数々の深海探査を実現させてきた海洋研究開発機構(JAMSTEC)超先鋭研究開発部門の高井研さん。生命存在の限界やその起源を調査・研究する第一人者として知られる高井さんが、2025年12月に新たな調査航海に出発します。
場所は、地球上でもっとも深い海底「マリアナ海溝」の周辺。そこで海底の掘削や生物サンプルの採取などを行う予定だそうです。今回の目的は「モワーム(MoWAME)」の総合調査。モワームとは、地球内部の「マントル」から届く特殊な熱水と、その熱水を利用する微生物たちのことです。モワームを調べることによって、生命が生息できる環境の限界、生命の起源に関する情報が得られるといいます。また、世界でもっとも深い場所での「海のコア試料の採取」や「生命の生育圧力限界」といった世界記録の更新もめざします。
この調査航海の目的について、さらには、さまざまな航海を“プロデュース”するコツについても高井さんにお話を聞きました。(取材・文:福田伊佐央)

現代の“ビーグル号航海”がはじまる!
――2025年12月から翌年1月にかけて、約1ヵ月にわたるマリアナ海溝での調査航海が計画されていると聞きました。
はい、JAMSTECの海底広域研究船「かいめい」を使った調査航海を行う予定です。2025年12月17日にJAMSTEC横須賀本部を出て南下し、サイパンに向かいます。そこからマリアナ諸島周辺で、無人探査機を使って深海熱水域から生物や岩石の採取を行い、大体12月30日にサイパンに入港します。これが前半の「レグ1」ですね。
12月31日の大晦日にサイパンを出港して、後半の「レグ2」が始まります。レグ2は、地球でもっとも深い「マリアナ海溝」で、深海底に金属の筒を刺して海底下の堆積物を採取します。また、マリアナ海溝の東側にある「アウターライズ」とよばれる領域でも、海底下の堆積物や海水などを採ります。そして、1月23日に横須賀にもどってくる予定です。

研究者の夢とロマンが詰まった「モワーム」とは?
モワームとは「Moho Water And Microbial Ecosystem」の頭文字を取った略語で、これは造語なので知らなくても当然です。直訳すると「モホウォーターと微生物生態系」という意味になります。
地球の表面を覆う「地殻」とその下にある「マントル」の境界のことを「モホ面(モホロビチッチ不連続面)」といいます。

このモホ面やその下のマントルを調査することは、研究者にとって長年の夢なのですが、薄いところでも5キロメートルはある地殻を掘り進んで、モホ面やマントルに到達するのは現時点では難しく、直接調べるのは困難です。
しかし、海底では、マントルを構成する高温の岩石と反応した熱水が、地殻を通り抜けて湧き上がってくることがあります。その熱水が「モホウォーター(Moho Water)」です。
海底から湧き出すモホウォーターの中には、マントルの岩石の成分がフレッシュな状態で含まれていると考えられます。つまり、マントルから取った“一番出汁(だし)”のようなものです。直接、マントルまで掘り進めなくても、モホウォーターがマントルの情報を運んできてくれるんです。
――では、モワームの「微生物生態系(Microbial Ecosystem)」とはどういうことでしょうか?
水と何らかのエネルギー源があれば、そこには必ず微生物がいます。モホウォーターの中にも、マントルの成分を利用する微生物たちが独特な生態系をつくっているはずです。
僕らは微生物がいることを“虫がわく”と表現することがあります。モホウォーターがある場所には、見たこともない“虫がわいている”可能性があるというわけです。
モワーム、つまりモホウォーターとそれに付随する微生物の生態系を調べることで、マントルと未知の微生物に関する情報が得られます。だから、モワームには、研究者の夢とロマンが詰まっているんですよ。
マリアナ海溝がモワームの調査に適しているわけ
――調査をする場所は、なぜマリアナ海溝なのですか?
海底からモホウォーターが出ている場所は、まだ世界で数ヵ所しか見つかっていません。その一つがマリアナ海溝の周辺なんです。しかもマリアナ海溝では、アウターライズとよばれる海溝の外側(東側)の隆起した部分で、モホウォーターと思われる熱水が噴出しています。アウターライズで熱水噴出が確認されているのは、今のところマリアナ海溝だけです。
マリアナ海溝は、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下にもぐり込むことでつくられます。太平洋プレートは古くて硬いプレートなので、もぐり込むときに力がかかると折れやすくなっています。そのため、アウターライズでは太平洋プレートがバキバキに折れて、深い断層ができています。
この深い断層を通って海水がどんどん海底下に入り込み、マントルにまで達した海水はマントルの岩石と反応します。こうして、マントルの“一番出汁”というべきモホウォーターがつくられます。その後、モホウォーターは、アウターライズ周辺や遠く離れた海溝付近から湧き上がってくると考えられています。

――アウターライズだけでなく、海溝付近からも湧き上がってくるんですね。
海溝付近では、熱水だけでなく、マントル由来の「蛇紋岩」という岩石もいっしょに噴出します。マリアナ海溝では、もぐり込まれる側のフィリピン海プレートのマントルが、もぐり込む側の太平洋プレートによって削られたり、押し合ったりしています。
そのマントル部分に、堆積物に染み込んだ海水や地殻に染み込んだ熱水がしぼり出されてやってくると、マントルを構成する岩石である「かんらん岩」と熱水が反応して、「蛇紋岩」という軽い岩石ができます。蛇紋岩は深部のほかの岩石より軽いので海水中で浮きやすく、フィリピン海プレートの前弧域という場所にできた亀裂(断層)に沿って熱水とともに噴出してくるんです。

海溝とアウターライズの両方でモホウォーターと思われる熱水が噴出している場所は、今のところ世界中でマリアナ海溝しかありません。2つの異なる経路で噴出するモホウォーターが一度に調査できるマリアナ海溝は、モワームの調査にうってつけなんです。
水深1万メートルから海底下40メートル、人類未到の領域へ
――今回の調査航海で、どんな成果が期待されますか?
まずは「海洋最深到達コア」の世界記録の樹立ですね。研究船「かいめい」には、「ジャイアントピストンコアラー(GPC)」という、海底下の堆積物の地質試料を採るための装備があります。
GPCは最大40メートルもの長さの金属の筒を海底に突き刺して、円柱状の「コア試料」を採ることができます。

マリアナ海溝のチャレンジャー海淵は世界でもっとも深い場所として知られています。2025年に中国の調査船が、マリアナ海溝の海底下7.5メートルのコア試料の採取に成功したことを報告していて、それが海洋コア試料では、現在、世界最深記録です。
今回、マリアナ海溝で海底下40メートルのコア試料を採取できれば、世界記録を圧倒的に更新できるでしょう。
生命の生育圧力限界の世界記録更新を!
採取したコア試料からは、もう一つの世界記録をねらえると思っています。それは「生命の生育圧力限界」の世界記録です。
――生命の生育圧力限界とは何ですか?
生命が生育できる環境には限界があって、それはいろんな条件によって決まります。温度、pH(酸性・アルカリ性)、圧力などです。あまりに高かったり低かったりする温度やpH、圧力のもとでは生命は生きられません。
生命の圧力限界の世界記録は、細かくいうと2つあります。1つは有機物を食べて生きる「従属栄養微生物」での記録で、約140メガパスカル(水深約1万4000メートルの水圧に相当)です。
この圧力までなら耐えられるという微生物=バクテリアが、マリアナ海溝の水深1万900メートルの場所から見つかっています。ちなみに、この140メガパスカルという圧力は実験室で確認された記録なので、採取された場所(自然環境)でこの圧力がかかっていたわけではありません。
もう1つは、自分で有機物を合成できる「独立栄養微生物」での記録で、約80メガパスカル(水深約8000メートルの水圧に相当)まで生きられる微生物=バクテリアが見つかっています。
このバクテリアは、僕らが日本海溝の水深7600メートルの海底で採取したコア試料から見つけたものです。

今回の調査航海では、水深約1万1000メートルのマリアナ海溝のさらに海底下40メートルからコア試料を採る予定です。そこにはおそらく独立栄養微生物、しかもバクテリアだけでなくアーキアもいるはずなので、少なくとも独立栄養微生物の圧力限界の記録は確実に更新できると思います。
――従属栄養微生物の記録についてはどうですか?
マリアナ海溝最深部の海底下の泥=堆積物は、10メートルより深くなると酸素がなくなってきて、水素やメタンがふえてくると予想しています。マリアナ海溝最深部から酸素がない領域のコア試料がこれまで採られたことはありません。今回、GPCによる40メートルのコア試料だとそれが可能です。
環境が変わると、そこにいる微生物の種類も変わってきます。酸素を使わずに生きる嫌気微生物に焦点を当てれば、140メガパスカルという従属栄養細菌の圧力限界記録もあっさり更新できるんじゃないかと、僕は思っています。
もしかしたら、今回の40メートルのコア試料の途中で生命の圧力限界がきて、ある深さからは微生物がまったくいなくなる……なんて可能性もゼロではありませんが、おそらく自然環境中の真の圧力限界条件はまだ見えないでしょうね。
もう一つの生命限界から、生命の起源に迫る
――レグ2では、マリアナ海溝のアウターライズでもコア試料を採取する予定ですね。
マリアナ海溝のアウターライズでは、熱水が噴出している場所をねらって、GPCでコアの採取を試みます。海底で熱水が噴出している場所には、「ポックマーク」と呼ばれる特徴的な地形ができます。何かが海底からポッと噴出した跡が、火口みたいになっているんです。

この噴出している場所に筒を突き刺してコア試料を採取することができれば、マントルの“一番出汁”であるモホウォーターの成分や、その成分を使って生きている微生物の生態系に関する情報が得られます。
ただ、GPCにはカメラが付いているわけではないので、ピンポイントで海底のねらった場所に突き刺すのはむずかしいんです。アウターライズで熱水が噴出しているところのコア試料がちゃんと取れるかどうかは、やや運任せのところがあります。なので海水中に漏れ出したモホウォーターの成分を調べるために、多連採水器による採水も行います。
――噴出している場所にうまく突き刺さってくれるといいですね。
微生物の生態系に関していえば、アウターライズではなく、マリアナ海溝の「前弧」とよばれる陸側斜面にある海山で、もう一つの生命限界に関する情報が得られることを期待しています。それはアルカリ性の生育限界です。

マリアナ海溝の前弧域には、先ほど紹介した「蛇紋岩」というマントル由来の軽い岩石が噴き出してくる海山がいくつかあります。
実は、蛇紋岩が噴き出す場所の熱水(冷えた熱水)って、めちゃくちゃ高いアルカリ性になっています。蛇紋岩ができるときの反応で水素やメタンが生成されるだけでなく、海水が強アルカリ性になるんです。
生命が生きられるアルカリ性の限界は、pH12.5であることがJAMSTECの研究者による実験によってわかっています。ところが、マリアナ海溝にある海山の強アルカリ性の冷えた熱水のpHは現場条件では13を超えています(大気圧・室温に戻すとちょうどpH12.5ぐらい)。生命の限界付近の値なので、海水を採ってきて調べてみても微生物がなかなか見つかりません。
ただ、今回調査する予定の「コニカル海山」は、それらの海山とは少しちがっています。コニカル海山は、蛇紋岩が噴出するほかの海山にくらべて水素や有機物の濃度が高いんです。これは水素や有機物を食べる微生物にとって、エネルギーが豊富であることを意味しています。
つまり、コニカル海山ならエネルギーが豊富なので、強いアルカリ性の中でも例外的に特定の微生物が生きている可能性があるんです。アルカリ性の生命限界ぎりぎりで生きている微生物たちに出会えるかもしれません。

――アルカリ性の限界ぎりぎりで生きている生物が見つかると、どんなことがわかりますか?
蛇紋岩が噴出する場所にある強アルカリ性の(冷えた)熱水は、およそ40億年前に地球で最初の生命が誕生したときの環境とよく似ているといわれています。アルカリ性の限界付近で生きている微生物は、地球で最初に生まれた生命に近い特徴をもっている可能性があるので、生命の起源につながる情報が得られるかもしれないのです。
マリアナ諸島周辺、初の本格的な生物学的調査へ
――海底のコア試料の採取だけでなく、無人探査機を使って、深海の岩石や生物の採取も行われる予定です。そちらではどんな成果が期待されますか?
無人探査機を使って調査する一番の対象は、微生物ではなく貝やエビの仲間などのもっと大きな生物です。
実は、これまでマリアナ諸島周辺では、そういった生物の調査が十分に行われてきませんでした。海底の熱水や微生物の採取などの“ついで”に採られた生物のサンプルを使って研究されてきたので、断片的な情報しか得られてこなかったんです。
そこで今回の航海では、ちゃんと生物学的な調査を行おうと考えています。
深海熱水や蛇紋岩流体に生息する微生物は、同じような温度や圧力の環境だと、世界中で同じような種類の微生物が見つかります。ところがある程度大きな生物になると、場所が変われば、種類がまるでちがってきます。移動能力に限界があるので地理的に隔離されて、それぞれの場所で分散・適応・進化していくからです。
沖縄や伊豆・小笠原諸島周辺の深海熱水域にいる生物がつくる生態系と、南太平洋のサモアやトンガ、ニュージーランド周辺の深海熱水域にいる生物たちの生態系は、大きくちがっています。北と南の生態系を繋ぐ中間的な生態系は、マリアナ諸島やパプアニューギニア諸島の深海熱水域に存在します。今回、北太平洋の最も南に位置するマリアナ諸島周辺の深海熱水域の生物を調査します。それによって両者をつなぐ生物の情報が得られて、太平洋の生物たちがどのように地理的に広がり、進化していったのかが明らかになると期待されています。

行けば必ず面白いことがわかる!
――さまざまな目的の調査が一つの航海の中に含まれているんですね。
調査航海には、たくさんの時間と手間とお金がかかります。たった一つの目的のためだけに航海に行くのはリスクが大きすぎるんですよ。複数の目的の調査を組み合わせることで、たとえ当初の目的が失敗しても何らかの別の成果が出せるように計画を立てるべきなんです。別の言い方をすれば「結果にコミットする」航海ですね。
僕がこれまでいろんな航海を計画して、それらを実現できたのはこのように「必ず成功する」計画を立ててきたからです。今回のモワームの調査のように、自分たちがやりたい調査航海を実現するには、そういった“プロデュース力”が重要なんです。
――いろんな目的の調査を一度に行う理由がよくわかりました。
調査航海は、行けば必ず何か面白いことがわかります。ただし、その何かを事前に正確に予測することは難しい。でも、何が見つかるかわからないから調査に行くわけで、わからないことこそが調査航海の醍醐味だと僕は思っています。今回も予測不能な何かに出会えることを楽しみにしています。

取材・文:福田伊佐央
撮影:松井雄希/講談社写真部
取材協力・図版提供:海洋研究開発機構
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