国立研究開発法人海洋研究開発機構 東日本海洋生態系変動解析プロジェクトチーム 東北マリンサイエンス拠点形成事業 ‐海洋生態系調査研究‐

メンバーに聞いてみよう

 地震・津波による海洋への影響を調査し 東北の未来に役立てる 
              北里 洋 東日本海洋生態変動解析プロジェクトチーム プロジェクト長
              藤倉 克則  東日本海洋生態変動解析プロジェクトチーム プロジェクト長代理

※ユニット名・役職は取材当時のものです。
プロフィール

北里 洋(きたざと ひろし):

1948年生まれ。1976年東北大学大学院理学研究科博士課程修了。静岡大学理学部助手、助教授、教授を経て、2002年に海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)入所。海洋・極限環境生物圏領域長(上席研究員)などを経て、2014年より現職。専門は地球生命科学、深海生物学、海洋微古生物学、地質学。

藤倉 克則 (ふじくら かつのり):

1964年生まれ。1995年東京水産大学大学院より学術博士(水産学)。1988年に海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)入所。海洋・極限環境生物圏領域チームリーダーなどを経て、2014年より海洋生物多様性研究分野長(上席研究員)および東日本海洋生態変動解析プロジェクトチームのプロジェクト長代理を兼務。専門は深海生物生態学。

東北地方太平洋沖地震発生の翌年、2012年1月から「東北マリンサイエンス拠点形成事業『海洋生態系の調査研究』(TEAMS)」が開始された。TEAMSは、東北大学、東京大学大気海洋研究所、海洋研究開発機構(JAMSTEC)が中心となって大学や研究機関がネットワークを構築し、主に岩手・宮城県の東北沿岸域から沖合域の海洋生態系に関する調査・研究を行い、東北の復興に貢献することを目指している。「海拓者たちの肖像」では、今号よりTEAMSに集結した研究者たちへのインタビューを連載。初回は、JAMSTECの研究代表者また幹事としてプロジェクトを牽引する二人に話を聞いた。

震災復興に海洋科学が貢献できることは何か

──TEAMS開始の経緯と、JAMSTECの果たす役割について教えてください。

北里:TEAMSが開始された直接のきっかけは、東北地方太平洋沖地震とこれに伴う巨大津波ですが、そのころ、科学技術・学術審議会の海洋開発分科会で、海洋生物資源に関する研究のあり方について議論が進められていました。その過程で大震災が起き、海には大量の瓦礫が堆積し、藻場や干潟が失われ、岩礁も砂泥でおおわれるなど、漁場にも大きな被害が出て、海洋生態系も変化しました。これを受けて、私たち海洋研究者は地元の人々と協働しながらどのようなプロジェクトを提案できるかが話し合われ、東北にマリンサイエンスの拠点を形成することが必要であると報告書に記されました。こうした経緯で、2012年から始まったTEAMSは、地震・津波によってかき乱された海のその後を科学的に調べ、沿岸から沖合の海洋生態系の状態を明らかにし、その成果を地元に還元しながら、復興に資する情報を社会に発信していく事業です。いわゆる研究のための研究ではなく、地元産業の復興支援という明確な“出口”を持ったプロジェクトなのです。

「海洋生物資源に関する研究の在り方について」は、地球温暖化や海洋環境破壊など人間活動による海洋生物への影響が顕在化するなか、海洋生物多様性の保全や持続的な利用の実現などに資する海洋生物研究を推進するため、文部科学省や関連する研究機関が取り組むべき施策を提言することを目的に、2011年9月に科学技術・学術審議会の海洋開発分科会によって取りまとめられた報告書。持続的な海洋生物資源の利用と産業創出のための「海洋生態系に関する知見の充実」「生理機能の解明と革新的な生産技術」「新たな有用資源としての活用」「観測、モニタリング技術の開発」の4項目に、大震災後の三陸周辺海域の調査研究を早急に具体化するための「東日本大震災への対応」を追加し、文部科学省が重点的かつ戦略的に推進すべき研究課題として提言した。

TEAMSは、東北大学、東京大学大気海洋研究所、海洋研究開発機構(JAMSTEC)を中心にプロジェクトチームが組織されています。JAMSTECを除く2機関は、以前から東北に研究拠点を持っていました。東京大学大気海洋研究所は、20年以上前から岩手県の大槌の国際沿岸海洋研究センターで海洋生態や沿岸保全などの研究データを取り続け、地元の人々と一緒に沿岸漁業に資する活動を行ってきました。一方の東北大学は、宮城県の女川に農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センター(女川フィールドセンター)を置いて、同様に沿岸域のデータを取り続けてきました。研究実績とデータを保有する2機関がプロジェクトの中心になったのは当然といえます。では、なぜそこにJAMSTECが加わるのかというと、東北の海を大きなフレームで捉えたとき、沖合域が不足していたからです。そこで沖合域の調査・研究に精通しているJAMSTECが加わることで、バランスのよいチームができるのではないかと議論され、結果的に3機関でプロジェクトチームが立ち上がったわけです。

藤倉:JAMSTECは、TEAMSが立ち上がる前の震災直後に、有人潜水調査船「しんかい6500」などを使って、地震発生域を中心に日本海溝の詳しい調査を実施しました。さらに、日本海溝をはじめさまざまな海域で深海調査を行ってきた私たちには、東北の海で何が起きたのか、今どうなっているのかを明らかにし、きちんと情報発信しなければいけないという強いモチベーションがあり、それがTEAMSにつながりました。残念ながら、これまで水産学分野の研究はあまりやっていませんが、JAMSTECが保有する海洋探査機器などのツールや深海調査のノウハウを生かして、三陸の海で将来にわたって持続的な漁業を進めていくための貢献ができるのではないかと考えています。

JAMSTECがまさに今やるべきプロジェクト

──お二人の東北への思い、プロジェクトへの思いをお聞かせください。

北里:私は東北大学の出身で、大学院を含め9年間を仙台で過ごしました。学生時代に慣れ親しんだ海辺が津波に襲われる映像を見て、胸が痛みました。また、そのころ学術会議では、科学者はどのようなスタンスで研究すべきかが議論されていました。1つは、科学的な成果を挙げ、真理を探究することで人類を幸福にするというスタンス。しかし、今やそれだけでは許されなくなり、社会に貢献できる科学であるべきで、さらに政策提言もしなければいけない。つまり、科学・社会・政治への貢献が求められている。 ──こうした議論をしているときに、大震災が発生しました。当時、福島の事故なども重なり、科学者コミュニティはものすごく混乱しました。誰もが「科学者は何をしなければいけないのか」をあらためて考えました。そうしたときに、TEAMSという“出口”を求められるプロジェクトが始まり、まさに私たちが今やるべきプロジェクトだと感じました。

藤倉:日本で発生した巨大地震、津波によって海の中や海底がどうなったのか、それを最初に調べるのはJAMSTECの役割だと思っています。また、深海研究者の1人として、東北の海で何が起きたのか、海洋生態系がどのような影響を受けたのかを知りたいという気持ちもあります。さらに個人的なモチベーションを付け加えるなら、私の実家は魚屋で、趣味は魚釣り。東北の漁業の復興や生態系の回復は、他人ごとではないという思いがあります。それはさておき、大震災の後、誰もが自分も何らかの貢献をしたいという気持ちを抱いたと思います。私たちも、科学者として何ができるかを考えました。そして、私たちにできることは、実際にそこで起きたことを地道に調査し、科学的な知見を出すことしかないと感じています。今日の地震研究に古文書の1行が役立ったように、TEAMSによる私たちの研究成果の記録が、将来、地震・津波という地球の現象の理解や予測、さらには予知に役立つと信じたいですね。

──これまでの調査で、震災前と後の海の変化をどのように感じていますか。

藤倉:「しんかい6500」で確認した日本海溝にはドラスティックな変化がありましたが、TEAMSで行っている水深300~400mの海洋では、津波や引き波の影響が少なかったのか、がけ崩れなどが起きなかったのか、あまり前後の変化は見られませんでした。

北里:大きな変化があったのは、津波の影響が大きかった沿岸域と、実際に変動が起きた震源域です。その中間にあたる水深100~1,000mの海洋、つまりTEAMSの調査対象になっているところでは、地震・津波による影響は比較的少ないようです。

藤倉:影響が少ないか、きわめて急速に回復したかのどちらかでしょう。今後は、地形が複雑な場所と平坦な海底の比較など、詳細にマッピングして状態を把握し、全体像をつかんでいく必要があります。

地元産業に貢献することの難しさ

──現地の人たちとはどのような連携をとっていますか。

北里:最初に連携したのは地域の水産関係の情報を持つ公的な水産研究機関で、例えば水産総合研究センター東北区水産研究所や岩手県水産技術センター、宮城県水産技術総合センターなどです。こうした機関から情報をもらい、概況をつかむことから始めました。私たちは地元に基盤を持っていないので、まずはその基盤づくりに取り組みました。

藤倉:これまで、私たちは主に“食べられない”生き物を調査してきましたが、対象が“食べられる”魚に代わっただけで、自分たちのノウハウを生かした手法で調査は進んでいます。ただ、今回あらためて実感したのは、漁業が経済活動であるということです。ある人にとっては好ましい状況が、別の人には好ましくない場合もあります。いろいろな立場の人たちの生活を考えたとき、科学者がよかれと思って出した情報が、必ずしもよい結果を生むとは限らない場合もあるとわかり、情報の出し方にはかなり神経を使うようになりました。

北里:例えば、瓦礫が海底に落ちていたら、底引き網漁業の関係者は撤去してほしいと思います。しかし、瓦礫が漁礁となり、生物にとって棲みやすい環境が生まれ、新たな漁業チャンスが生まれることを歓迎する人たちもいます。海をきれいにすることひとつとっても、利害の対立を生むケースがあるのです。

藤倉:風評被害の問題もあります。例えば化学物質の蓄積がまったく問題のないレベルでも、ほとんどの場合ゼロではありません。そのため、数値の出し方によっては、「あそこの水産物は汚染されている」という逆の情報として受け取られてしまうこともあります。問題ないとわかっていても、食べ物に関する数値を出す以上、きちんとした説明が必要です。

未来に伝えるべき成果を生むことが使命

藤倉:JAMSTECに対しては、沖合と深海の調査をきちんと行ってほしいという期待を強く感じます。また、三陸沖の海洋の生態系が今どうなっているのか、三陸の水産業を長期間にわたって持続していくためにも本当の姿を知らせてほしいと言われました。

北里:TEAMSは、10年という長期間のプロジェクトです。ひとつの場所で10年にわたって調査データをとり続けたり、経過をモニタリングし続けたりする機会は、研究者にとっても貴重です。海洋に大きな擾乱が起きた後に何がどう変化し、どう回復していくのか、復活の過程が見えます。次に漁業が本格化することで、今度は環境に対する人間の影響が見えてきます。そこから、漁業者がどのように三陸の自然と関わって豊かな漁場を維持していくべきかが明らかになるはずです。TEAMSは、漁業活動の自然への影響を評価する恰好の機会でもあります。10年間の成果をまとめるときには、環境をモニタリングする仕組みのあり方を含めて、政策提言につなげたいと思っています。TEAMSは、東北の海の今を理解するだけでなく、日本の海、さらには世界の海と、人々がどのように関わっていくべきかという未来の話にもつながっています。そこまで視野を広げた貢献を果たすことが、私たちの夢、いや責任だろうと実感しています。

藤倉:北里が話したように、私たちが強く意識しているのは“レガシー”、つまり「未来に遺すべき成果」ということです。2010年まで10年間、「海洋生物のセンサス」という大きな国際プロジェクトに関わっていました。このプロジェクトでは、広大な世界の海洋にいる生物を調査することで、どのようなデータベースや政策提言のためのマップをレガシーとして残せるかが大きなテーマでした。

「海洋生物のセンサス」は、世界80カ国を超える国や地域からおよそ2,700人の研究者が参加した大規模な調査・研究プロジェクト。海洋生物の種多様性、分布、個体数を調査・解析してデータベースを構築し、将来の研究に役立てることを目的に、2000~2010年までの約10年計画で実施された。「センサス(census)」は、「人口調査」の意味。

TEAMSで私たちが達成すべきものも、このレガシーです。将来も起きると予測される巨大地震、津波に向けて調査のノウハウを遺し、生物がどんな環境に生息しているか一目でわかるようなハビタットマップを遺す必要があります。それができれば、陸上でなされている土地利用のように、この場所は漁場、この場所は保護区、ここはレジャー向けなどといった海の利用の仕方を提案することも可能になります。

北里:レガシーは、データを集めてただ過去を振り返るためのものではありません。むしろ次の段階に進むために、ステップアップして将来に生かすための成果です。10年という長いプロジェクトを通して、変化をきちんと調べ、次になすべきことを提案することが私たちに課せられた使命なのです。

情報発信にも工夫が必要

──プロジェクトの今後に向けての課題は何でしょうか。

北里:これまでは、3機関がそれぞれ担当海域を調査し、成果を束ねるというやり方でしたが、今後は、調査項目や調査手法を共通して進める体制を目指しています。もちろん、各組織によって調査・研究の歴史もアプローチも違いがあるので、簡単なことではありませんが。

藤倉:共通のデータベースができれば、その先に大きな広がりが出てくるはずです。例えば、データというのはまったく違う分野、違う発想で見ると、新しい側面が見えてきたりするものです。データを共有したり、公開したりすることで、専門が異なる人の力を借りることができれば、新たな成果も期待できます。

北里:実際にはデータベースをつくって発信することは、大変な労力とノウハウを要します。時間はかかりますが、JAMSTECがプラットフォームを用意してそこに情報を落とし込みつつあります。前半5年間の活動と成果をもとに、後半で成果を統合できれば、充実したものになると思います。よりよいものにするために求められるのは、第1にデータ収集におけるクオリティコントロール。第2に集めたデータをどう料理するか。そして、第3は情報発信のあり方です。発信先によって情報の内容をきめ細かく調整するなど、サービスの提供には今後も試行錯誤が必要になると思います。

藤倉:ひとつの懸念は、現地の漁業関係者と私たち研究者とのスピード感の違いです。漁業に携わる人たちのニーズは、刻一刻と変化しています。そして、今必要な情報はすぐに出してもらいたいという思いがあります。それに対して、研究者はじっくり精緻にデータ解析を進めたいわけです。それを許してもらえるかが気がかりです。「待った甲斐があった」と言ってもらえる成果を出さなければいけないと気を引き締めています。

北里:今回のプロジェクトは、科学者として正しいことをやったかだけでなく、どのように復興に寄与できたかという評価が大きく影響します。そこをしっかり頭に置いていなければいけません。さらに、後半は情報処理と情報発信のウェイトが増えます。常に外部からわれわれの活動が見えるようにするなど、効果的な情報発信の仕組みなども重要になると考えています。

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