国立研究開発法人海洋研究開発機構 東日本海洋生態系変動解析プロジェクトチーム 東北マリンサイエンス拠点形成事業 ‐海洋生態系調査研究‐

メンバーに聞いてみよう

 [ 第14回 ]日々試行錯誤を繰り返し、地域の人びとに貢献できる成果を残したい 
              瀧下 清貴 東日本海洋生態系変動解析プロジェクトチーム 主任研究員

※ユニット名・役職は取材当時のものです。
プロフィール

瀧下 清貴(たきした きよたか):

鹿児島県出身。専門は、真核生物の進化や多様性の研究。京都大学大学院農学研究科。 2000-2003年海洋バイオテクノロジー研究所。2003年-よりJAMSTECに勤務。

ミズカビは分解者。生態学的には必要な存在

京都大学の大学院で博士号を取得したのち、釜石で研究者としてのスタートを切った瀧下清貴さん。真核微生物のエキスパートとして、三陸の重要な水産資源であるシロサケ種苗生産を脅かすミズカビの研究に努めています。「研究の成果を通して貢献したい」と語る瀧下さんに、三陸への想いと研究の状況を教えていただきました。

瀧下さんは三陸沖のシロサケの卵に付着するミズカビについて研究を進められているとお聞きしました。

瀧下:はい。シロサケは一般的によく知られている、私たちが普段目にする鮭のことです。 三陸では産卵のために川へ戻ってきたシロサケから卵を取り出し、人工種苗と呼ばれる方法で卵を稚魚に孵化させてから放流しているのですが、孵化させるまでの過程でミズカビが発生してしまい、大量の卵が死んでしまう場合があります。 シロサケは三陸では重要な水産資源ですから、いかに孵化場でのミズカビ感染を防ぎ、初期減耗を抑えるかが、漁業者の方たちにとっては大きな課題です。

ミズカビは漁業を営まれる方には害のある存在ですが、そもそも自然界ではどんな役割を持った生物なのでしょうか?

瀧下:基本的には、分解者ですね。分解者は生態学的には重要な位置にいて、遺骸を分解して二酸化炭素と栄養分に変えてくれる必要な存在です。ミズカビは水の中でその役割を担っています。 真核生物全体を見渡したときミズカビはSARという大きなグループのストラメノパイルという群に属しています。一方で我々がよく目にするカビは真菌(菌類)と呼ばれる群で、オピスタコンタと呼ばれるグループに属しています。身近な例でいえば、ミズカビはワカメや昆布に近い生物、カビは人間に近いと言えます。見た目はカビもミズカビも似ていますが、進化的にはまったく違う生き物なのです。

真核生物の分類体系上で、カビと人間が近いというのは、驚きです。

瀧下:オピスタコンタの特徴は、後ろに伸びた一本の鞭毛を持っていることです。原始的特徴を残した菌類(たとえばツボカビ)は後ろにのびた一本の鞭毛を持っています。実は人間も後方に鞭毛を持った生き物で、それは精子の形状を思い浮かべていただければわかるかと思います。

ミズカビの研究を始められたきっかけは何だったのですか?

瀧下:卵が孵化できず稚魚の数が減ってしまうことは漁獲量の減少に繋がり、漁業関係者の生活にも大きな影響を与えてしまう問題です。しかし水産学的に問題になっていたにも関わらずミズカビの研究に携わっている研究者はほぼ皆無で、その生態もほとんど解明されていませんでした。 現在も三陸で研究をされている先生にその話をうかがい、真核微生物を研究してきた経験から何か役に立てるのではないかと思ったんです。

それだけ被害が出ていれば、もっと研究は進んでいても良さそうですよね?

瀧下:ひと昔前まではマラカイトグリーンというミズカビを駆除するための特効薬があったのですが、平成17年に発がん性物質であるため薬事法で食用の魚などには使えなくなってしまったんです。禁止されるまでミズカビは問題になっていなかったので研究の必要もなく、その後も取り組む研究者がいなかったのでしょう。

マラカイトグリーンに代わる有効な薬はないのですか?

瀧下:提案されている薬はありますが、効能や毒性、廃棄の手間など、どれも一長一短なので日本ではあまり使用されていません。ですから、できてしまったミズカビを一つひとつ、人の手で取り除いているケースが多いのです。 ただ、その方法も問題はあります。本来受精した卵は奇形ができる可能性があるので、目が形成されるまでは動かしてはいけないのです。

より安全で効果の高い方法が求められているわけですね。

瀧下:はい。そのために調査を進めると同時に、北里大学の生命科学研究所と共同で、ミズカビに効く真菌由来の活性物質探しをしています。 真菌はペニシリンなどの抗生物質を作ることでよく知られていますが、抗生物質の大きな特徴は、ある特定の生き物に特異的に効くことです。ですからミズカビだけに効く物質が見つかれば、自然にも人にも優しい、安全な方法でミズカビを駆除することが可能になります。 実は、共同研究の中で、真菌が作る新たな物質がミズカビの増殖を抑えることがわかってきました。マラカイトグリーンに代わる存在になりえるのではないかと思っています。

ミズカビの感染経路を特定し、予防策をとる

ミズカビを抑制する物質のお話は朗報ですね。でも、そもそもミズカビの正体自体は解明されたのでしょうか?

瀧下:ミズカビといってもその種類は多岐に渡ります。私が研究を始めた3年前はそのミズカビの種組成はほとんど解っていなかったので、まずは孵化場で発生しているミズカビの種類を特定する調査を行いました。 その結果,場所や時期によって出現する種が大きく異なっていました。多様性についてはたいぶ見えてきたと思います。 ただ、多様性を知ることは非常に重要ですが、まだ最初のステップにすぎません。現在は次のステップとして、多様なミズカビがどこから来ているのか、その感染経路を特定するための調査を行っています。感染経路を判明することは地元の方の強い希望でもありますし、感染経路が特定できれば具体的な予防策をとることも可能になると思います。 このプロジェクトは被災地のために行われているものなので、しっかりと感染経路を特定し、水産業の発展に役立つ情報まで成果を高めたいと思っています。

調査はどういう手法で行っているのですか?

瀧下:孵化のシーズンに2〜3回ほど複数の孵化場に足を運び、サンプルの採取を行います。ミズカビはもちろんですが、感染経路を特定するために水源や空気中の菌も調べます。また、水温が発生するミズカビの種類に影響を与えている可能性もあるので、孵化場の方にお願いし水温データもいただいています。

現場の方から得られる情報は、調査の上でやはり必要ですか?

瀧下:現場に毎日いらっしゃる方の意見はすごく貴重です。「こういう温度の時に違うミズカビが生えてくるんだ」と言われて調べてみると、実際に種類が違っていたりするんです。 微生物は顕微鏡で見ただけでは種の特定は難しく、一番手っ取り早いのは遺伝子情報を知ることです。培養だけではなく,採取したミズカビから直接DNAを採取し、分子同定(どの種に属するかを決定する)してその多様性を見ます。そして採取した水や空気中の菌のサンプルも同様に行い、卵についたミズカビから採取された遺伝子と環境から採取した遺伝子を比較し、絞り込んでいくことで感染経路を解明していくんです。 ただ、温度といった気象条件や孵化場の環境条件などによって、発生するミズカビの種類も異なってきますから、採取する場所やタイミングを増やしながら、根気強く数を増やしていくことが必要です。

サンプルの培養は、どのようにして行うのですか?

瀧下:ミズカビを寒天の培地に置いて増やします。それを数日おきに植え継ぎしていきます。 生き物の性質を知るという上で、より正確な結果を求めるには生きたもの、つまりきちんと培養されたものであることが大事なんです。貴重なものなので培養株の維持はこれからも続けていかなければいけません。

海の謎の多さに興味を持ち研究者に

瀧下さんが研究をする上でのモチベーションは、どこから生まれているのですか?

瀧下:未知の世界に惹かれますし、それを解明していくのが楽しいんです。 私は真核微生物の研究を専門にしていますが、研究材料に選んだのも、バクテリアなどの原核生物に比べて真核生物の研究者は少なく、まだまだ謎が多かったからです。

好奇心と開拓心が旺盛なのですね。

瀧下:ただ、その好奇心は研究の中だけですね。反動かもしれませんが、特に趣味も無いですし、休日も家でパソコン仕事をする以外は子供と遊んでいるくらいです。

休日も家で仕事をされているなんて、よほどお好きなのですね?

瀧下:研究は好きですね。 でも、高校生の頃は自分が研究者になるなんて想像もしていませんでした。海が特別好きなわけでもなかったし、大学の学部を選んだのも水産学科に行けばどこかの会社には就職できるかな、くらいの軽い気持ちだったんです。 意識が変わったのは修士過程に入る直前くらいですね。海の謎の多さに興味を持ち自分も海に関わる研究がしたいと思うようになりました。

人々との出会い。三陸で始まった研究者人生

瀧下さんは、過去に三陸に住んでいらっしゃったのですよね?

瀧下:大学院で博士号を取得してすぐに釜石にあった、海洋バイオテクノロジー研究所に勤め始め3年間植物プランクトンの研究をしていました。私の研究者としての人生は三陸で始まったんです。そこでの経験や人々とのいい出会いがあったからこそ研究者としての私がいま存在しています。 JAMSTECで研究を始めたこともミズカビの研究も、海洋バイオテクノロジー研究所時代の上司がきっかけです。また、釜石で知り合った北里大学の先生方との共同研究では,とても面白い成果が出せました。多くの人に助けて導いていただいた事を本当に感謝しています。

そういう三陸への想いが、現在のミズカビの研究に繋がっているわけですね?

瀧下:そうですね。これまで真核微生物の研究は好きで続けていましたが、特にミズカビに関心があったわけではありません。ただ、これまでの研究の知識と経験を活かしながら、かつ被災地復興の役に立てることから、ミズカビ被害の話を聞いた時に「これだ!」と思ったんです。私は研究の世界で生きている人間なので、研究の成果で恩返しできることを願っています。

地域への恩返しの意味も含めて、今回のTEAMSのプロジェクトは瀧下さんにとっては特別な存在になりそうですね。

瀧下:これまでの私は、生物の進化や多様性を究明するピュアサイエンス(純粋知識学)の世界で研究を重ねてきましたが、今回のプロジェクトはあくまで被災地復興のための研究であり、地域の人びとに貢献できる成果を残さなければ意味がありません。 初めての試みですから常に強いプレッシャーも感じていますし、日々試行錯誤を繰り返しています。

地域に貢献できる成果をあげるため、今後はどのような活動をされるのでしょうか?

瀧下:変わらない柱は、ミズカビに効く物質を突きとめること、そしてミズカビの感染経路を解明することの2つです。 ミズカビの多様性が見えてきたとき、地域に貢献するためには、どうステップアップすべきかと悩みましたが、現地の漁業者の方と話をした中で多くのヒントをいただき、次の方向性を決めることができました。一人で考えることも大事ですが、現地の方はもちろん、立場の違う多くの方と意見交換をして、研究に取り入れていきたいと思っています。

ありがとうございました。

ページの先頭に戻る