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北極海での観測研究のこれまでの流れ(Ⅱ)立ち上がり期

2022929

地球環境部門 北極環境変動総合研究センター センター長/
研究プラットフォーム運用開発部門 北極域研究船推進室 国際観測計画グループ
グループリーダー
菊地 隆

 本稿では、これまでの北極海の観測研究の流れについて、主にJAMSTECおよび日本の活動を中心に記述します。図1は、人工衛星で得られた北極海で9月に観測される年最小海氷面積の経年変化のグラフに北極海での観測研究のこれまでの概要を記したものです。1970年代に人工衛星による海氷観測が始まってから現在までを4つの時期に分け、それぞれの時期で何を目的とし、どのような観測研究を行ってきたのかをまとめます。

図1. 北極海での観測研究のこれまでの概要。青太線は、人工衛星で得られた北極海で9月に観測される年最小海氷面積の経年変化。赤星印は1990年以降のその段階で海氷面積最小を記録した年の値。Ⅰ:夜明け前、Ⅱ:立ち上がり期、Ⅲ:自立期、Ⅳ:発展期、Ⅴ:拡大期(今後)

Ⅱ:立ち上がり期

人工衛星のデータから北極海の海氷分布を知ることができるようになった1980年代後半、研究者はこの海氷分布データをもとに、現場での観測を発展させようとします。南極観測や基地の維持に使われていた砕氷船が北極海に行って観測を始めるようになります。例えば、1987年にはドイツ砕氷船Polarstern号が大西洋側北極海のナンセン海盆の横断観測調査を行いました。欧米諸国による最初の北極海の横断観測になります。

このように北極海の観測研究の機運が高まる一方で、1980年代後半から90年代始めに国際社会に大きな変化が起きました。冷戦の終結です。当時、ソ連の共産党書記長であったゴルバチョフ氏は、1987年のムルマンスク宣言において「北極開放」を提案しました。この提案の中で、北極での科学研究の重要性が指摘され、国際的な科学協力を重要視する方向が示されました。これを受けて、北極研究に関する国際議論が進みました。例えば、環境保護の観点から1991年6月にロヴァニエミ宣言が採択されました。この宣言は今も北極評議会のもとで活発な活動が行なわれている4つの作業部会(AMAP, PAME, CAFF, EPPR)の設立につながっています。また1990年には研究者が中心となる非政府組織である国際北極科学委員会(IASC: International Arctic Science Committee)が設立されました。最初は北極圏8カ国(カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国)の組織として立ち上げられましたが、第1回IASC理事会において、フランス、ドイツ、日本、オランダ、ポーランド、イギリスの研究機関も正式メンバーとして加わっています。IASCには現在では23カ国が加盟しており、北極研究の国際連携推進にとても大きな役割を担っています。

このような北極に関する国際共同研究の高まりもあり、日本でも北極研究を組織的に進めていく動きが盛んになっていきました。例えば、国立極地研究所には北極圏環境研究センター(現・国際北極環境研究センター)が設立されました。そして1991年にはノルウェー・スバールバル諸島スピッベルゲン島ニーオルスンに基地を設けています。現在も大気化学や陸域生態系の観測を中心に拠点としての活動を続けています。

JAMSTECでは、1991年に、米国ウッズホール海洋研究所(WHOI)やアラスカ大学(UAF)などと共同で北極海の観測・研究を開始しました。この頃の北極海の海氷状況は、先に記した衛星観測が始まった頃から少なくとも海氷面積で見る限りはあまり変わっておらず、夏でも多くの海域が海氷に覆われていました。このような海域でしたので、我々はまだ、どのようにして海洋を観測するか、どのような観測データを手に入れられるか、などの「手がかりを掴む」ような状況でした。「観測をしてデータを手に入れる」いわば「北極海を知る」ことが、我々の最初の目的でした。WHOIとの共同観測では、海氷に設置して漂流させながら海氷下のデータ・試料を採集する“氷海用自動観測ステーション(IOEB)”を共同開発し、1991年から2001年までIOEBを用いた観測を行いました。ヘリコプターや小型飛行機で海氷上に降りてキャンプを設営し、海氷に穴をあけてIOEBを設置します。そのあとは海氷と漂流しながら自動観測を行い、数年後に搭載電池の残量を考慮したうえでブイが漂流している場所(海氷)に行き、これを回収します。得られたデータは研究に使われるだけでなく、国際北極ブイ計画(IABP: International Arctic Buoy Programme)の活動のもとリアルタイム配信され、天気予報など現業にも利用されました。図2は、1994年4月に行われたIOEB-2号機設置時の写真です。これにより海氷に覆われた海域での海氷の下の海洋観測データを入手することができました。

図2. IOEB-2号機の設置(1994年4月13日)

アラスカ大学との共同研究では、海洋観測船アルファ・ヘリックス号によりアラスカ沿岸の北極海域でCTD観測、係留系設置・回収作業、海上気象観測、そして海氷観測などを行いました(図3,4)。主に海氷が無くなる夏季は、船による海洋・海氷観測の実績を積み重ねました。また海氷に覆われる冬季を含めた通年観測データを得る手段としては、季節氷海域での係留系観測方法を学び、海氷が存在する北極海特有の海洋構造に関する知見を積み重ねていきました。

図3. Alpha Helix号航海(1994年9-10月)による北極海観測の様子
図4. Alpha Helix号航海(1994年9-10月)で見かけたホッキョククマ

これらの経験は、このあと行なわれる氷海観測用小型漂流ブイ(J-CAD)の開発とこれによる観測研究、海洋地球研究船「みらい」による太平洋側北極海での観測研究、係留系を用いた長期モニタリング観測に繋がります。こちらについては、次のコラムで触れます。まとめると、この時期に我々は北極海での観測経験を、そしてデータを積み重ねていきます。その流れの中で、我々はデータを得ることだけでなく、「なぜ北極海には海氷が存在するのか」「海氷が存在するための北極海の役割・特徴はなにか」といった科学的な疑問に答えるべく、本格的な観測研究活動を開始したのでした。 

 謝辞: 本稿をまとめるにあたって、滝沢隆俊さん、畠山清さん、中村亘さんにご協力いただきました。感謝申し上げます。

 

参考文献/References

 i. Rachold, V. (2022).  “Success Stories of International Cooperation in the Arctic”, Article on the web site of “Arctic Circle”, 8 July 2022.  https://www.arcticcircle.org/journal/success-stories-of-international-cooperation-in-the-arctic

ii. International Arctic Science Committee (IASC) Home page https://iasc.info/ (参照;2022-8-30)

iii. 畠山清、瀧澤隆俊、中村亘、本庄丕、R. Krishfield、小山登 (1996). 氷海用自動観測ステーション(IOEB)の開発、海洋科学技術センター試験研究報告、34、1-15.

iv. Ice-Ocean Environmental Buoy (IOEB) Program Home Page https://www2.whoi.edu/site/ioeb/ (Referred on 2022-10-05)

 v. 瀧澤隆俊 (2001). 北極海での観測研究、海洋科学技術センター創立三十周年記念誌 第2章 海洋の総合研究機関として、p. 102-108.

vi. 菊地隆 (2022). 北極海調査の歴史とこれから-北極域研究船に向けて-、日本海洋工学会誌 KANRIN(咸臨)、第101号(特集:海洋調査と調査船)、28-34.

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