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北極海での観測研究のこれまでの流れ (Ⅲ)自立期-番外編①

2023119

砕氷船航海参加のうらばなし

地球環境部門 北極環境変動総合研究センター センター長/
研究プラットフォーム運用開発部門 北極域研究船推進室 国際観測計画グループ
グループリーダー
菊地 隆

 今回は番外編です。私が経験した少々くだけた話題を紹介いたします。気楽に読んでもらえればと存じます。

 さて、私たちが使っている海洋地球研究船「みらい」は砕氷船でないために、海氷域に入ることはできません。そこで、「みらい」が観測できない海氷域での観測データを得るために、日本の研究者は国際連携の下で各国の砕氷船航海に参加してきました。JAMSTECの研究者について記すと、2002年から続くカナダ砕氷船によるJWACS共同観測航海には多くの研究者が参加しました。またそれ以外にも、カナダ・米国・ドイツ・ノルウェーなどの北極航海にも参加して、各国研究者と連携した研究活動を進めてきました。

 私自身も何度か日本以外の砕氷船や研究船の航海に参加し、北極海での観測作業を行う機会を得てきました。というか実は私は「みらい」乗船回数(4回)よりも海外の砕氷船/研究船航海の乗船回数(12回だったかな?)のほうが多かったりします。ちなみに氷上キャンプに行った回数は11回(+1回の直前中止(この話はまた後で))です…。氷上キャンプにはまた行きたいなぁ…笑。そのうち「Ⅲ:自立期」の時期に当たる2005年の米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による北極海横断航海と、2007、2008年のドイツ砕氷船Polarstern号による北極航海とこれに関わるいくつかの話を、個人的な偏見・思い入れとともに、記したいと思います。図1は、2005年米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による北極海横断航海と、2007年ドイツ砕氷船Polarstern号による北極航海のTシャツです!特にPolarstern航海のTシャツの方は航跡図が書かれていて、広く大西洋側北極海をカバーしていたのが分かります。こういうTシャツって、いいですよねぇ。みらい北極航海でも何回か作られていますね。すばらしいです。

図1.(左)米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による2005年北極海横断航海と、(右)ドイツ砕氷船Polarstern号2007年IPY航海のTシャツ

番外編① 米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による2005年北極横断航海
 さて、Ⅲ-1に記したように、2000年に入ってからJ-CADによる観測を始めNPEOで毎年4月に北極点付近にブイを設置し大西洋側北極海のデータを得ていました。しかしNPEOに参加しながらも、観測データが極めて少ない北極海中央部の状況を知るためにブイを設置できるチャンスをずっと探していました。積極的にアンテナを張り、いろんな情報を集めるのが第一歩。
 研究成果を国際学会で発表するようになり、各国の研究者と仲良くなっていく中で、2005年夏にドイツのアルフレッド・ウェゲナー研究所(AWI)が運航する砕氷船Polarstern号が北極海の海盆横断航海を計画していることを知りました。そこでこれに参加できないか、AWIの研究者に相談してみました。2003年6-7月に札幌で開催されたIUGG(国際測地学・地球物理学連合)総会は話を進めるとても良い機会でした。気持ちのいい7月初旬の晴天の札幌・大通公園の芝生の上で、日米独の研究者が揃って買ってきたお弁当を食べながら観測計画の話をしたこと、そこで独AWIの研究者から2005年に予定している航海への参加に基本的に了解を得たことを覚えています。人のつながりがうれしい。あと積極性、大切。そして…日本で国際会議をする意義って、本当に大きいですよね。
 Polarstern号は1980年代後半から定期的に北極海の海盆横断観測を行っているとても実績のある砕氷研究船です(i)。そのような砕氷船航海に参加できる、また多くの欧米の研究者と一緒に観測・研究できる機会を得られたことに、とても喜んでいました。ドイツAWI側のとても好意的な対応に感謝!トントン拍子で準備が進み、私と観測支援員の2名で2005年夏にPolarstern号の航海に参加できる...はずでした。ところが…想定外の展開が待っていました。
 2005年4月、いつものようにNPEOでの北極点付近の氷上へのブイ設置を終え、その帰路にPolarstern号でのブイ設置の準備のためにカナダ・ハリファックスのMetOcean社に立ち寄りました。Ⅲ-1余談に書いた出張と同じ行程です。そのハリファックス滞在中(2005年5月2日)にAWIからメールが届きました。Polarstern号航海が中止になりそうだ…と。この航海ではロシアEEZ海域に入ることを計画していました。これに対して、ロシア側から 天文学的高さ(”astronomical height”(原文ママ))の経費支払いを要求されたため、このままでは断念せざるを得ないとのこと。その後のAWI側の努力も空しく、結局中止決定に。せっかく頑張ってみなさんの協力の下に準備を進めたのに航海が中止になってしまい、ものすごく落胆しました。この連絡を受けて、私たちの夏の計画も中止を含めた検討に入りました。
 ただ…、2005年夏にはPolarstern号航海の他にも、米国沿岸警備隊砕氷船Healy号とスウェーデン砕氷船Oden号の合同による北極海横断航海が計画されていました。そこでNPEOの関係者を通じてHealy号に共同首席として乗船予定だった米国アラスカ大学地球物理学研究所の研究者に連絡を取り、ダメ元で Healy号航海になんとか乗船できないか相談しました。5月中旬、航海開始まであと3ヶ月を切った段階です。通常ではまず無理な相談でした。ところが...。実はHealy号と合同で横断航海を予定していたOden号もロシアEEZ海域での観測を予定していたため、同じようにロシアから前述のPolarstern号と同様に多額の経費の支払を請求されていました。ただしOden号はHealy号との合同観測だったこともあり中止にはせず、経路を変更してカナダ側を回ってアラスカ沖に来てそこから北極海横断観測を行う決定をしたそうです。そのような状況もあって、先方はこちらの事情(航海中止)を理解してくれていました(残念に思っていました)。またブイ観測で共同研究をしていた米国アラスカ大学IARC(International Arctic Research Center: 国際北極研究センター)やワシントン大学の研究者などが、Healy号航海の関係者と直接交渉してくれたようで...。なんとかしてあげたい…とのことで検討をしてくださりました。結果、Healy号に乗船を予定していた米国の研究者らと一緒に海氷観測を行う形でなら…と、Healy号航海への乗船・参加の許可が出ました。「捨てる神あれば拾う神あり」「宝くじ買わなきゃ当たらない」などなど、いろんな言葉が頭に浮かびましたが、Healy号航海の首席および参加研究者、そして交渉してくれたIARCやワシントン大学の研究者らには本当に感謝しました。感謝、感激、雨、あられ。人のつながり、大切(再掲)。そして、何事もあきらめてはいけないのですねぇ…。
 以下は完全に余談ですが、このときの首席だったアラスカ大学の研究者は私とは研究分野が異なるのですが2005年のHealy号航海のあとも交流が続きました。アラスカに行ったり国際学会で会ったりすると、近況などいろいろな話をしました。特に、アラスカ州フェアバンクスでArctic Science Summit Week (ASSW: 北極科学週間) 2016が行われた際には、ほかの米国の研究者とともにフェアバンクス近郊のご自宅にお呼ばれして、みんなでPartyをして、とても楽しい時間を過ごすことができました。Healy号航海に乗船できたこと、そしてその後の繋がりからも、お互いの信頼や人脈を作ることの大切さを知った次第です(3回目)。いつか自分もみなさんの役にたちたいなぁ...。閑話休題。

Figure2
図2.JAMSTECの荷物を吊り下げてHealyに向けて飛んできたヘリコプター。米国アラスカ州ノーム沖にて。

 Healy号による北極海横断航海は、8月5日に米国アラスカ州ダッチハーバーを出発して始まりました。決定から乗船に至るまで各種手続き、機材の輸送など、準備時間が短かったこともあり大騒ぎでした。所内の準備は何とかなり、ハリファックスそして横須賀から乗船地のダッチハーバーへの機材の発送も終え、…しかし送ったブイ設置などのための荷物の一部がダッチハーバーに届かなかったのが直前かつ最大のピンチ。機材輸送はときどきトラブルが起きます…(Ⅲー1でも書いている)。このままでは乗船できても作業ができない…。落ち着いて、なんとか輸送会社に連絡をつけて機材をベーリング海峡の少し南にある街、ノームに送ってもらい、Healy号が立ち寄ってヘリコプターによる積込(図2)で、これらを受け取ることができました。本当にバタバタでしたが、事なきを得て出発。波乱のスタートでした。

 本航海に日本から乗船したのは、JAMSTECからの2名と北見工大の先生の計3名。みな米国の研究者とともに海氷観測班として、通常はワッチを組んで(担当時間を決めて)ブリッジから海氷状況(厚さや密接度、海氷の種類など)を観測します。また観測地点に着くと、それぞれの海氷・海洋観測、ブイの設置などを行いました。JAMSTECの本航海での主目的はブイの設置でしたが、合わせてXCTD(投下式電気伝導度水温計)を用いて水温塩分の観測も行いました。北極海横断のデータが得られる見込み。ただ、いつ観測地点が設定され作業を行えるのか、首席研究者や船側の人に聞いても、海氷状況次第。そして他の観測との兼ね合い次第。その日の予定すら誰にも分からず。例えばある朝、今日の予定を首席に聞きに行くと ”Nobody knows.”と言われました。また別の日の朝に同じように予定を聞きに行くと “Anybody knows nothing.”と言われ、「それ、前と一緒やん!」と突っ込みながら、常に状況をチェックして、他の観測の合間を見計らってXCTD観測などを行いました。海氷域での観測の難しさ、他の観測との調整の難しさを実感した航海でもありました。

 図3は、そのような中でこの航海で行ったXCTD観測地点図になります。チャンスを見つけては首席と船側にお願いして北極海を横断する計71点のデータを得られたことは、その後のいくつかの成果公表にも繋がりました。また動画(図4)は、Healy号の船橋から撮っていた航海中の海氷状況です。2005年は当時の海氷面積最小を記録した年でした。太平洋側は特に海氷が少なくなりましたが、例えば動画の最初の方、チュクチ海北部で海氷域に入ったころはとても薄く、メルトポンド(海氷の溶け水でできた水たまり)や海氷の割れ目が多かったことが分かります。この海氷状況が北に大西洋側に進むに連れてどんどんと厚くなっていった状況が伝われば幸いです。

Figure3
図3.米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による2005年北極海横断航海でのXCTD観測地点。CB:カナダ海盆、MR:メンデレフ海嶺、AR:アルファ海嶺、MB:マカロフ海盆、LR:ロモノソフ海嶺、AB:アムンゼン海盆、GR:ガッケル海嶺、NB:ナンセン海盆、YP:ヤルマク海台

図4.米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による2005年北極海横断航海で得られた海氷状況の動画。
Healy号の船橋から前方を撮影している。

Figure 5
図5.米国沿岸警備隊砕氷船Healy号による2005年北極海横断航海で設置されたJ-CAD 10(北緯86度、西経162度、2005年9月2日)

 観測とは直接関係がない話ですが...。Healy号は私が初めて乗った”Dry ship”、そうお酒が飲めない船でした。大人になってからはほぼ毎日何らかのお酒を飲んでいる私が2ヶ月近くも禁酒したのは、いまもなおこの航海の時期だけです。とは言え、北極の海氷域のとても寒い環境での観測作業はそれなりに体力を使うので、お酒がないから寝られない…などの問題もなく、ただお酒が飲めないだけで普通の船内生活を過ごしていました。お酒がなくても生きていける!すばらしい!
 ひとつ問題があったとすると、….食事が合わなかった(言い換えると、私には美味しく感じられなかった)ことでしょうか。食べられないわけではないので健康面で問題はなかったのですが、ちょっと違う料理が食べたくなりましたねぇ。船内生活での食事の大切さを知った航海でもありました。ちなみに9月2日に北緯86度・西経162度の海氷上にJ-CADの設置を無事に終えた(図5)あと、船に戻って日本から持ってきたカップ麺(緑のたぬき)を食べました。そのときの緑のたぬきの味が、…本当に泣きそうなくらい美味しく感じたことはたぶん生涯忘れないでしょう(笑)。日本のカップ麺、最高!(笑)

Figure 6
図6.スウェーデン砕氷船Oden号(2005年9月10日、北極点の海氷上にて)

 8月下旬にカナダ海盆北部の北緯84度、西経145度近くで、アラスカ沖から西経150度線を北上してきたOden号と合流し、このあとは2隻で一緒に北極点に向かいます。交代で前を進む形で海氷を割り観測をしながら進みます。図4の動画にも前を進むOden号がときどき映っています。そして北極点に着いたのが9月11-12日。停船し海氷上を歩いて双方の船を研究者が行来し北極点到達を祝いました。私たちもOden号を訪ね(図6、前方の形状が独特な船です)、さらに船内の様子を見せてもらいました。Healy号が地球物理・地質・海氷観測が主目的だったのに対して、Oden号は海洋観測が主目的でした。Oden号で観測を行っていた海洋物理・化学の研究者たちにCTD/採水観測の様子を教えてもらったのは、すごく楽しかったです。
 研究と関係のない話としては、Oden号にはBarがあることを知りました。とてもうらやましかったです…。そのとき私はお酒を飲みませんでした(絶賛禁酒中!)が、Healy号乗船者のうち何人かがそこで飲んでいたのを見かけました(笑)。まぁそれくらい良いですよね。以下、余談ですが….それから15年以上経ち、まさかそのときOden号で飲んでいたHealy号乗船研究者の一人が、2022年みらい北極航海に参加し、さらにその後JAMSTECを訪問しセミナーをすることになるとは….そのときは全く予想できませんでした(笑)。向こうも私のことを覚えていてくれました。みらい航海が楽しかったと言ってくれて、良かったです。先述の2005年Healy号航海の首席研究者やブイ観測を一緒に進めているNPEOのメンバーもそうですが、やはり航海や観測現場で知り合った研究者間の繋がりって、ちょっと特別なものがありますよね。人のつながりって大切(4回目)。

Figure7
図7.フラム博物館(著者撮影)

 北極点からはフラム海峡に向かって最短コースで進む予定でした。しかし2005年9月の大西洋側北極海は海氷がとても厚く、なかなか進めませんでした。シベリア側からの風で海氷が押し寄せられていた影響(ii)があったと思われます。1日の進行距離が数kmだった日もありました。これなら歩いたほうが早い...危ないからそんなことはしませんが(笑)。この海氷状況のために急遽進路を変更し、フランツジョセフ諸島のほうに向かいます(図3参照)。ロシアEEZ内海域に入る前に観測は全て終えて無害航行の状態になってからフランツジョセフ諸島北西沖で海氷域を脱したのが9月25日。そしてノルウェー・トロムソに着いて下船したのが9月30日でした。57日間の北極横断航海。トロムソで飲んだ約2ヶ月ぶりのビール。すごく、すご~く美味しかった。食事も美味しかった! 陸上っていいねぇ...(笑)。実は砕氷船航海って、通常の船舶の航海と違ってときどき船外に出られる(海氷上に出られる)のが良いんですよ。なのでそれほど船内でずっと我慢していた感じはないのです。とは言え、久しぶりの陸上、初秋のトロムソの空気はとても気持ちよかったです。その後、日本への帰路にオスロで時間ができたので、フラム博物館(図7)に立ち寄りました。こちらもとても良かったです。北極横断航海のあと、かつ厚い海氷に進路を阻まれて苦労したあとだっただけに、ナンセンのフラム号での漂流の話(i, iii)も自分のことのように楽しむことができました。このあともオスロを訪れるたびに、時間が許す限り、フラム博物館は見に行っています。となりにはコンチキ号博物館もあり、海洋研究者ならおすすめ場所です。

 この航海は、北極海観測の歴史を見ても、1994年の米国砕氷船ポーラー・シー号とカナダ砕氷船ルイ・サン・ローラン号による北極横断航海以来の 2度目の北極海横断観測航海でした。北極海中央部の貴重なデータを得ることができ、科学的にも大成功だったと思います。個人的にも、いくつかトラブルはあったものの、ブイを設置し海氷・海洋観測をし、その後の成果公表につながったこと、そして北極海の海氷域の美しい景色を見ることができたことで、有意義な体験でした。下に、この航海で得られた写真をいくつか付けます(図8)。北極船のホームページのギャラリーにもこの航海で撮った写真がおいてありますので、よろしければご覧ください。

F8
図8. 米国砕氷船Healy号の2005年北極横断航海で取られた海氷の写真

今回の航海を経験して得られたこと。

  •  積極性、大事。日本での国際会議はチャンス!
  •  あきらめない。「捨てる神あれば拾う神あり」「宝くじ、買わなきゃ当たらない」
  •  今日の予定は、Nobody knows…。Anybody knows nothing...。
  •  日本のカップ麺、最高!
  •  フラム博物館はおすすめ。
  •  人のつながり、信頼は大切。

そして番外編② (Polarstern号航海 in 2007,2008 during the IPY)につづく...。

参考文献/References

  1. 菊地隆 (2022). 北極海調査の歴史とこれから-北極域研究船に向けて-、日本海洋工学会誌 KANRIN(咸臨)、第101号(特集:海洋調査と調査船)、28-34.
  2. J. Inoue and T. Kikuchi (2007).  Outflow of Summertime Arctic Sea Ice Observed by Ice Drifting Buoys and Its Linkage with Ice Reduction and Atmospheric Circulation Patterns.  J. Meteorol. Soc. Japan, 85, 6, 881-887, https://doi.org/10.2151/jmsj.85.881. 
  3. フリチョフ・ナンセン(太田昌秀 訳) (1998). 『フラム号 北極海横断記-北の果て-』,Newton Press,ISBN4-315-51450-0

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