がっつり深める

東日本大震災から10年

<第7回>地震を研究するのは、地球が好きだから

一人一人の知識レベルを上げていく

――一方でマスコミや一般市民が地震学者に対して何を期待したらいいか、あるいは、どういうふうにアプローチしたらいいかっていうこともあると思うんです。コロナウイルス禍に関しても専門家の方々を頼っている一方で、非難したり炎上させたりもしています。そういう状況って、たぶん地震の時も起きると思うんですけども、我々一般市民やマスコミは、地震学者に対して何を期待し、どういうふうに地震学者の言うことを受け止めればいいのか、学者の立場からはどう思われますか。

日野:難しいですね。例えばコロナとか見てて思うのは、学者先生は何でも知っているからと、答えを求める。ある種、特効薬みたいなものが、ほんとうに最高レベルの専門家に尋ねれば出てくるって、何となく信じられているような気がするんですね。だけども、そうじゃないわけです。我々も震災に対する特効薬って、何も持っていない。
 ただ確定的なことは言えないけれども、例えば大きい地震が来たら津波が来るんだとか、もう少し定量的に、これぐらいの津波は、この海岸には来そうなんだとか、この地方とこの地方は地震が起こった時に受ける災害のパターンがちがっていて、建物に気をつけたほうがいいのか、崖崩れに気をつけたほうがいいのか、なんていうことは、自然科学をちゃんと積み重ねていけば言えると思うんですよね。そういう意味では、理屈で考えればこうなるはずだという常識みたいなものですかね。
 地震は災害だけれども、あくまでも自然現象ですよね。「夕焼けだったら明日はいい天気だろう」的なものでも、自然科学としての裏づけがある規則性なんだけれども、それと同じようなものを、どうやって皆さんに染みこませていくか。それが染みこんでいくと、いわゆる自助、共助、公助の自助のレベルが上がってくると思うんですよね。「逃げろ」って言われて行動するんじゃなくて、自分で考えて「ああ逃げよう」って思ってもらえる。
 全部マニュアルで、こうしなさいっていうのを出すように期待されるのはまちがっているし、出せることを目指すのも僕はあまり正しくないと思っている。それを出せるほど、理解力も観測レベルも上がっていかないと思うので、みんなが何となく自然に「危なさそうだ」というのが、わかってもらえるようなところにもっていきたい。そういう意味では自然科学の理解度の水準を、今から少しでも上げられるといいのになと思うことはありますね。まあリテラシーという言いかたで表現される方もいますけど、そういうところですかね。
「危ないよ、怖いよ、災害対策はこうだよ」っていうふうにもっていくんじゃなくて、私たちが今の学問に興味を持ったのと同じように、面白いと感じられるところも取り入れながら興味を持ってもらって、何となくそうするのが自然だっていう考えかたの人が増えてくれれば、もう少し社会全体のレベルも上がっていくのかなあという気がするんですよね。私自身はそういうことで役に立てると、自然科学者として本望ですね。

――小平さんも、わかっていることをちゃんと伝えたいとおっしゃるのは、同じ意味ですか。

小平:そうでしょうね。あとはマスコミの悪口を言うわけじゃないんですけど、やっぱり商業雑誌は売れないといけないので、どういう記事を書けば売れるのかということを編集者の方は考えながら、それに合った発言をしてくれる人を探してきて、しゃべらせるということをする。商売としてはしょうがないんだけど、そうすると怪しい情報とか色々ありますよね。そこをやめろとは言えないけど、それを読んだ一般市民が正しいネタ、怪しいネタを判断できるようにするのは、すごく難しい。そこはたぶんコロナの時も地震の時も、アメリカの温暖化の議論もそうかもしれないけど、ずっとつきまとうことだと思います。
 解決策はないけど、やっぱり日野さんが言ったように一人一人の知識のレベルを上げていくっていうのは、100%それで解決はできないけど、読んでいる人の中での判断基準が上がってくる助けにはなるような気がするので、そういうことはやっていかないといけないなあと思います。あとはマスコミの書いている側も、それなりにリテラシーというか知識を上げて、書いているものがどういうものであるかということを、わかった上で書いてくれるふうにしていかないと、いけないのかなっていう気がしますね。

地震本部が揺るがないリファレンスになる

――そうは言っても、とにかく色んな情報源が今、世の中に溢れている中で、ここの言うことはだいたい大丈夫だよ、OKですよというのが何となくわかっていたほうがありがたいなと思うんですよね。コロナに関しては政府の言うことも信じられないし、デマも含めれば無数の情報が渦巻いている中で、みんな混乱していると思うんです。そうじゃなくて、おおむねここから出てくる情報は信じていいというのができていると、すごくありがたいんですが、地震の場合は、どこを信じればいいんでしょうか、とりあえず?

日野:地震調査研究推進本部(地震本部)が、そうなろうとしているはずです。まだ、たぶんそこまでは行ってないけれども、そうならなきゃいけない。偉そうな意味での総本山というわけではなくて、どちらかというとポータルサイトですよね。何かあったときに、まず地震本部のホームページを見れば、たいていのことはわかると。
 もちろん常に不確定性はつきまといますから、それだけ見ればいいというわけじゃないけど、色んなものを見る時の基準にしてもらえる。「地震本部はこう言っているけど、他の人たちはどうですか」はあっても、地震本部抜きで、こっちとこっちはやらないでねっていうふうに、みんなが信じてくれるようなものは、つくんなきゃいけないなというのがあって、私の気分は地震本部にその役割をぜひ担ってほしいと思います。

地震調査研究推進本部(地震本部)のホームページ。地震に関する、ほとんどあらゆる情報が手に入る。
https://www.jishin.go.jp

――JAMSTECはどうですか。

小平:JAMSTECは地震本部に情報やデータを出していく立場なので、JAMSTECが持っている情報をJAMSTECとして発信はしますけれど、それはあくまでも一研究機関の発信になる。そこをオーソライズしていくのは、やっぱり私も地震本部だと思ってるんです。あそこがきちんと機能していけばいいし、今でもそういう努力はされています。
 よく話をすると「何か先生方や国の委員会は隠しているんでしょう?」とか、そういうことを言う人もいますけど、絶対にそういう意識はなくて、手元にあるデータを正しく判断して情報を出していこうとしている。やっぱり信用できる情報は地震本部から出ていくし、我々はそのためにデータを地震本部に出していくというスタンスをとっているので、そこが機能していけばいいなと思いますね。
 だけど地震本部から出す情報って、そのぶん慎重になる可能性はあるかもしれない。わからないことは、わからないっていうようなこともあると思いますけどね。

――スピードもけっこう重要になってきますよね。

小平:それはやっぱり意識して、スピードは上げて、持っている情報を出していくということはすると思いますけどね。

日野:やっぱり地震本部は、社会への影響みたいなものを加味せざるをえない。一方で個別の研究機関は、とったデータに非常に自信があれば、積極的に出していくでしょう。ただ、そこで発言する時に、どんなに用心深く発言しても、受け取る人が「これはやばい」という情報だと受け取っちゃったら、たぶんそのまま炎上するというか、わあっと広がっちゃうと思うんですね、尾ひれがついて。
 そういうことはコントロールできないんだけども、その時にもやっぱり、ここがリファレンスというのがちゃんと決まっていれば、収束は早くなると思うんです。もう全くわけわかんなくて、みんなが全然ちがうことを言って、わあっとなるのが、ほんとうのパニックだと思う。それを避けるためには、権威づけではなく、揺るがないリファレンスがあるというのが大事なんじゃないかなと思いますね。とくに今みたいに、みんなが勝手に情報を発信できるようになった世の中になってくると、やっぱりオーソリティってないと危ないなという気がしますね。

震災より地震が主役になってほしい

――最後にちょっと大きな話になってしまいますが、人類は地震のような災害と、どうつき合っていけばいいと思われますか。

小平:少なくとも災害はなくならない。災害というか、災害を起こす地球の変動現象はなくならないですよね。それは必ず起きてしまう。それに対して我々、人間が何をできるかというと、何で起きるのか知るということをしたくなりますよね。原因を知りたくなる。いつ起きるかとか、起きたらどうなるかを予測・予想したくなります。そして起きちゃった時に、自分たちの命や財産を失わないように防ぐっていうことをしたくなりますよね。たぶん、どれをやっても100%勝つっていうことは、きっとできないんじゃないか。
 これはあきらめじゃないですけど、そういうことを知った上で、やっぱり原因を知り、それに基づいてどうなるかを予測し、想像力を働かして、どうやって被害を減らしていくかを考えるっていう、その努力をしていくしかないんですかね。地球の変動を制御することは、おそらくできないですよね。やっぱり、そこは知識と技術で現象を理解し、予測・予想し、対応を考える。ひょっとしたら、それは勝ち目のない戦いなのかもしれないけど、知識と技術で解決する努力を、ちょっとでも積み重ねていくっていうことですかね。

日野:いちばん最初に私が思いついた言葉は「覚悟」だと思うんですよ。その覚悟を決めるのに色んな情報がいりますよね。例えば、今はコロナが流行っている。家から一切出ないと安全だってわかっているけど、でも買い物に行かなければならないとか、何かアクションを起こす時に覚悟ってしますよね。
 その覚悟を決める時に、やっぱり色んなことを知っていることが大事。それから色んな情報が入ってくる中で、取捨選択する必要がある。覚悟を決めるために何が大事かは、その時々でちがうんだけれども、結局、人間はみんなリスクを回避しながら欲求を満たすというバランスをいつもとるわけですよね。
 で、最後に決断するわけですから、その決断をするのに必要な情報、良質な情報をどれだけ出せるかっていうのが、そういう意味では学者である私たちの責任だろうと思います。それは地震学に限らず、全てにおいてそう。
 一方で学者ではなく個人の自分で言えば、覚悟を決めるんだから、それはイコール自分に対して責任をとる。決めたことは自分が決めたことなのであって、誰かにやれと言われたことじゃないんだから、それはもう仕方がない。仕方がないと思えるまで、ちゃんと考える。それもまた覚悟だと思います。

――覚悟を決める時に知識は必要ですが、普段から地震に対して興味がないと、なかなか皆さん情報を受け取りませんよね。それを、どう喚起していったらいいのか。

日野:頭の中で地震とか津波を起こせる人になってもらえれば、もう大丈夫だと思うんですよ。だって雨が降ってどうなるかは、みんな想像がつくじゃないですか。台風が来たらどうなるっていうのも、ある程度、想像がつくじゃないですか。その想像を超えるから災害が起こるわけですけれども、地震が来た、ガタガタガタって揺れる、この後どうなるっていう、ほんとうに一瞬、10秒か20秒の間に「このまま揺れが大きくなるかもしれない、これは大変」って思えるかどうか。で、揺れがおさまった、「今の地震は大きかったね、で、どうする?」っていうのも、これはやっぱり自分がどれだけ地震が来る前に頭の中で地震を起こせてたかですよね。
 その想像力も、やっぱり情報、どれだけ知識が頭の中に蓄えられて、それが横方向にどれだけつながっているかだと思います。そういうことを、急にみんなができるようになりなさいとは思わないけれども、でも学者たちは普段からそういうことをやり慣れているわけですよね。そういう思考様式みたいなものが何かの形で色んな人に伝わって、私たちの頭の中でこういうふうに考えているっていうのが、うまく渡せるといいんですが……。
 私たちが講演の依頼をいただく時も、地震というのと震災というのは、あまり明瞭に区別されていないんですよね。多くの人たちがほんとうに興味を持っているのは、たぶん震災だと思うんですけども、やっぱりもっと地震のほうが主役になって、地震が脚光を浴びてこないと、結果的に震災を理解するというのにつながってこないと思います。もう来年とかにも大きい地震があるかもしれないような国に住んでいるわけですから、応急処置として震災対策を知っておくというのも、それはそれで大事だと思います。だけど、それとは別に、やっぱり地震を知っているという状態に、一人でも多くの人になってほしいなと思いますね。

小平:我々が努力しなきゃいけないんでしょうから、あまり高飛車に言うことはできませんが、やっぱり知識を高める必要はあると思います。日本の子供たちは、たぶん世界的に言ったら地震や津波に関する知識って相当、高いと思うんですけど、子供の親とかその上の世代も含めて全体の知識レベルを上げていかなければならない。地震現象とは何か、起きたらどうなるかっていう知識と想像力、それを身に着けていってほしい、あるいは、いけるように我々が努力しなきゃいけないっていうことですかね。
 皆さん、すごく関心はあると思うんです。東日本大震災の後も「何が起きてるの、どうなってるの」ってすごく質問を受けたし、色んなお話をすると興味を持って聞いていただけたので。でも、あれから10年も経つと、また意識がもとに戻る。みんな少しずつ忘れていってしまうので、それを忘れず、我々はそういう所に住んでいるんだ、常にそういう想像力を豊かにして暮らしていかなければならないんだっていうことを意識してもらうんですかね。
 ちょっとレベルの低い話になりますけど、日本の中学・高校で地球科学ってそんなに力を入れて教えないじゃないですか。何かもうちょっとできないかなあと……怖いもので脅すわけじゃないですけど、災害とか自然現象にからめながら、興味を持っていってもらうといいんじゃないかという気はしますけどね。

――かつての竹内均先生みたいな方がいらっしゃるといいんですかね。あるいはノーベル地球科学賞が設置されるとか(笑)。

日野:ノーベル賞って面白いなあと思っていて、あれは最初「何か人類の役に立った人を褒めてあげましょう」だったと思うんですよね。アルフレッド・ノーベル(1833~1896年)の考えかたって、たぶんそうだったと思うんだけれども、今は結果的に役に立った人が賞の候補になることが多いですよね。でも賞をもらった先生方は、最初から役に立とうと思って研究をやっていたわけではないことが多い。ほんとうに彼らの好奇心を高めに高めた結果として、そうなっている。やっぱり学問の最先端は、どの分野でもきっとそうなんだろうと思います。最先端を極めることで、結果的にそこから役に立つものが転げでてくるんだと思うんですよね。
 だから、さっき責任って言いましたけれども、立場上、許されれば、何の責任も負わずに、ほんとうに真剣に地球のことだけを考えている人がたくさんいるというのも大事だなと思います。一般の人たちにいっぱい味方をつくりたいというのもありますけど、やっぱり地震予知がやりたい、人の役に立ちたいというモチベーションじゃなくて、地球が好きっていう研究者がいっぱい育つといいなと思うというのもありますね。

――まずは自分も含めて、もっと地球を好きになるようにしたいですね。ありがとうございました。

(次回に続く)

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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