「しれいばくはだ!」・・・??? 1999年11月15日の夕方近く、当時の科学技術庁に響き渡った言葉でした。当時、私は通商産業省工業技術院地質調査所の研究員でしたが、1年間、総理府技官として科学技術庁研究開発局海洋地球課への併任を拝命していたときでした。「しれいばくは」は全く聞きなれ無い言葉で、何のことかすぐに想像できなかったのですが、それはH-IIロケットの発射が失敗し、地上局からの指令で爆破させたことでした。その後のH-IIロケットのエンジンを深海から発見・回収するにあたって、当時のNASDA(宇宙開発事業団)とJAMSTECの協力や、海洋調査技術の高さは多くのメディアでも紹介されたことをご記憶の方も多いことかと思います。当時の社会状況を振り返ると、1995年に科学技術基本法が制定され、科学技術立国という言葉が大きく取り上げられ、宇宙、原子力に続き、海洋も大きく注目され始めていた時でした。
この事件からさらに遡ること約10年前、1990年に初めて日本が積極的に深海掘削計画を進めていくために、大水深で大深度の掘削ができる科学掘削船が必要であることが初めて日の目を見たというか、国の審議会で初めて議論された時でありました。当時はまだ私も大学院生で、このような社会の動きに対する明確な記憶は私にはありませんが、当時の関係の先生方にお話を伺う機会が何度かあり、大きな船を作るんだ、大きいから「ゴジラ丸」だ!というニックネームがついていて、皆さんそう呼んでいました。その後、海外での会議などでも、外国の研究者からは「 Godzilla-Maru 」だって?本当にそんなの日本で作るのか?とよく質問されたことを覚えています。
話を1999年の科技庁勤務時代に戻しますと、本来の専門職として予定していた仕事に加えて、ODP (Ocean Drilling Program; IODPの前身)での研究航海に乗船した経験を持っていたということもあり、新たな科学掘削船の建造や、IODPの立ち上げといったところでも仕事をさせていただきました。専門職の任期が終わった後に科学掘削船建造のための予算化が認められたのです。今振り返れば、まったくもって深海掘削には縁があったなと思っていまして、私の学位論文はこのODPでの成果が元になっていましたし、その後もこうやって次の世代の移行期に微力ながら貢献できたことは、偶然ですが、不思議な思いがします。
今からちょうど10年前の2005年(平成17年)7月29日、地球深部探査船「ちきゅう」が完工し、JAMSTECに引き渡されました。建造に4年の年月を要しましたが、先にも述べましたように、大水深、大深度掘削が行える科学掘削船を作ろうという動きが社会に出てから、約15年目のことでありました。人の一生で言えば、「おぎゃー」と生まれた子供が、そろそろ高校生になろうかというぐらいの時間がかかったことになります。地質学的時間スケールでは一瞬ですが、この一瞬に多くの人の想いや力添えなどが刻まれているのです。私が知っている限りでも、それはそれは多くの人の努力の結晶であり、涙が出てくるぐらいの皆さんの想いが詰まっています。私もこの仕事に転職し、初めて建造中の「ちきゅう」を見たときには、なんとその時の感情を表現して良いのか、言葉が見つからないぐらいの想いというか、大きな責任を実感したことを思い出します。
2005年からJAMSTECが「ちきゅう」の運用を開始しましたが、なかなか順風満帆の船出とはいかなかったです。運用体制の構築、機械的なトラブル、予算の問題、そして忘れもしない未曾有の3.11東日本大震災では大津波にも遭遇するなど、様々なことがあった10年間でした。科学掘削だけでなく、資源掘削もとり入れ、新たな技術習得や運用の挑戦も大きな出来事でした。ただ幸いなことに命に関わるような人身事故はこれまで1件たりとも発生しておらず、我々の誇れるところでもありますし、これからもそれは継続していきたいと思っています。
これまでの「ちきゅう」の運用により、新たな科学成果や、技術開発成果などは枚挙にいとまがありませんが、まだまだ「ちきゅう」本来の力が出し切れていないとも感じています。冒頭で宇宙の話題を出したのは、海洋・地球を研究するものにとって宇宙開発は「敵」ではなくて、お互いにインスパイアしながら一緒に歩む同志であると思っているからです。最近の新聞などで地球外生命の話題などが取り上げられていますが、我々の星(地球)での観測・観察が元になって、宇宙空間での大きな想像や解析が進んでいることはまぎれもない事実です。より地球を理解することは、より宇宙を理解することでもあり、またその逆でもあります。ややもすると経済活動に影響されて科学技術立国がかすんでしまう感じも昨今ありますが、いまこそ新たな挑戦を、「ちきゅう」とともに推し進めていくことを強く感じています。
これまでの10年間を振り返り、時流にのった単語を並べると逆に薄っぺらな感じになってしまいそうなので、あえてもう一度ベタに、「ちきゅう」とともに、新たな科学技術の地平を開いていこうではありませんかと言いたい。この小文を読まれている全ての方(研究者に限らず)は、その目撃者でもあり責任を負っていると言っても過言ではないでしょう。本日「ちきゅう」の10歳の誕生日に出くわすという偶然と、新たな科学技術の地平を開く場に遭遇した幸運に感謝しています。船齢は、それを4倍すると人間の年齢に近い感覚になるそうです。つまり「ちきゅう」は人間でいえば40歳ぐらいでしょうか。惑わず邁進、「ちきゅう」とともに。