がっつり深める

東日本大震災から10年

<最終回>「正しく恐れる」ことを伝えよう

約230ヵ所の遺構・伝承施設を結んだプラットフォーム

多重防御やICTを利用したインフラがハードウェアだとすると、その中で機能する、あるいは育まれるソフトウェアが人間どうしのつながりであったり、文化だと言えるかもしれません。コミュニティの中では、それが最も重要な部分でしょう。備えることの大切さを忘れず、次の世代に伝えるのも、また重要なコミュニケーションであり文化だと考えられます。

そういう意味で今村さんらが取り組んでいるユニークな活動の一つが「3.11伝承ロード推進機構」です。簡単に言えば、東北各地に散らばる「震災遺構」や「震災伝承施設」「石碑」などの情報を分類・整理して提供し、案内マップや標識なども設置して、訪れる人が効率的に東日本大震災の教訓を学べるようにする取り組みです。言わば「震災伝承のプラットフォーム」というわけです。

「昔は先人たちが石碑を残しましたよね。『ここに家を建てるな』とか『地震が来たら津波に注意』とか――ただ、あれはメッセージとしてはいいかもしれないんですけども、津波の実態を示すものではありません」と今村さんは言います。「そこで復興庁が1自治体に1ヵ所、震災遺構ということで残すならば支援する、ということを決めたんですね。そして今、北は青森から南は福島まで、石碑も含めてなんですけど、壊れた橋とか線路などといった遺構や関連施設が、現場に残されることになりました。それを有機的に結んでいく必要があるだろうと考えたんです」

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「3.11伝承ロード」のロゴ(左)とピクトグラム(中と右)。震災遺構や伝承施設の案内標識などに使われている。 提供/(左)3.11伝承ロード推進機構(中・右)震災伝承ネットワーク協議会

現時点では約230ヵ所の遺構や施設が「3.11伝承ロード」に登録されているそうです。「岩手県陸前高田市の東日本大震災津波伝承館のような新しい立派な建物もあれば、壊れた階段などの遺物・遺構まであるのですが、そういうのをデータベース化したり、地図上に示したりしました。それを使って、こういう目的ならここを訪問してはどうでしょうかとか、小学生だったらここを訪れて、こんな勉強ができますとか、あと企業の研修であれば、こういう所も当時、道路の片付けをしたり、整備をしましたっていうのを学んでもらうとか、現場に行ってですね、そういう案内することは、とても大切ではないかなと思っています」

実際に「3.11伝承ロード」のウェブサイトを訪れると、施設のリストや地図から詳しい情報を得ることができますし、様々な目的で施設を巡る研修会に参加を申しこむこともできます。

ISO規格を定めて防災を輸出産業に

「3.11伝承ロード」は過去を振り返りつつ教訓を共有化して「忘れない」ための試みですが、今村さんは前向き、かつ戦略的に、防災・減災意識を高める活動にも取り組んでいます。それが「防災ISO」です。

「ISO」とはスイスのジュネーブに本部がある非政府組織「国際標準化機構」の略称、または同機構が策定する品質などの国際規格のことです。何らかの製品やサービスについてISO規格が策定されると、それが世界共通の基準となるため、国際的な取引がしやすくなります。また製品やサービスがISO規格に準じていると認定されれば、一定の信頼性を得ることができます。身近な例としては非常口のマークや、クレジットカードのサイズなどがISO規格で定められています。このISO規格を、防災・減災に関係する製品やサービスについても定めようというわけです。

「例えば地震計もそうですが、備蓄食や非常持ち出し袋など様々な被災経験を通じて製品になってるものって、たくさんあるんですよね。ところが、そこは実は大きなマーケットになっていない。残念ながら普及率が低かったりして、防災っていうのはあんまり儲からない産業だと思われています」と今村さんは指摘します。「もちろん行政が予算を使って立派な地震計のネットワークをつくったりっていうのはあるんですけど、もっと市民や地域レベルで、より広がる要素のある技術や製品もいっぱいあるので、そういうものを国内外で認識してもらいたい。そこで防災の概念や考え方を整理して、評価できる軸、あるいは物差しを提案する。そうすると海外でもその性能が正しく理解され、市場が広がると期待されます。そのためには国際的な規格や標準化が必要です」

確かに筆者も何年かに1回、備蓄食や防災グッズを買っていますが、そのたびに「これ、どっちが品質的にはいいのかな」とか「ほんとうに、これって必要なのかな」と疑問ばかり湧いて、結局、買わなかったりすることがあります。何か国際的に統一された規格や基準があれば、そういう時の頼れる指針になるでしょう。

「今はヨーロッパもアメリカも地球規模の気候変動問題などに対処するため桁違いの投資をして、交通やエネルギー網などをICTでスマート化した新しい都市・地域を築こうとしています。そこに防災という要素を入れてあげて、日本の技術が役立つならば、輸出産業になるはずなんです。輸出産業として実績を上げると、もしかしたら低価格化につながるかもしれませんし、内容もより良くなるかもしれない。それはまた国内にフィードバックするはずです。国内の市場拡大だけではマーケットがほんとうに小さいので、国際標準化っていうのは、そこを狙わないと広がらないと思うんですね。そこを狙いたい」

「儲かる防災」というのが、もし実現したら、それは非常に革新的だし、誰もが得する結果になるような気がします。備蓄食といった製品に限らず、ハザードマップの作成や緊急速報システムの構築、避難所の設置や運営、ライフラインの復旧、防災教育の実施といった「サービス」に関するノウハウも、日本には多くの蓄積があるでしょう。それが外国でも通用する形で標準化されれば、やはり「輸出」できるはずです。それ以前に国内でも効率や利便性が高まるでしょう。そういったサービスは日本の自治体間でも優劣や差があり、必ずしも統一されていないからです。

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今村さんが防災ISOで支援したいと考えている製品の例。「LIFE STOCK」という名称の非常食(ゼリー)で栄養価が高く、食品アレルギーにも配慮されており、5年半の保存がきく。東日本大震災では避難所に水が不足しているにもかかわらず、飲みこみにくい乾パンなどを食べなければならない場合があった。それを実際に体験した被災者の一人が、震災後に設立した宮城県多賀城市の会社で開発と製品化を行った。非常食と宇宙食には共通性があることから、開発には宇宙航空研究開発機構(JAXA)も協力した。
提供/株式会社ワンテーブル(右)

現在、防災ISOの提案に向けた準備は、経済産業省からの受託事業となっており、災害科学国際研究所が事務局となって進めています。国内の関連機関や自治体、企業などはもちろん、ヨーロッパやアメリカ、アジアからも専門家を集めて、まずは防災とは何か、防災には何が必要かという概念を定め、その上で個々の製品やサービスに対して、どのような規格が必要かを議論していこうとしています。最終的には2023年の防災ISO発行を目指しているそうです。

元に戻すだけではなく「より良い復興」を

東日本大震災から10年という節目ですが、現在、おそらく多くの人の頭を占めているのは、過去の災害より現在進行系の災害――新型コロナウイルスによる感染症爆発でしょう。しかし二つの災害が防災や復興という意味で、全く無関係というわけではありません。

「地震や津波、洪水というのは自然災害なんですけども、コロナというのは社会災害ですよね。人間の集団やコミュニティの中で被害が拡大してしまっている」と今村さんは言います。「しかし我々は自然災害と社会災害とを分けずに、融合させた対策をしたいと思っています。一つ共通して大切なのは、やっぱり正しい知識や情報の伝達ですね。どんな対応をするにせよ、それが出発点になります」

そのためには政府や専門家、そしてマスコミなども一体となって、正しいことを正しく伝えるように努力しなければならないでしょう。SNSなどの発達でデマも広まりやすくなっている今は、差し迫った問題と言えそうです。

「二つ目は緊急対応や初動体制と、元に戻す復旧体制の充実です。あとは復興ですが、これは元の状態に戻すだけではなく、より良い姿にしなければなりません。コロナで言うと『ポストコロナ』っていう言葉と対応すると思うんですけども、今回の経験を受けて、あまり直に接しなくてもコミュニケーションや情報共有ができるようにデジタル化を進めるとか、そういう改革を目指していくほうがいい。そこも共通だと思っています」

「Build Back Better(より良い復興)」という言葉が、最近はよく聞かれるようになりました。2015年に第3回国連防災会議が宮城県仙台市で開催された時、成果文書「仙台防災枠組2015-2030」で公式に採用された概念です。おそらく当時は、地震や津波からの復興が多くの人の念頭にあったでしょう。しかし今後「ポストコロナ」が成功すれば、それが自然災害の復興に際しても役立つことになるかもしれません。

最後に、これも災害に向き合う時の共通の心得として、今村さんは次のように語りました。

「全く個人的な考えなんですが『正しく恐れる』っていうんですかね。地震の場合はナマズかもしれませんけど、昔の人が自然災害を神様化して恐れていたように、現代の我々もコントロールできない、理解できない、さらには人智のおよばない部分については、謙虚にならなければいけません。日本にはまだ、そういう文化が残っていると思いますが、今後もつくっていく必要があるでしょう。ただし分からないから、または説明がつかないからといって目をそむけてしまったり、逆に過度に恐れてはならないと思います」

『やまなし』に描かれた宮沢賢治の自然観

前半で「クラムボン」という無人探査機の話をしました。名前の由来となった宮沢賢治の『やまなし』は童話ですが、内容の意味するところについては諸説あり「難解」だとも言われています。

登場するのは川底で暮らす2匹の子蟹(兄弟)と、お父さん蟹です。第1幕の「五月」では、子蟹たちの上を泳いでいた魚が何か得体の知れないものに突然、襲われ、目の前から連れ去られてしまいます。怯える子蟹たちの前に出てきたお父さん蟹は2匹の話を冷静に聞き、それが「カワセミ」という鳥であること、蟹は襲われないことなどを伝えて安心させようとします。

第2幕「十二月」でも蟹たちの上に、黒くて円い大きなものがドブンと落ちてきます。子蟹たちはカワセミだと思って怯えますが、お父さん蟹はやはり冷静に観察して、それが「やまなし」の実であることを教えます。3匹は流れていく実を追いかけ、枝に引っかかって止まった場所を見定めると、数日後に沈んできて「おいしいお酒」ができることを期待しながら帰ります。

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無人探査機「クラムボン」が三陸沖の海底で撮影した3匹のカニ(ズワイガニの仲間)。2匹はダーリアイソギンチャクの陰に隠れている。海底でカワセミに襲われることはないが、ズワイガニの寿命は10年以上とされているので、東北沖地震は経験したかもしれない。

ストーリーとしては、ほぼそれだけです。これは全く私の個人的な印象ですが、賢治の自然観の一端が描かれているような気がします。カワセミは前触れもなく襲ってくる災厄、あるいは災害の象徴ではないでしょうか。無力な子蟹たちはひたすら怯えますが、知識のあるお父さん蟹は慌てずに対処します。やまなしの実が落ちてきた時も、お父さん蟹は油断なく観察した上で、危険がないことを確認します。

自然は容赦なく命を奪いもすれば、命の糧となる恵みをもたらすこともあります。人間が蟹ほど無力ではなかったとしても、自然の気まぐれな振る舞いは、おいそれと制御できるものではないでしょう。ただ冷静に観察し、知識を蓄えることによって、慌てず対処することは可能です。賢治はそんなことを伝えたかったのではないでしょうか。今村さんの考えにも、通じるところがあるように思います。

連載はこれで終わります。賢治を引き合いに出すのは、あまりにおこがましいのですが、私も物書きの端くれとして、今後も「正しく恐れる」ことを伝えていきたいと思います。長い間おつき合いいただき、ありがとうございました。

藤崎慎吾(ふじさき・しんご)

1962年、東京都生まれ。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどを経て、99年『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ)でデビュー。同書は早川書房「ベストSF1999」国内篇第1位となる。現在はフリーランスの立場で、小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。近著に《深海大戦 Abyssal Wars》シリーズ(KADOKAWA)、『風待町医院 異星人科』(光文社)、『我々は生命を創れるのか』(講談社ブルーバックス)など。ノンフィクションには他に『深海のパイロット』、『辺境生物探訪記』(いずれも共著、光文社)などがある。

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