沈め、”骨泥棒”を特定しようとカメラを設置しました。
やってきたのはイタチザメという表層性のサメでした! 人食いザメと呼ばれるような獰猛なサメです。そんなに深い場所にまでえさを食べに来るとは想像していなかったので、非常に驚きました。

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イタチザメ(提供:藤原義弘/JAMSTEC)

また別の航海では、相模湾の水深500メートルにクジラを沈め、直後に有人潜水調査船で観察に行くと、今度はカグラザメという深海性のサメが最初の一口を食べにやってきました。
このときに、実際に調査してみないと、その地域のトップ・プレデターが何かはわからないということを痛感しました。そこで駿河湾を手始めに、2016年ごろから本格的にトップ・プレデターの研究を行うようになりました。

トップ・プレデターは生態系の調整役

――そもそも「トップ・プレデター」とよばれる、生態系・食物連鎖の頂点に立つ生物には、どのような役割があるのでしょうか?

トップ・プレデターはその地域の生態系全体に大きな影響をおよぼしているといえます。
有名な例では、アメリカのイエローストーン国立公園が挙げられます。
1920年代に家畜を襲うなどの理由で、トップ・プレデターであるハイイロオオカミを駆除したところ、生態系が大きく変わりました。天敵がいなくなったせいでシカなどの草食動物たちが大繁殖して、植物を食べ尽くしてしまったのです。すると、生物の多様性や森の機能が失われ、川が氾濫したりするようになったのです。
このように、トップ・プレデターが生態系全体に大きな影響を与えることを『トップ・ダウン・コントロール』といいます。

ハイイロオオカミ(提供:JAMSTEC)

結局、イエローストーン国立公園では、別の地域からハイイロオオカミを連れてきて森に戻したことで、生態系は元の姿を取り戻しつつあります。
ある地域の生態系を研究しようとするならば、トップ・プレデターの情報は不可欠なのです。トップ・プレデターのことを知らずに生態系の研究をするのは、極端にいえば、ライオンのことを知らずにアフリカのサバンナの研究をするようなものです。
とくに調査が困難な深海では、トップ・プレデターに関する情報が非常に少ないのですが、地球環境変動や人間活動の影響は深海にもおよびつつあります。そこで深海がイエローストーン国立公園のようになる前に、その理解を深めなければならないと思っています。

魚類の水深限界の先を見たい

――深海のトップ・プレデターというと深海性のサメのイメージが強いのですが、水深2000メートルでは、サメではなく硬骨魚類が生態系の頂点に君臨するのですね? 

一般的な魚類である硬骨魚類と、サメなどの軟骨魚類を比較すると、硬骨魚類のほうが深いところまで分布しています。
駿河湾で研究していても、水深1000メートルぐらいまではサメがトップ・プレデターなのですが、1500メートルを超えてくると急にサメ類が少なくなります。
2000メートルあたりでは、ヨコヅナイワシのような硬骨魚類がトップ・プレデターとなります。

水深7,498メートル地点における生物。えさにヨコエビが群れ、その後シンカイクサウオの仲間があらわれた。えさを取り付けたフレームには、スケールとして赤、緑、青色のガムテープを10センチメートル間隔で貼り付けてある。 (提供:JAMSTEC/NHK/Marianas Trench Marine National Monument U.S. Fish and Wildlife Service)

――なぜ硬骨魚類のほうが深くまで潜れるのでしょうか? 

実は、明確な理由はわかっていないんです。深い場所に暮らす生き物は、生存競争の勝者ではなく、むしろ競争に負けた、あるいは競争を避けた生き物だと思われています。きっと、えさが豊富な浅い海域での競争に敗れて、えさが少なくて水温も低いけれど、競争相手が少ない深い海へと進出したのでしょう。硬骨魚類は、そうした状況が積もり積もって、より深いところへ適応したのだと考えられます。
硬骨魚類の水深限界は、およそ8500メートルだといわれています。しかし生物は、我々の想像を超える形で、その限界を突破することがあります。もしかしたら8500メートルを超えて硬骨魚類がいるかもしれません。今後の調査では、そういったことも調べられたら面白いと思います。

海洋保護区の情報が足りない!

――今回の調査のきっかけは何だったのでしょうか? 

今回のヨコヅナイワシ撮影に至る研究活動の目的の一つは、沖合海底自然環境保全地域(沖合海洋保護区)に関する調査でした。沖合海洋保護区が指定されることになったそもそものきっかけは、2010年に愛知県で開催された「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」です。この会議では陸と海の生物多様性を守るために、さまざまな目標(愛知目標)が設定されました。その中の一つに、「2020年までに海域の10%以上を保護区にする」という目標があったのです。

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日本の4つの沖合海洋保護区「西七島海嶺」「中マリアナ海嶺・西マリアナ海嶺北部」「伊豆・小笠原海溝」「マリアナ海溝北部」(提供:JAMSTEC)

2020年12月に環境省が4つの沖合海洋保護区を指定したことで、日本の海域の13.3%が保護区となり、この愛知目標は達成されました。
ところが保護区は指定されたものの大きな問題が残っていました。それはその海域に生息している生物たちの情報があまりにも少ないということです。地球環境変動や人間活動によって生態系にどんな変化が生じたのかをモニタリングするためには、そもそもその海域にどんな生物がいるのかというベースライン情報が必要です。そこでJAMSTECでは環境省とともに、沖合海洋保護区の生態系調査を行うことになりました。

――その調査を進める中で、元禄海山列からヨコヅナイワシが見つかったんですね。 

そうなんです。まず、2020年と2021年に2つの沖合海洋保護区の生物多様性の調査を行いました。その結果、ヨコヅナイワシという非常に希少で、生態系にも重要な役割を果たす生物が発見されたというわけです。
この結果は、指定された海域が、生物多様性を保護するための海域として適していることが裏付けられたといえるでしょう。

6000メートル以深の海へ

――指定されている保護区でも、まだ調査をされていない地域はありますか? 

まったく何の調査もされていない、ということはないのですが十分な生態系調査はまだまだこれからです。日本の4つの沖合海洋保護区のうち、「西七島海嶺」と「中マリアナ海嶺・西マリアナ海嶺北部」の2つについては調査を開始しました。残る2つの沖合海洋保護区は、「伊豆・小笠原海溝」と「マリアナ海溝北部」です。
いずれも6000メートルを超える深さの海溝を含む海域であり、簡単には調査できませんので工夫が必要です。水深6500メートルまでは有人潜水調査船「しんかい6500」による調査が可能ですが、対象海域にはそれより深い場所も含まれています。
JAMSTECには1万1000メートルまで設置可能なフリーフォールカメラシステムもありますので、そのような装置を活用して海溝域の生態系についても知見を増やしていきたいと思います。

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しんかい6500(提供:藤原義弘/JAMSTEC)

――どのような成果が期待できますか? 

十分な調査が行われていない残りの沖合海洋保護区でも、まだ誰も知らない生物の多様性を明らかにできると思っています。
ヨコヅナイワシに関していえば、今後の調査で生息域の地理的な拡がりを示すことができると思います。深さ方向に関していえば、これまで水深2572メートルまで分布することを確認していますが、どこまで深く生息可能なのかについても明らかにしたいと思います。水深3000メートルを超えてもまだヨコヅナイワシは生息可能なのか、あるいは別の大型捕食者がいるのか、いずれにしても新しい情報が得られるのではないかと期待しています。

深海はまだ1%もわかっていない

――最後に、人類は深海についてどれだけ理解できていると藤原さんは感じているのでしょうか? 

そうですね。単純に数字を出すことは難しいのですが、私の感覚では、まだ1%もわかっていないのではないかと思っています。深海の中で人類が行ったことのある範囲は数%だという説もありますが、しっかりと調査・観測されている場所はもっと少ないと思いますし、それぞれの場所における生物の営みまで把握できているかといえば、まるでわかっていないといえるでしょう。
駿河湾でヨコヅナイワシが見つかったように、すでに人類が到達済みと思われている場所でもまだまだ新種は見つかります。それに私たちに見えている範囲の外、たとえば海底の堆積物の中にもさまざまな生き物が隠れています。どれくらいわかっていないのか、それすらまったく想像がつきません。

 

新たな沖合海洋保護区での調査は、2022年9月にも行われる予定とのこと。未知なる”深海のライオン”を求めて、藤原さんたちの調査はこれからも続きます。新たな海域でもヨコヅナイワシが見つかるのか、未知なるトップ・プレデターとの出会いが待っているのか。今後の調査結果に注目です!

 

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