北極で今、何が起きているのか/左:写真提供 木元 克典/JAMSTEC 右:写真提供 JAMSTEC

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JAMSTEC探訪

「北極の氷がとけたら日本で何が起こる?」 北極研究者が考える影響とそのワケ ――地球にとって「北極」はどんな場所?

記事

取材・文 岡田仁志

日本からおよそ5000キロの距離にある氷の世界、北極。「とてつもなく遠い場所」「年中氷に覆われた地域」「ホッキョクグマのいるところ」――みなさんはどんなイメージを持っているでしょうか。私たちにとって必ずしもなじみが深いとは言えない北極ですが、実は、国内では新しい北極域研究船の建造計画が進むなど、今研究者たちの“熱視線”が注がれています。なぜ彼らは北極に注目するのか、海洋研究開発機構(JAMSTEC)北極環境変動総合研究センターの菊地隆センター長に話を聞くと、その背景には地球環境における北極の役割や、温暖化との関連があるようです。北極の氷がとけたら日本で何が起きるのかという難しい疑問も含め、たっぷりとお話を伺いました。(取材・文:岡田仁志)

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菊地隆センター長(2009年の北極点近くでの氷上キャンプにて)/写真提供 JAMSTEC

北極は地球の「ラジエーター」

──北極は地球や海洋を研究する上でどんな意味を持っているのでしょうか。

菊地隆さん※以下敬称略:北極は地球温暖化の最先端と言えます。具体的に見ていくと、まず地球全体をひとつの熱システムとして見た場合、熱帯域が「エンジン(熱源)」で、北極と南極は「ラジエーター(冷熱源)」に例えることができます。自動車のエンジンも、冷却水を入れたラジエーターによって、オーバーヒートを防いでいますよね。それと同じように、熱帯が受けた熱が極方向に移動して、北極と南極で冷やされる。そのバランスが保たれることで、現在の地球環境の気候が成り立っています。

──そもそも、なぜ北極と南極は冷たいのですか?

菊地:ひとつの理由は、太陽からの熱のインプットが少ないことです。夏は白夜になりますが、太陽の高度はそれほど高くないです。逆に冬には一日中太陽が出てこない「極夜」になり、入ってくる太陽の熱はゼロになりますからね。

でも、極地が冷たい環境を保てる理由はそれだけではありません。極地では表面が白い雪氷に覆われているために、入ってくる熱を反射してしまうんですね。ラジエーターの役割を効果的に果たすためには、この雪氷の存在が必要不可欠です。

──なるほど、温暖化で極地の雪や氷が減少すると、地球を冷やす役割が弱くなるので、ますます温暖化が進むわけですね。北極と南極には何か違いがあるのですか?

菊地:同じラジエーターでも、その実態は大きく異なります。北極は真ん中が海(北極海)で、まわりに陸地がある。南極は逆に真ん中が陸地で、まわりが海。これが根本的な違いを生んでいるんです。

というのも、南極は南緯90度から70度ぐらいまで広がる大きな陸地で、そこに長期にわたり降り積もった雪が平均2000メートルの厚さの氷床となって覆っています。厚いところでは4000メートルにもなる。一方、北極の氷は海水が凍って浮かんでいるだけなので、そんな厚さにはなりません。氷が折り重なっているところでも、せいぜい10〜20メートル。昔は平均で3〜4メートルとされていましたが、いまは1〜2メートルと言われています。また海氷は少しとは言え割れているところもあって、そこは海水面がでて大気を暖めてしまいます。そのため、平均気温は南極がマイナス50度程度なのに対して、北極はマイナス20度程度。同じラジエーターでも、その強度はまるで違います。

海水面の露出によって大気が暖められてしまう/写真提供 JAMSTEC

また、たとえば氷が1メートルとけたとしても、ラジエーターの役割として平均2000メートルもある南極の氷床にとっては痛くもかゆくもありませんが、北極では致命的。海水面が現れると太陽の熱を吸収し、温暖化が加速します。ラジエーターとしては、北極のほうがはるかに脆弱で壊れやすいんです。

したがって北極は、温暖化の影響をより受けやすいと言えます。地球温暖化が進む中で、もっとも気温上昇が激しいのが北極なんですよ。その上がり具合は、全球平均の約3倍。産業革命以降、地球全体の平均として1度以上の気温上昇が起きていると言われていますが、北極域では既に3度以上気温が上昇しているのです。

NASA GISS Surface Temperature Analysis(https://data.giss.nasa.gov/gistemp/graphs/)をもとにJAMSTEC作成

さらに南極と違って、北極の場合はまわりの陸地にたくさん人が住んでいるので、その意味でも温暖化の影響は深刻です。たとえば雪や氷がなくなると動植物にも影響が出ます。そして現地の人たちが食べるものも変わります。永久凍土がとけると地盤がゆるむので、建物が傾いたり道路が壊れたりもします。地球温暖化の影響が既に目に見える形で現れてきています。

──私たちが想像する以上に地球温暖化による問題が顕著に現れているのですね。

菊地:そうですね。ほかにも、たとえば太平洋には海水面の上昇でピンチに陥っている島などがあります。これらの地域とともに、北極は地球温暖化に伴う激しい変化にさらされています。また急速に状況が変わるので、その理解のためにはどこよりも高い頻度で調査する必要があります。北極で起きていることは地球全体の変化と密接に関係しているので、地球全体の環境変化や温暖化の影響を知る上でも、たいへん重要な研究テーマです。

北極の氷がとけると、日本に何が起こる?

──北極の海氷は今後もどんどん薄くなっていくのでしょうか?

菊地:海氷がとけると、海水面が現れます。海水面は白くないため太陽の熱を反射しません。そのため温められて海水温が上がります。このことはさらに海氷をとけやすくします。そういう正のフィードバックがかかってしまうので、海氷減少が、そして北極の温暖化が加速しているのです。

──もう後戻りができないような状態なのでしょうか。

菊地:北極海の海氷減少については、臨界点を超えていると言われています。先にお話ししたフィードバックなどが効いていることも大きな要因です。もちろん温暖化対策がどこまで進むかにもよりますが、現時点での予測モデルでは、今世紀の中頃には夏に氷が完全になくなる年が出ると計算されています。その先の予測は精度が低いので憶測レベルの話ではありますが、このまま温暖化が続くようであれば、2300年頃までに冬でも北極の氷がなくなるという説もありますね。

──北極の変化は、日本列島周辺にはどのような影響を及ぼすのでしょう。

菊地:北極は温暖化の最先端ですから、そこで起きたことはいずれ日本を含めて世界中で起きる可能性があります。たとえば、海洋酸性化がいち早く起きたのは北極海。海が酸性化すると炭酸カルシウムがとけやすくなるので、いま北極海では殻を持つプランクトンが危機に瀕しています。 実際、ある研究航海で、北極で採取した海水にクリオネのエサになるミジンウキマイマイという殻を持つプランクトンを入れる実験をしたところ、可哀想ですが10日ぐらいで殻がボロボロになって死んでしまうという結果になりました。同じことが日本周辺の海でも起これば、生態系が変化して漁業などにも影響が出る可能性はありますよね。

正常のミジンウキマイマイ/写真提供 木元 克典/JAMSTEC
pHの低い中層の海水を使った飼育実験。ミジンウキマイマイの殻がとけている様子がわかる/写真提供 木元 克典/JAMSTEC

また、氷が少なくなったせいで、北極海は「蓋」が外れたような状態になっています。そのため、風が吹くと以前よりも波が立ちやすくなりました。その影響で海岸浸食が進み、アラスカ沿岸の村が高潮によって潰れて移住を余儀なくされたりしています。これも同じことが世界各地で起こる可能性があるので、海水面の上昇や高潮・波浪の変化と影響などを知るために、北極は注目すべき場所の一つです。

──北極というラジエーターが壊れると、日本も冷やされなくなって暑くなると考えてよいのでしょうか?

菊地:気候の変化は複雑な要因がからむので、あまり単純な話ではありません。たとえば少し前までは、北極の氷が減ると日本は逆に大雪になるという見方がありました。

というのも、大西洋側から北極海の入口あたりにある氷がとけると、暖かい空気が北極に入り込む一方で、北極の冷たい空気がシベリアのほうに出て行きます。そのため「ウォーム・アークティック コールド・シベリア(暖かい北極、冷たいシベリア)」と呼ばれる現象が起きるんですね。

これはいわば、冷蔵庫のドアを開けっ放しにしたような状態。暖かい空気が冷蔵庫(北極域)に入るとともに、冷たい空気が冷蔵庫の外(シベリア域)に出てきたというふうに例えてみたのです。シベリアが寒くなると、気候的に下流にある日本に次々と寒波がやって来ます。だから90年代末から2010年代までは、「北極の氷が少ない年に日本は大雪になる」と言われていました。

しかしこの現象は、もう終わりかもしれません。冷蔵庫のドアが開いていても、冷蔵庫の中が暖かい空気で満たされれば、もう冷たい空気は出てきませんよね。ですから、「ウォーム・アークティック コールド・シベリア」は温暖化による過渡期の現象だった可能性があります。さらに温暖化が進めば、別のステージを迎えるかもしれないわけです。そもそも北極域を冷蔵庫に例えるのが正しかったかどうか。冷蔵庫そのものが壊れてきたかもしれないですね。

こうした気候の変化は、地球全体を見なければわかりません。日本列島は北極の冷たい勢力と赤道の暖かい勢力が押し合いへし合いする位置にあるので、その両方を見る必要があります。もともと日本では「エルニーニョ現象」や「ラニーニャ現象」など赤道側の気候に強い関心が寄せられてきました。今後は北極側の調査や研究もさらにがんばって進めなければいけないと考えています。

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ここまで北極が地球にとってどういった意味のある場所なのか、また海氷がとけるとどんなことが起こるおそれがあるのか、ということについて話を伺ってきました。ではそんな北極の今とこれからを知るため、実際にどんな研究が行われているかを後編『「北極海に潜るドローン」に「新研究船計画」も、今“熱い”北極研究の最前線を紹介する!』で見ていくことにしましょう。

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