気候予測研究で知られる海洋研究開発機構(JAMSTEC)にあるアプリケーションラボ。全球規模で地球をシミュレートするスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を活用し、さまざまな研究が行われています。その所長をつとめているのがインド出身のベヘラ・スワディヒンさん。じつは、日本の気象に大きな影響をあたえている「インド洋ダイポールモード現象」の発見者のひとりでもあります。ベヘラさんが、JAMSTECでの気候モデル研究へと進んだ背景には、幼少期にインドで体験した気象の極端現象への思い、そして、世界史に残るある出来事があったのだといいます。(取材・文:岡田仁志)
25×25までを暗記する算数教育から、カレッジでの理系教育
ベヘラさんの出身地であるインドは、IT関係をはじめとして理数系の優秀な人材を数多く輩出しています。その背景にあるのは、ハイレベルな数学教育。日本の小学生はかけ算を「九九」まで覚えるのに対して、インドでは2桁のかけ算も暗記するそうですが……。
「私が小学生だった時代は、25×25まで覚えました。いまはもうそこまで覚えていませんが、計算は早くなるので便利ですね。でも私の時代は、読んで覚える、ということが勉強の中心だったので、これは数学にはあまり応用できません。かけ算をいくら覚えても、ax+by=cみたいな方程式を解くのには役に立ちませんから」
ベヘラさん自身は、もともと数学が好きで、コンピュータにも興味があったそうです。インドの学校制度では、高校卒業後は理系の「カレッジ」に進み、数学、物理学、化学などを広く学びます。カレッジは4年制で、文系と理系には分かれているものの、日本の大学と違って専門分野の教育はありません。専門分野を決めるのは、カレッジを卒業して修士課程に進むときだそうです。
「私の場合は、修士課程で数学をやるか、それとも地球科学をやるか、2つの選択肢がありました。友人のほとんどは、数学コースに進みましたね。当時のインドでは、数学をやっていたほうが、大学教員や銀行員などの職に就きやすかったんです。いまはインドでも数学をやる人は減っていて、コンピュータサイエンスの世界に進む学生が増えました」
研究のきっかけは、子供の頃に体験した気象の極端現象
現在は、数学とコンピュータを駆使する気象シミュレーションの分野で活躍するベヘラさん。修士課程でそちらを選んだのも、シミュレーションによる気象予測をやりたかったから……かと思いきや、子どもの頃から気象そのものに興味があったといいます。
「私が生まれ育った東インドのオリッサ州は、サイクロン、竜巻、砂嵐、豪雨など、激しい気象現象が多いんです。外で遊んでいて急に空が真っ暗になったりすると、子ども心にすごく怖かったですね。それに、天候の変化が激しいと、外で遊ぶ予定が立てにくい。サイクロンが来たら、インドアで遊ぶしかありません。だから、気象をもっとちゃんと予測できればいいのに、と思っていました」
ちなみに、ベヘラ少年がいちばん熱心だった遊びは、クリケット。インドでは最大の人気スポーツで、プロのクリケット選手はNBA(米国のプロバスケットボールリーグ)の選手と同じくらいの年俸をもらうそうです。ベヘラさんは、父親に「プロにはなるのは難しいから、クリケットばかりやっていないで、ちゃんと勉強しなさい」と叱られるぐらい、夢中だったとのこと。屋外競技ですから、たしかに気象予測は大問題でしょう。
「修士課程では、インド内陸部の気温を定点観測して、統計解析をする研究をやっていました。その研究を通じて気づいたのは、インドの北部と南部、東部と西部で気温が異なるのは、海の影響ではないかということです。それで、海洋研究が私の専門分野になりました」
世界史のうねりが、日本での研究のきっかけになった
修士課程を終えたベヘラさんはインド熱帯気象研究所に就職し、その国立研究所で気象シミュレーションの勉強を始めました。当時はようやく研究でコンピュータが使われ始めた時代。「新しい道具は若い人がやったほうがいいだろう」という上司のすすめで、ベヘラさんはコンピュータによる海洋モデリングを手がけることになりました。
「まだインドで海洋モデリングを研究している人はいなかったので、誰にも教えてもらえません。そこで上司がインドに呼び寄せたのは、モスクワの研究者です。当時はインドとソビエト連邦(現・ロシア連邦)のあいだに、科学者や留学生を交換する制度があったんですね。
私はソ連の研究者から、海洋モデリングの基礎を学びました。だから、いずれはモスクワ大学の博士課程に行って、そこで博士号を取るつもりだったんですよ。ところが1991年に、ソ連が崩壊。モスクワ大学からも、『いまは費用を出せないから、来ないほうがいいよ』と言われてしまいました(笑)」
世界史のうねりの中で人生設計の変更を迫られたベヘラさんは、インドで海洋モデリングの博士号を取得。次の仕事を探し始めます。ちょうどその頃、1997年に京都議定書が採択された後に日本で発足したのが、海洋科学技術センター(現・JAMSTEC)と宇宙開発事業団(現・JAXA)の共同プロジェクト「地球フロンティア研究システム」でした。地球温暖化や気候変動現象の解明と予測を目的とする研究センターです。
「日本の気象研究は当時から世界の先端を行くものでしたから、私たちインドの研究者や学生たちも、山形俊男先生や眞鍋淑郎先生、安成哲三先生など日本の研究者たちの論文を読んでいました。それで私も日本で研究をしたいと思い、東京大学で博士号を取った友人を通じて履歴書などを送ったんです。
山形先生が声をかけてくださって、地球フロンティア研究システムに参加することになりました。憧れの山形先生のもとで研究ができるのは、とてもうれしかったですね」
「気候変動」の予測研究から「インド洋ダイポールモード現象」を発見
そこでベヘラさんが取り組んだのは、100年単位の長いスパンで気象現象をとらえる「気候変化」ではなく、去年と今年の違いなどの短いスパンでとらえる「気候変動」でした。
たとえば太平洋でエルニーニョ現象が発生すると、統計的に日本は冷夏・暖冬になりやすく、ラニーニャ現象が起きると逆に猛暑・厳冬になりやすい。そういった現象と気候の関係を調べるのが、「気候変動」の研究です。
「私たちの研究チームは、太平洋のエルニーニョ現象と似たものがインド洋にもあることを発見しました。それが、『インド洋ダイポールモード現象(IOD)』です。エルニーニョ現象は、熱帯太平洋の海水温が通常とは逆に西側が低く、東側が高くなる現象。私たちは、インド洋の海面水温が西側で高く、東側で低くなる現象を”正のIOD”、逆に西側で低く東側で高くなる現象を”負のIOD”と呼ぶことにしました」
ところがこの発見は当初、学界で多くの批判にさらされました。そのため発見から数年間、ベヘラさんたちはIODが本当に存在することを証明するために、たくさんの論文を書き続けたといいます。
「批判した人たちの多くは、IODが独立した現象ではなく、エルニーニョ現象の一部にすぎないと主張していました。最初の2年間はすごく苦労しました。でも現在は、IODが独立した現象であることが広く認められています。そうなるまで諦めずに頑張れたのは、山形先生の強いリーダーシップがあったからこそ。誰に何を言われようと、山形先生を信じて論文を書き続けることができたんです。山形先生からは、問題を解決するまでの論理的なプロセスの大切さを学びました」
アプリケーションラボ(APL)――気候変動予測の社会実装へ
その後、地球フロンティア研究システムからの流れでJAMSTECの一員となったベヘラさんは、現在、付加価値情報創生部門(VAiG)のアプリケーションラボ(APL)で、ラボ所長を務めています。そこでは何を目指しているのでしょう。
「地球シミュレータを運用するチーム(地球情報科学技術センター)と数学のチーム(数理科学・先端技術開発センター)、そして気象を扱う私たちの知見を共有することでシミュレーション技術を開発し、それを社会に役立つ形で実装することが目的です。
地球の海洋・気候現象をコンピュータ上で再現する”デジタルツイン”をどんどん発展させてきたいですね。社会の役に立てるには、使いやすいスマートなインターフェイスにする必要があります。たとえば農業や漁業の人たちがいくつか選択肢をクリックするだけで、来年の気温がどうなるかなど必要な情報が手に入るようなものにしなければいけません」
農林水産業のほかにも、災害対策、感染症や電力消費の予測、ビールや夏服・冬服の需要など、気候変動に関する正確な情報を必要とする分野はたくさんあります。「外遊びのために気象を予測できればいいのに」というベヘラ少年の思いは、この社会で暮らす人々みんなに共通する願いだったのでしょう。
「人々の役に立つシミュレーション技術をつくるのに必要なのは、私たちの研究だけではありません。それを支えるのは、膨大な観測データです。じつは、私はすぐに船酔いをしてしまう体質なので、海での観測は苦手なんですよ(笑)。それもあって、コンピュータ・シミュレーションのほうを選びました。
JAMSTECだったらさまざまな海洋観測データを利用することができます。ですから、船に乗ってデータを集めてくれる研究者たちの存在は、本当にありがたいと思っています」
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