海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門部門長の小平秀一さん(左)と、東北大学大学院理学研究科教授の日野亮太さん(右)。東北大学大学院理学研究科附属地震・噴火予知研究観測センターの敷地内で撮影。
撮影/藤崎慎吾

がっつり深める

東日本大震災から10年

<第7回>地震を研究するのは、地球が好きだから

記事

取材・文/藤崎慎吾(作家・サイエンスライター)

6回にわたって、東北地方太平洋沖地震(以下、東北沖地震)が、どのように発生し、なぜあれほど巨大な揺れや津波を引き起こしたのか、地震後の海底にはどんな変化が起きているのか、過去にも同じような巨大地震は起きたのか、といったことをお伝えしてきました。次回からは、これから起きる地震をどう予測するか、起きてしまった時にどう対応したらいいか、などについて取材していきたいと思っています。


幕間の位置づけになる今回は、地震そのものにではなく、地震を研究している人にスポットを当ててみました。彼らはなぜ地震というテーマを選び、どんな思いを抱きながら、日々の研究を進めているのでしょうか。そして私たち一般人との接点は? インタビュー形式でお届けします。

みんなで一つのお神輿を担ぐ

今回、お話をうかがったのは、お二人です。一人は第1回にもご登場いただいた海洋研究開発機構(JAMSTEC)海域地震火山部門部門長の小平秀一さん、もう一人は東北大学大学院理学研究科教授の日野亮太さんです。

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日野亮太(ひの・りょうた)

1964年、大阪府生まれ。専門は地震学。東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻で博士(理学)。2015年より現職。1992年に東北大学理学部助手となって以来、日本海溝沿いのプレート境界型地震発生帯の地震活動・地殻変動と海底下構造に関する研究を海底観測をもとに進めてきた。並行して、リアルタイム海底観測に基づく津波即時予測技術や海底地殻変動観測装置の開発にも携わってきた。撮影/藤崎慎吾

日野さんは海底に設置した地震計や水圧計などのセンサーを駆使して、地震時やその前後の地殻変動を研究しています。第2回で「GPS音響測位法(GPS-A)」による観測の話をうかがった東北大学災害科学国際研究所教授の木戸元之さんや、第3回で「小くりかえし地震」の話をうかがった東北大学大学院理学研究科准教授の内田直希さんとは、同じ研究グループに属しています。

「今とくに注目しているのは、東北沖地震が起こった後に日本海溝沿いでまだ壊れていない所、断層すべりが及んでいない所があるんですけども、なぜ及ばなかったのかとか、地震時に大きい力を受けたはずなので、それに対して何か応答していないのかとか、そういうことを知りたい」と日野さんは言っています。

また、これまでの観測結果から、東北沖地震クラスの地震は宮城県沖だけでしか起こらず、岩手県・青森県沖では起こらないのではないかと日野さんは考えています。福島県・茨城県沖でも非常に大きな地震は起きていないのですが、それは断層がずるずる動き続けていて、あまり強く固着しない性質を持っているためのようです。同じことが岩手・青森沖についても言えるのかどうか、地震計やGPS-Aを含む様々な装置で検証しようとしています。

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海から回収されてきたばかりの海底地震計(OBS)を調整する日野さん。 撮影/藤崎慎吾

ではインタビューを始めましょう。

――お二人の出会いは、いつごろでしたか。

日野:いちばん最初に会ったのは、私が修士2年、小平さんが修士1年の時です。小平さんは北海道大学の大学院で、私は東北大学の大学院でした。北大の主導で行われた研究航海に参加して、同じ船に乗りました。確か3月でしたから、私がちょうど修士論文を書いたばっかりで、小平さんが修士1年から2年に上がるタイミングだったと思います。
 航海では相模湾の中の地下構造を人工地震探査*で調べました。相模湾は関東地震(1923年)の震源とも関係するような所ですので、どこにどんな断層があるのか大づかみに構造を調べましょう、というような目的だったと思います。
 海底地震をやっている人は日本中でそんなに多くないので、小平さんという人がいるというのは、その前から知っていましたけれども、たぶん小平さんは当時、ずっと南の沖縄とか、そっちの方の調査をされていたので、直接、会って話をする機会はなかったかなと思います。

  • 「人工地震探査」は第1回で触れた反射法地震探査などのこと。

――初めて船で会って、どんな印象でしたか。

小平:全然、覚えていません。船酔いしたのは覚えている(笑)。日野さんがいたのは覚えてますけど、何があったかとかはねえ……。

日野:共通の思い出みたいなのがないので、作業中すごい大変だったという話をすると、お互いに「ああ、そう言えば、そうだったね」そんな感じですよね。

大学院生時代の小平さん(後列左)と日野さん(後列中央)。研究航海が終わって船からOBSなどの機材を下ろし、トラックを待っているところと思われる。囲みの中は船上のお二人。
提供/日野亮太 氏

――その後も一緒に調査や研究は、されましたか。

日野:北大って当時、すごい幅広くやってたんですよね。日本国内の調査もそうだけど、ノルウェーとか、大西洋の方ですよね。さっき言った沖縄もありますし。僕は東北大にいて、基本的に国内の方をやってましたから、そういう意味ではフィールドがちがうと、結果的に乗る船もあんまり一緒にならないというのがあって、だから現場で一緒になったのは、我々二人とも、もう就職しちゃった後かもしれないですね。北海道南西沖地震(1993年)の時かな。

小平:ああ南西沖もありましたね。確かに、南西沖があった。気象庁の船でしたね。

日野:小平さんは、もう予知センター(北海道大学の旧地震予知観測地域センター)にいたんだよね。

小平:就職して、すぐじゃないですか。

インタビューの様子。右から日野さん、小平さん、筆者。

――お互いに研究者として意識し始めたのは、就職して、しばらくしてからですか。

日野:けっこう頻繁にやり取りするようになったのは、1996年に小平さんがJAMSTECに来られてからじゃないかな。それでも全く同じ仕事を一緒にしたことって、案外ないかも。

小平:海の地震学という意味では、そんなに業界が広くないので、一緒に色んな話をしたり、相談したりしてましたけど、ほんとうの共同プロジェクトって、東北沖地震が起きた時の一連の調査研究からじゃないですか。

日野:そこから後で、ぐっとタイトになった感じですね。

――東北沖地震以降ですか。

日野:だからって、その前に話をすることがなかったかっていうと、そういうわけでもない。逆に言うと、その後がものすごく密に一緒にやらせていただいているので、その印象がすごくあります。
 あとは同じ海の地震観測といっても、私自身は大学院のころはやっぱり同じように人工地震探査をやってたんですけども、就職した後って、どちらかというと人工地震探査というよりは地震活動であったりとか、地殻変動の観測であったりとかって、ちょっとずつ専門がずれていってる。そういうのもあって話はするけれども、ほんとうに同じプロジェクトで一緒に仕事をする、サイド・バイ・サイドでやるという距離感ではありませんでしたね。
 それなりに歳をとってくると、今度は大きなプロジェクトの、こっち側とこっち側をそれぞれ分担してるとか、そんな感じのつき合いっていうことはありますけどね。

小平:日野さんがおっしゃったように、おのおのが所属している組織もあって、研究のアプローチをちょっとずつ棲み分けてきたんですよね。だから重複するっていうよりも、それを組み合わせて大きいプロジェクトをやるっていう、そういう感じに自然となってきた。我々だけじゃない、あと東京大学のチームとかいて、彼らは彼らでまたちょっとちがうアプローチを持っているんで、そのへんを組み合わせて上手に大きいプロジェクトをやるっていう体制が、何となくできたんですよね。
 非常に不思議な世代があって、我々のプラスマイナス2~3年のところに東大の人たちと我々が固まっていて、みんな海の仕事をしていて、ちょっとずつアプローチがちがっている。海のプロジェクトって大きいプロジェクトなので、個人でできないから皆でチームでやろうとすると、それがうまい具合に機能してるっていう感じですかね。

日野:やっぱり同世代だから、それぞれお互いのやっていないところを埋めるようにってことは考えます。全くガチで勝負するんじゃなくて、ちょっとちがうところを自分はやろうかなと思うところがある。そうすると、さっきも言ったように研究者が少ないですから、少ない人間で大きいプロジェクトを回そうと思うと、みんなで分業しないとできないので、それぞれの得意分野を合わせてっていうふうにフィードバックがかかっていく。すると結果的に、みんなで一緒にやらないと何もできないみたいな感じになってくるんですね。

――逆に一つのことに関して競争するとか、出し抜いてやろうというような余裕はなかった?

日野:うん、みんなで一つのお神輿を担がないと、潰れちゃうよという感じかな。