20211130
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コラム【福徳岡ノ場の噴火】

-世界にも数ある軽石漂流 トンガ海底火山の例-

海域地震火山部門
研究員 Iona McIntosh
主任研究員 羽生 毅(和訳)

世界でも観測される軽石筏

現在、南西諸島から伊豆諸島などに漂着している軽石は、海底火山が噴火から何週間も経った後に遠く離れた沿岸域に影響を与えることを示す最新の例と言えます。2000年以降、海底火山に由来する軽石漂流は世界各地で数例発生しています。多くの場合、軽石筏(pumice raft)が発生するのは福徳岡ノ場のように水深の浅いところで噴火が起こったときです。

南太平洋のポリネシアにあるトンガでは、2001年と2019年に発生した「0403-091」と呼ばれる海底火山と、2006年に発生したホームリーフ海底火山からの軽石筏が、トンガから太平洋を横断し、フィジー諸島を経て、数ヶ月後にオーストラリアの東海岸に到達しました。一方、2012年にケルマデック島弧にあるアーブル火山が噴火した際には、火山が海面から900メートルも下にあるにもかかわらず、大規模な軽石筏が発生しました。

このコラムでは、「0403-091」という一風変わった名前の海底火山の2019年の噴火と、そこから発生した軽石筏の事例について紹介します。

海底火山「0403-091」の軽石の事例

トンガ島弧にある「 0403-091火山」の2019年8月の噴火とそこから発生した軽石筏の実態を調査するため、2020年初頭、イギリスの国立海洋学センターのIsobel Yeo博士が率いる英、日、豪の国際研究チームに参加しました。 0403-091火山は、トンガのヴァヴァウ島の北45kmに位置し、山頂は海面下40mにあります。

最初に噴火の可能性が報告されたのは、2019年8月15日にヨットが軽石筏に遭遇した時でした。しかし、その時点ではどの火山が噴火したのか誰も分かりませんでした。衛星画像から、0403-091火山が8月6日に噴火を起こしたことが判明し、その時に軽石筏も発生したことが分かりました。軽石筏は当初、100km2以上の範囲に広がっていました。小石から80cm大までのサイズの軽石が、厚さ約30cmで層をなしていました。

軽石筏は海流や風の影響を受けて海面上を漂流し始めました。トンガを離れて西に向かって進み、次第に長さ50km以上の細くてねじれたリボンのような形に変わっていきました。3週間後には火山から200km以上も離れ、4週間後にはフィジー諸島のラケンバ島に到着しました。2019年9月にはフィジー諸島を通過し、1年後の2020年8月には、0403-091火山から3000km以上離れたオーストラリアの東海岸に至りました。

2020年2月、国際研究チームは0403-091火山の山頂部の調査を行うためにトンガに集結しました。トンガ国土資源省とヴァヴァウ環境保護協会のメンバーと協力して、海底火山の現場に向かいました。噴火後の火山の形がどう変化したかを知るために、船に搭載された、水中に音波を発信して水深を図る測深器によって、海底地形調査を行いました。また、水中カメラを搭載した小型探査機(ROV)を使って、海底を覆う噴火したばかりの火山岩を観察しました。そこには、噴火から半年後にもかかわらず、バクテリアが多量に繁殖してできたバクテリアマットや甲殻類、魚類などの生態系が回復してきている様子も映っていました。さらに、カメラを取り付けたドレッジ(海底を引きずって岩石を取るための金属製の箱)やグラブ式採泥器(堆積物を金属の爪ですくうようにして取る器具)を使って海底の岩石や堆積物を採取し、実験室で分析しました。

この調査では、山頂にあった既存の噴火口の西側に、新しい噴火口ができていることがわかりました。この噴火口の底は海面下120mで、最大1mほどの大きさの火山岩が点在していました。ドレッジを使って、これらの岩石の一部を回収することに成功しました。採取された岩石は灰色の軽石で、マグマが噴火したときに発生したガスによる気泡が多く含まれていました。しかし、軽石筏の中の軽石とは違い、水に浮くほどには気泡の割合は高くありませんでした。そのため、これらの比重の比較的高い岩石は海底に沈み、噴火口を満たし、周囲の海底を覆いました。今回の調査から、噴火によって0.03km3の量の軽石が山頂付近に沈積したと推定されました。これは、軽石筏として浮遊した軽石の推定量0.02~0.04km3と同じくらいの量となります。つまり、噴火した軽石全体のうち半分程度は海面に浮遊し、その後漂流したことになります。

図1.
2019年8月6日に0403-091火山の噴火活動の証拠をとらえたSentinel-2(European Space Agency)の衛星画像
図2.
0403-091火山の位置と噴火後3週間の軽石筏の漂流状況(衛星画像からのマッピング)

ラケンバ島とヤサワ諸島での軽石調査

今後研究すべき重要な課題の一つは、どのような噴火条件の時に溶岩ではなく軽石が噴出するかということです。この疑問に答えるため、また、軽石筏が到達した地域での影響を知るために、フィジー国土鉱物資源省の担当者と一緒に、最初に軽石の影響を受けたフィジー東部のラケンバ島と、その3週間後に軽石が漂着した西部のヤサワ諸島を訪れました。

ラケンバとヤサワの両島は、漂着した軽石の影響を大きく受けました。軽石は突然やってきて、一日で海岸線全体を軽石で埋め尽くしました。潮の流れに乗って海岸に近づいた軽石は、大人が軽石の上を歩けるほどの厚さになりました。

ラケンバ島は水深の浅い裾礁に囲まれています。潮が引くと裾礁から流れ出る軽石も一部にはありましたが、大部分の軽石は海岸と裾礁の間に閉じ込められ、引き潮で水が抜けていくと裾礁は軽石で埋め尽くされます。再び潮が満ちてくると、軽石は再び海岸に寄せられます。最終的に軽石が海岸から流れ出たのは、風向きが変わって沖合へ向かって風が吹くようになったときでした。その後、潮の流れに乗って軽石が島から離れていき、大半の軽石は数日でラケンバ島からなくなりました。

地元の人の話によると、開けた海岸では軽石はすぐに流れ去りましたが、マングローブの生い茂る海岸では軽石がマングローブの木の根に引っかかり、消え去るまでに時間がかかったそうです。

ヤサワ諸島でも、一夜のうちに軽石に囲まれました。深い湾を持つヤサワ諸島では、軽石が厚く堆積し、外海に出るには軽石の上を歩いていかなければならないほどでした。しかもラケンバ島とは異なり、ヤサワ諸島ではこの厚い軽石の層は何ヶ月も海岸線に留まっていました。これは、軽石を海岸線に押し付けるように常に強い風が吹いていたためです。季節が変わり陸の方向に吹き付ける風が弱くなって初めて、軽石は外海へと流れ去りました。

軽石筏の到着から5ヶ月後に現地を調査したときには、軽石の大群はすでに流れ出ていましたが、ラケンバとヤサワの海岸には残された軽石が数多く見られました。これらの軽石は、私たちが0403-091火山の山頂で採取した軽石とよく似ていますが、気泡の数がより多く、また気泡のサイズが全体的にやや小さい傾向がありました。小さい気泡には海水が入りにくいため比重が小さく、何週間ものあいだ海に浸かっていても、浮いていることができたと考えられます。今後は、X線CTなどの手法を用いてこれらの気泡を詳細に調べ、浮遊のプロセスを解明していきます。

また、軽石自体の大きさについて、ヤサワ諸島の軽石は平均してラケンバの軽石よりもわずかに小さいことが分かりました。これは、ヤサワ諸島に流れ着いた軽石のほうがラケンバ島に流れ着いたものよりも長時間移動したために、お互いにぶつかり合うことでひび割れなどの弱線に沿って細かく砕けていったためと考えられます。一方で、どちらの場所でも30cm以上と大きい軽石もいくつか見つかりました。

噴火から5ヶ月経った時点でも、これらの島々の周辺には小さな軽石筏が流れていました。これは、海岸に何度も打ち上げられた軽石が、潮の流れに乗って外海へ戻ってきたもののようです。ヤサワ島民の話では、季節の変わり目に「第二の軽石筏」と呼ばれる現象が起きたそうです。軽石筏が最初に到着したときは、乾季で川の水がほとんど流れていませんでした。そのため、軽石は川の上流まで運ばれそこに留まることができました。雨季になると、川の水量が増えて軽石が海に流されるようになり、海岸に二度目の軽石流入が起こりました。

地元のダイバーや漁師に、海底に沈んだ軽石があるかどうかを聞き、また水中カメラを使って海岸沿いに沈んだ軽石を探してみました。沈んだ軽石はいくつか見られたものの、ヤサワのダイバーによると、軽石が数ヶ月間湾を埋め尽くしたような場所でも、海底に沈んだ軽石はほとんど見られなかったそうです。このことから、ほとんどの軽石は海水を含んで沈むことなく非常に長い間浮いたままであること、あるいは沈んだ軽石も潮汐や海流によって海岸線から流されていったと考えられます。

図3.
(上)海底火山山頂からグラブ式採泥器で採取した赤茶色の緻密な軽石。
(下)ラケンバ島の海岸に漂着した軽石の調査風景。
図4.
フィジーの島々と軽石調査を行った島(ラケンバ島、ヤサワ諸島:ヤサワ島、ナキュラ島)。
Google Earth の画像を改変
図5.
Planet Labsが公開した軽石筏到着前(上)と到着後(下)のラケンバ島の衛星画像。
Global Volcanism Program, 2019. Report on Unnamed (Tonga) (Krippner, J.B., and Venzke, E., eds.). Bulletin of the Global Volcanism Network, 44:11. Smithsonian Institution.
https://doi.org/10.5479/si.GVP.BGVN201911-243091
図6.
(左)軽石筏が漂着したときのラケンバ島の海岸。分厚い軽石層の上を歩いた人の足跡が見られます。左側の遠くには船の桟橋が見えています。
(右)軽石筏漂着の5ヶ月後に撮影された同じ場所の風景。干潮時には一帯が水没する。

軽石と生活への影響

この地域に住む人々は、島の生活に様々な影響があったといいます。船外機付きの小舟を使っている人の中には、軽石の小片が吸水管を塞いだためにエンジンが止まってしまったという人もいました(一方で、軽石がプロペラの刃をきれいに研いでくれたという人もいました)。そのため、軽石のないところまで船を運ぶか、長い棒を使って軽石の中を人力で進むことができなければ、移動や漁をすることができませんでした。

ラケンバ島では、食料や燃料を運搬する船が普段使っている港に入れないため、島民は別の場所で燃料のドラム缶を降ろし、それを丘の上に押し上げなければなりませんでした。漁師たちが使う網などは軽石によって破られ、マングローブの中でカニを捕るための罠が壊れたりもしました。マングローブの木自体は厚い軽石の影響をほとんど受けませんでしたが、防風林として植えられたマングローブの苗が一部やられてしまいました。

厚い軽石筏が海岸に漂着した当初は、魚が水面から跳ねた時に軽石の上に着地してしまい、水に戻れずに死んでいくのが見られたそうです。また、ラケンバ島の海岸では、ウミガメの死体がいくつも見つかりました。甲羅に傷があり、軽石が喉を塞いでいたことから、潮が引いたときに厚い軽石の下に閉じ込められたと考えられています。

ヤサワ諸島では漁師の方から、厚く堆積した軽石がサンゴをこするためサンゴ礁が損傷しているという話も聞きました。また、観光客向けの宿泊施設を提供している地元の方からは、いつもは真っ白なビーチが、軽石で覆われていると観光客が来なくなるため、観光業に影響しているという話を聞きました。一方で、軽石は道路の穴の補修や浄化槽の充填、今後作る建築のための資材とするなど、軽石の活用も図られていました。

軽石の量、軽石の浸水期間、沿岸地域の特徴(海運、漁業、観光などへの社会経済的依存度など)の違いにより、軽石筏の影響は場所によって異なりますが、フィジーで報告された2019年の軽石筏の影響は、福徳岡ノ場からの軽石筏が南西諸島やその他の日本の沿岸地域にどのような影響を与えるかを考えるための参考になると思われます。

Pumice raft from Tongan submarine volcano