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海洋酸性化が日本の海でも起きている!? 日本海と太平洋が交わる海「津軽海峡」で起きている変化とは?

記事

取材・文:岡田仁志

暖流と寒流が交わる津軽海峡は、ほかの海域ではあまり見られない複雑な環境です。そこで生じるさまざまな「謎」の解明に取り組んでいるのが、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「むつ研究所」。この海の特徴は、前の記事「日本海と太平洋が交わる海『津軽海峡』。暖流と寒流がつくる複雑な海の謎といま起こっているある変化とは!?」で紹介しましたが、いま研究者が注目しているある変化が起きているそうです。それが、近年「もうひとつの二酸化炭素問題」とも呼ばれる海洋酸性化です。

そもそも海洋酸性化とは何なのか?海洋酸性化が進むとどんな変化が起きるのか?むつ研究所所長の佐々木建一さんと海峡・沿岸環境変動研究グループ副主任研究員・脇田昌英さんに聞きました(取材・文:岡田仁志)。

写真
むつ研究所。停泊している船は海洋地球研究船「みらい」(写真提供:JAMSTEC)
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佐々木 建一

JAMSTEC 地球環境部門 むつ研究所 研究所長
2002年にJAMSTEC入所以来、化学トレーサを用いた海盆スケールの海洋循環研究などに従事してきた。現在は円滑な沿岸研究の促進に資するため、地域社会との連携などにも注力している。

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脇田 昌英

JAMSTEC 地球環境部門 むつ研究所 海峡・沿岸環境変動研究グループ
副主任研究員。専門は、化学海洋学・炭素循環。西部北太平洋・沿岸域で時系列観測を行い、海洋酸性化の進行を捉え、炭素循環収支の変動や海洋生物に及ぼす影響の把握に取り組んでいる。

いま、世界の海で起きている海洋酸性化

「このグラフは、ハワイ島の火山マウナロアで観測した大気中の二酸化炭素濃度(赤)と、海洋で観測した表面水中の二酸化炭素濃度(黄緑)の経年変化を示したものです。

第二次世界大戦後から、大気中の二酸化炭素濃度はどんどん増えています。すると、それが海洋表面水にも溶け込むので、海面水中の二酸化炭素濃度も増えてきたわけです。

それによって、水溶液の酸性やアルカリ性を示すpH(ピーエイチ)の値(水色)が30年間で0.06低下しました。つまり、二酸化炭素濃度の上昇によって、海洋酸性化が進んでいる。これも温暖化と同時に進行する問題なので、海洋酸性化が問題視されているわけです」(脇田さん)

海洋酸性化が注目されるきっかけになったハワイでの海洋環境の変動を示すグラフ。グラフ縦軸左が二酸化炭素濃度、縦軸右は海水のpH値。海洋酸性化は二酸化炭素の増加が原因となり、温暖化と同時に進行している(出典:米国海洋大気庁太平洋海洋環境研究所:NOAA PMEL

pHは「水素イオン指数」とも呼ばれるとおり、水素イオンが増えるほど数値が減る(酸性化する)ことになります。

しかし、海洋の酸性化を進めるのは水素イオンの増加だけではありません。

海洋酸性化で重要な指標「Ω:オメガ」とは

「海に溶けた二酸化炭素は、水と反応して水素イオンをつくります。それによってpHが下がるのですが、さらに、増えた水素イオンと炭酸イオンが反応して炭酸水素イオンをつくります。つまり、炭酸イオンが減少するんですね。

ですから、海洋酸性化の進み具合を知るためには、水素イオンの増加(pHの低下)だけでなく、炭酸イオンの減少にも注目しなければいけません。

その指標となるのが、炭酸カルシウムの飽和度を示すΩ(オメガ)という数値です。

海水中の二酸化炭素濃度が高くなることで、水素イオンが増え、さらに炭酸イオンが減少する(図版提供:JAMSTEC)

炭酸カルシウムの飽和度:Ω(オメガ)が1より大きい場合、炭酸イオンの濃度も高く、炭酸カルシウムは過飽和になっているので、生物が作った炭酸カルシウムの殻は死んでも溶けず残り、沈殿します。逆に、Ωが1より小さいと、炭酸イオンの濃度が低く、炭酸カルシウムは未飽和となり、その殻は海水に溶けてなくなります。以上より、炭酸イオン濃度が低下すると炭酸カルシウムの飽和度(Ω:オメガ)が低下するのです。

そのため、海洋酸性化が進んで炭酸カルシウムの飽和度Ω(オメガ)が減少すると、たとえばプランクトン、サンゴ、ウニなど石灰化生物が殻や骨格をつくるのに欠かせない炭酸カルシウムの殻が作りにくくなり、未飽和では溶けてしまいます。

実際、とくに貝類の幼生は酸性化の影響を受けて生育がより早く阻害されやすいことが報告されています。ですから海洋酸性化を示す指標としては、pHとΩ(オメガ)の両方が重要なんです」(脇田さん)

外洋で起きている変化は津軽海峡にも起きているのか?

海洋地球研究船「みらい」の母港(関根浜港)としても知られるむつ研究所は、2014年以降はおもに沿岸域の観測を実施していますが、それ以前は外洋域の観測を中心に活動していました。

世界各海域で行われた海洋酸性化の調査。左最上部と左中段の「KNOT&K2」は海洋地球研究船「みらい」によって行われた(出典:IPCC第6次報告書・5章・図5.20より抜粋

図で「KNOT&K2」と示された北太平洋海域での海洋酸性化の調査も実施し、全球的に外洋域の表面水は年間0.0017〜0.0027程度のペースで海水のpHが下がっていて、大気中二酸化炭素の増加による海洋酸性化の影響を受けていることをIPCC第6次報告書で明らかにしています。

「外洋域の酸性化がわかってきたので、それと並行して、津軽海峡の沿岸域でも海洋酸性化を調べることになりました。2010年からは、津軽海峡の中央部や東部の恵山沖など3~4ヵ所のポイントを決めて、北海道大学の水産学部附属練習船『うしお丸』などに季節ごとに乗船させていただき、鉛直的に採水して分析しています。

さらに2014年からは、関根浜港の突堤で毎週採水しているサンプルを使って、酸性化に関係する物質の分析も行ってきました」(脇田さん)

海洋酸性化のモニタリング調査

酸性化を測定すると聞くと、小学校の理科でも使うリトマス試験紙を思い浮かべる人が多いでしょう。青色のリトマス試験紙はpH4.5を下回るような酸性の溶液で赤に、赤色のリトマス試験紙はpH8.3を上回るようなアルカリ性の溶液で青に変化します。

でも、海洋酸性化はリトマス試験紙をつければわかるようなものではありません。

むつ研究所の佐々木建一所長によると「リトマス試験紙でわかるほど酸性化したら、大変なことになります(笑)」とのこと。もっと小さなレベルでの変化を調べるので、観測でもリトマス試験紙でpHを直接に測るわけではありません。

「海洋酸性化を調べるために測定するのは、温度、塩分、栄養塩、DIC(溶存無機炭素)・TA(全アルカリ度)などです。これらの成分を測定することで、pHやΩ(オメガ)は計算で正確に求めることができます」(脇田さん)

海洋酸性化を調べるための測定機器(写真提供:JAMSTEC)

津軽海峡にも酸性化が起こっている?

その観測と分析の結果を示したのが、次のグラフです。

津軽海峡の下北沖・函館沖・大間沖はピンクの丸点、関根浜は青線、恵山沖は水色の丸点。基本的にpHは冬に高く、夏に下がり、Ω(オメガ)は冬に下がって夏に上がるという季節変動をくり返していますが、全体的にはどちらも徐々に下がる傾向にあることがわかります。

これまでの津軽海峡での観測点(図版提供:JAMSTEC)
むつ研究所のある関根浜、津軽暖流の影響を受ける下北沖、函館、大間沖、恵山沖のpH、炭酸カルシウムの飽和度Ω(オメガ)の年変動(図版提供:JAMSTEC)

「関根浜では、2014年6月以降、だいたい年に0.0037という速度でpHが低下しています。Ω(オメガ)もそれに対応するように下がっていますね。津軽暖流の影響が強い下北沖・函館沖・大間沖も、同じような速度で酸性化が進んでいるように見えます。

恵山沖は冬から春にかけて冷たい沿岸親潮が入ってくるのですが、その時期のほうがpHの低下が速く進んでいるように見えますね。いずれにしろ、津軽海峡の沿岸域は外洋域よりも酸性化が進む速度が速いようです」(脇田さん)

IPCC第6次表評価報告書への脇田さんのメッセージ
●IPCC第6次評価報告書(第1作業部会)の公表-JAMSTEC研究者たちの貢献とメッセージ-「近年の海洋酸性化はIPCC AR6でどう語られたか」
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津軽海峡の酸性化はなぜ起きているのか?

「その理由としては、何らかの気候変動の影響で、津軽暖流の流れる量が多くなっていることが関係しているように思われます。

日本海の深いところには二酸化炭素が多くてpHの低い水があるのですが、津軽暖流の流れる量が年々多くなると、その水の影響が大きくなり、下流に広がると考えています」

日本海側を北上する津軽暖流は津軽海峡を通って太平洋側で北海道東南部を南下した親潮と交わっている(図版提供:JAMSTEC)

「ちなみに、津軽海峡は日本近海で海洋酸性化の速度がもっとも高い海域のひとつですが、日本列島の沿岸で海洋酸性化が進んでいるのは津軽海峡だけではありません。

全国各地の研究者・協力者に頼んで進めている日本沿岸域酸性化監視ネットワークでは、単発的にΩ(オメガ)が1を切るところもあります。場所によって変動の様相は異なるので、今後もいろいろな沿岸で酸性化モニタリングを行っていく必要があるでしょう 」(脇田さん)

陸奥湾で行った海洋酸性化の結果は?

さらに脇田さんは、2018年から、津軽半島と下北半島に囲まれた陸奥湾でも海洋酸性化のモニタリングを行っているそうです。陸奥湾といえば、ホタテの養殖が盛んなところ。陸奥湾での酸性化モニタリングは、青森県産業技術センター水産総合研究所との共同研究です。

「もともと陸奥湾では青森県産業技術センター水産総合研究所が月1回の浅海定線調査をしていました。その調査に酸性化モニタリングのサンプルを採取していただいて、酸性化を調べています。まだ調査期間は短いのですが、こちらでも酸性化の傾向は見えていますね」

陸奥湾表面の酸性化状況の年変化。青森県産業技術センター水産総合研究所との共同研究(図版提供:JAMSTEC)

「ただし陸奥湾の西側と東側では、状況が異なります。西湾のほうが酸性化の進行が速いんです。とはいえ、まだ長期間のデータは集まっていません。そういった懸念も抱きながら、モニタリングを続けている段階です。今後、研究が進めば、Ω(オメガ)の低下がホタテの幼生に与える影響も見えてくるかもしれません」(脇田さん)

海洋酸性化によって豊かな海に起こる変化は?

もともと化学が専門の脇田さんにとって、「化学的な変化が生物にどう影響するのか」を調べるのが今後のテーマのひとつとのこと。

北海道大学との共同研究では、植物プランクトンや貝類の専門家といっしょに、海洋酸性化や海洋環境の変動に植物プランクトンがどう応答しているのかを調べていく予定だそうです。

「海洋酸性化については、炭酸カルシウムの殻をつくるタイプの植物プランクトンや貝類に影響が出やすいだろうと思います。しかし一方で、水温や栄養塩の変動も見なければいけません。植物プランクトンには、それらのほうが影響が大きいでしょう。酸性化が進む中で、逆に珪藻が増えているという結果もあります。

ですから、酸性化を含めた海洋環境変動全体をモニタリングすることが大切だと思っています」(脇田さん)

(写真提供:JAMSTEC)

地域の漁業ともつながりをもちながら、いま世界で起きている海の問題にも取り組んでいる、むつ研究所。データの収集にはまだ時間が必要ですが、これからの調査、そこからどのような結果が見えるのか、多くの研究者に注目されています。

脇田さんの海洋酸性化の研究について詳しく知りたい方はこちら
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取材・文:岡田仁志      
取材協力・図版提供:
 地球環境部門 むつ研究所 研究所長 佐々木 建一
 地球環境部門 むつ研究所 海峡・沿岸環境変動研究グループ 脇田 昌英

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