国立研究開発法人海洋研究開発機構 東日本海洋生態系変動解析プロジェクトチーム 東北マリンサイエンス拠点形成事業 ‐海洋生態系調査研究‐

メンバーに聞いてみよう

 [第8回]食の安全を科学の力で追いかける 
              大河内 直彦 海洋環境変動モニタリングユニット 上席研究員

※ユニット名・役職は取材当時のものです。
プロフィール

大河内 直彦(おおこうち なおひこ):

東京大学大学院博士課程終了後、京都大学生態学研究センター博士研究員、北海道大学低温科学研究所助手、米国ウッズホール海洋研究所博士研究員などを経て、2014年より海洋研究開発機構 生物地球化学研究分野 分野長。専門は天然中に分布するさまざまな有機化合物を用いた過去および現在の地球環境の解明法の開発およびその応用。
講談社科学出版賞(2009年)、海洋化学学術賞(2013年)など受賞。
著書に『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る』(岩波書店)や『「地球のからくり」に迫る』(新潮新書)などがある。

事件は現場以外でも起きている!陸上の研究室から海を探る

「もともと内陸出身で、とくに海が好きというわけではありません。水泳も得意じゃないし、船にも弱い。学部で大学の地学科に所属して勉強していくうちに、陸上は浸食や人工的な改変をうけてややこしいのに比べ、海底は基本的にものがたまっていくだけの場所でとても安定していること、そこをきちんと調べると地球の営みがきちんと理解できることに魅力を感じてこの世界の研究に入りました。今思えば、これが人生の間違いの始まりでしょうか……」

そう話すのは、有機汚染物質の研究を専門とする大河内上席研究員。ほかのメンバーが喜んで海に出て行くのに対し、大河内上席研究員が主戦場とするのは研究室。調査によって集められたさまざまな試料から東北の海の姿を紐解いていく。

TEAMSとして取り組むのは、津波によって陸から海へと流れ出した有機汚染物質の状況。津波が陸上から海へと運び去ったであろう、PCB(ポリ塩化ビニル)をはじめとする有機汚染物質を追いかけている。

「現在は使用が禁じられているPCBは、コンデンサーなどの部品に多く使われていました。PCBが有害であることがわかってからは、これらを含む製品は適切な処理をすることが義務付けられましたが、沿岸域に集積され処理を待っていたPCBを含む機器類を、津波は多量に海洋に流出させました。それが海洋汚染を引き起こしていないかどうかを調べるために、モニタリングをスタートしました」

大河内 直彦

PCBは絶縁性や耐薬品性にすぐれ、かつて多くの電気機器に使われてきた物質。その有用さの反面、生物に対する毒性が強く、癌やホルモン異常を引き起こすことが問題となっている。

「東北の水産業が復興するためには、水揚げされる水産物の安全の確保と風評被害の予防が必須です。そのためTEAMSでは、魚や堆積物中に含まれるPCB分析、魚類のアミノ酸窒素同位体比をもとにした栄養段階の推定など、さまざまな分析法を組み合わせて、水産物に含まれる有機化合物の量を調べ続けています」

調査地は岩手県北部の沖合。調査船から円錐形の機器を海底へと沈め、そこからアクリルの筒を突き出して海底の堆積物を採取する。この堆積物を持ち帰り、含まれる物質の量を測定する。

「これらの堆積物は岩石が細かくなったものや珪藻類などの遺骸からできています。その堆積のスピードは、早い場所でも年間数㎜から数㎝。堆積物はそのときどきに海中に溶け込んでいたものを溜め込んでいるので、これを層ごとに分けて調べれば、津波の前後でどのように海中の環境が変わったかを知ることができます」

この泥をアルコール類に溶かして、目当てとする物質だけを抽出。その濃度から海が汚染されたかどうかを探っていく。

「溶け込んでいる物質を正確に測るために、さまざまな分析法を使っています。あらゆるものの混合物である天然物から特定の化合物を抽出するテクニック、それを正確に定量するテクニック、さらにきちんと化合物の構造を決定するテクニック、その中に含まれる炭素・窒素などの同位体比を微量で測定するテクニックなどなど。私の研究は地道な作業の積み重ね。ただ粛々とこなしていきます」

大河内 直彦

 海底の堆積物と合わせ、魚をはじめとする生物に含まれるPCBの濃度もモニタリングを続けている。

「PCBは食物連鎖を通じて、より上位の生き物に移行し濃縮されていきます。その仕組みをより明らかにするために『栄養段階』という新しい考えと調査方法を編み出し、モニタリングに活かしています」

 栄養段階とは食物連鎖におけるステージをわかりやすくしたもの。もっとも下位となる植物プランクトンが1、動物プランクトンなどが2、それらを食べる小型の魚が3、さらにそれを食べる中・大型魚を4としている。

「生物の体を構成するアミノ酸の組成を調べると、その生物が栄養段階のどのステージにいるのかがわかります。指標となるのは『フェニルアラニン』と『グルタミン酸』。フェニルアラニンは栄養段階があがっても、それほど増えませんが、グルタミン酸は段階が上がるにつれてアミノ酸全体に対する量が増加していきます。アミノ酸に占めるこれらの物質の量の比から、その生物の栄養段階を明らかにします」

 栄養段階が上位のものほど食物連鎖の上位におり、寿命も長い傾向がある。こういった生物ほどPCBなどの有機化合物が蓄積されやすいので、栄養段階を調べることによって、より効果的にPCBの汚染状況を明らかにできる。

「調査の結果、幸いなことに今のところ汚染は見られず、魚類に含まれる有機汚染物質の濃度は震災前とほぼ同じ低いレベルで推移していることがわかってきました。しかし、モニタリングは短期間でなく、長期間続けることでその情報の価値が高まります。今後も地道にデータを積み重ねていきたいと思います」

科学的な知識と思考方法を社会へ

大河内上席研究員には、科学者に加えて「著述者」という顔ももっており、これまでに海をテーマにした一般向けの科学ノンフィクションを2冊発表している。

『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る』(岩波書店)と『「地球のからくり」に挑む』(新潮新書)は一般向けの地球科学の解説書として高い評価を受け、地球温暖化と気候変動の謎に挑む科学者たちのドラマを軸に、科学的な知識と最新の情報をわかりやすく解説した『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る』は講談社科学出版賞も受賞した。

「ライフワークというほどのものでもありませんが、執筆は研究のよい息抜きになっています。研究者は論文をよく読み、また書きもしますが、新しく得られた知見を社会に向けて解説することに熱心な人は少ない。人にはそれぞれ得手不得手がありますが、私はこういう表現が比較的得意だったということでしょうか。科学に関して、世の中にはいいかげんな情報と意見が蔓延しがちですが、きちんとした情報を出して物事を考える論理の基礎をきちんと示すことは現代の科学者がやらねばならない仕事のひとつだと思っています」

大河内 直彦

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