北極海での観測研究のこれまでの流れ (Ⅲ)自立期-3:北極海の海氷が急速に減り始めた
2023年1月6日
地球環境部門 北極環境変動総合研究センター センター長/
研究プラットフォーム運用開発部門 北極域研究船推進室 国際観測計画グループ
グループリーダー
菊地 隆
本稿では、これまでの北極海の観測研究の流れについて、主にJAMSTECおよび日本の活動を中心に記述します。図1は、人工衛星で得られた北極海で9月に観測される年最小海氷面積の経年変化のグラフに北極海での観測研究のこれまでの概要を記したものです。1970年代に人工衛星による海氷観測が始まってから現在までを4つの時期に分け、それぞれの時期で何を目的とし、どのような観測研究を行ってきたのかをまとめます。
Ⅲ:自立期(その3: 北極海の海氷が急速に減り始めた)
さて、「Ⅲ:自立期」の時期は、図1に示す通り北極海の海氷状況が大きく変化した10年でした。1970年代に衛星観測が始まり海氷分布のモニタリングが可能となって以降、20世紀の間の北極海の年最小海氷面積は平均で約650万km2、やや減少傾向(そのまま減ると西暦2300年くらいに0になる)状況でしたが、2000年代に入って急激に減少します。先にも記しましたが、JAMSTECでは1990年代末期からブイ開発とそれによる海氷下の観測を始め、「みらい」による船舶観測も始め、得られたデータから「なぜ北極海には海氷が存在するのか」「海氷が存在するための北極海の役割・特徴はなにか」を調べ始めました。
ところが、2000年代に入ってから2002年、2005年、2007年と北極海の海氷面積最小記録の更新が進むなかで、「なぜ北極海の海氷が減少するのか」を早急に調べる必要が出てきました。この時期はJAMSTECが海洋科学技術センターから海洋研究開発機構に変わり、第1期中長期計画(2004-2008)を立てて新たな研究開発を進めていった時期にあたります。本稿(Ⅲ-3)では、急速に変化し始めた北極海に関して、JAMSTECが公表してきた成果を中心に、この時期に分かった北極海の海洋構造(水温・塩分濃度の分布)のこと、そして海氷状況の変化についてお伝えしていきます。あまり聞き慣れない少し難しめの研究話かもしれませんが、よろしければお付き合いください。
図2は、2007年8-9月にドイツ砕氷船ポーラーシュテルン号とカナダ沿岸警備隊砕氷船ルイ・サン・ローラン号の航海で得られた北極海を横切る水温と塩分の断面図です。2007-2008年の観測時期は国際極年(*)として日本を含む各国が連携して行いました。その中で、JAMSTECの研究者も、海洋地球研究船「みらい」だけでなく、ドイツやカナダの砕氷船航海にも参加して、北極海を広く覆う観測を行っていました。図3に国際極年でJAMSTEC北極研究グループが実施・参加した北極航海の航跡図を示します。広く北極海をカバーする観測ができたことが分かります。図2はそのうち2007年の国際連携観測により得られた北極海の断面図です。
北極海の水温は他の海洋と比べてとても低いです。結氷温度(-2℃近く)から高くても+2,3℃までの範囲です。とても狭い範囲の温度変化しかありません。一方、河川水や海氷の溶け水の影響のため表面の塩分はとても低いです。日本近海だと3.1~3.5% もしくは 31~35(**注:私たち海洋研究者は通常はおおよそ千分率にあたる塩分濃度の単位を使います。その表記だと、例えば日本近海の塩分濃度の範囲は31~35となります。図2そして以下の話もこの表記で記載します)の範囲になりますが、北極海での塩分濃度の範囲は 23~35と低塩分濃度側にとても広い範囲に及びます。海洋の層構造を作る密度を決める要因についても、水温が低くその範囲が狭いことから、塩分が支配的要因になります。図2で示すように、北極海では塩分は下に行くほど大きくなるのに対して、水温は高くなったり低くなったり複雑な構造を示します。
北極海全体を見たときに最も特徴的な海洋構造のひとつとして、広く北極海全体の水深200~1000m付近に温かい(水温がプラスの)海水が存在することが挙げられます。大西洋側(図2の左側)が最も温かく、2007年の観測では中心部分は+3℃ほどありました。これは大西洋起源の海水「大西洋水」です。「大西洋水」の存在が明らかになったのはとても古く、1893-1893年に行われたノルウェーのフリチョフ・ナンセンによるフラム号の漂流で既に観測されていました。ちなみに、フラム号漂流や北極探検・観測の歴史の概略は、参考文献(iii)を参照してください。詳しく知りたい方は、参考文献(iv)がおすすめです。とても厚い本ですが、フラム号の漂流の記録をすべて読むことができます。閑話休題。この「大西洋水」が持つ熱量はとても大きく、もし表面まで達すると北極海を覆っている海氷を全て溶かすだけの熱があると考えられます。しかし、そのようなことが起きない海洋構造が北極海にはあります。それがこの「大西洋水」の上にある「冷たい塩分躍層」と言われる層です。
20世紀中頃、冷戦下で行われた観測から「冷たい塩分躍層」の存在は確認されるようになりました。その層は、水温は全体にわたりおおよそ結氷温度であるのに対して、塩分が深さとともに徐々に高くなっていく層で、50~200mの深さにあります。この塩分躍層、つまり密度の差が水を混ざりにくくして、下層から表面に熱が伝わることを妨げます。その結果、北極海の海氷が維持されていると考えられました。またこの「冷たい塩分躍層」は北極海の大陸棚で冬季に海氷生成に伴って作られた冷たい海水が北極海の中に広がって作られるというアイデア(図4:移流型)が1980年代に示されていました(v)。その後1990年代になり観測が進むに連れて、特に大西洋側北極海では、移流型だけでなく、冬季の冷却による現場での対流も「冷たい塩分躍層」の形成に重要であること(対流型)が示されました(vi)。
JAMSTECが行ったNPEOにおけるJ-CADを用いた自動観測(Ⅲ-1参照)も大西洋側北極海における「冷たい塩分躍層」の研究について成果を出しました(vii)。大西洋側北極海の「冷たい塩分躍層」は、その成因として移流型と対流型が合わさった「冷たい塩分躍層」(A-C型)と、対流型「冷たい塩分躍層」(C型)があることを示し、1990年代からの観測データと合わせて調べることでそれぞれの分布域が大気循環場の変動と合わせて変化することを示しました(図5)。ちょうどこのころ1990年代に起きた北極域への暖気や温かい海水の流入(北極温暖化のはしり)が “北極振動“で特徴づけられる大気循環の変化と関係している(1990年代始めに北極振動が大きなプラス値を示す状況になったことが原因)と言われていました。このような大気循環の変化に海洋側も応答していることを示した成果のひとつでした。
一方、太平洋側北極海の海洋構造はより複雑です。大西洋側にある「冷たい塩分躍層」に当たる層(塩分34.1付近)の上に、「太平洋夏季水」(塩分31.5付近)と「太平洋冬季水」(塩分33.1付近)の層が存在することが、図2から分かります。これらの水塊は、太平洋側のベーリング海峡から北極海に入り、大陸棚を経て北極海内部に広がったもので、「太平洋夏季水」は温かくて塩分が低いこと、「太平洋冬季水」は冷却と海氷生成の影響により冷たく塩分が少し高いこと、これらの水塊が海氷融解水や河川水の影響を受けたとても塩分が低い表層水と 大西洋側から流れてくる「冷たい塩分躍層」「大西洋水」の間に広がることなどが、Ⅲ-2で記したカナダ海盆での国際連携観測(JWACS)などから明らかにされていきました(viii,ix)。
また大西洋側から北極海に流入した「大西洋水」やその上にある「冷たい塩分躍層」の太平洋側への広がりについて、その経路や水塊の特徴の変化についても成果を発表していきました(ix,x,xi)。特に、1990年代始めに北極海に流入した通常よりも温かい水塊(先述、以下Warm temperature anomaly: WTAとする)の北極海内部への広がりは、北極海の海洋循環を知る上で注目を集めていました。ブイによる海洋自動観測などから、このWTAは海底地形に沿って北極海の中に広がること、例えばロモノソフ海嶺に添う形で北極点付近には北極海に入ってから5年程度を経て達したことを示しました(xii)。さらに、JWACSの結果から、2000年代に入って太平洋側のカナダ海盆にもこのWTAが侵入したことが確認されています(x)。
最初に記した通り、このように国際連携で観測を進めその解析結果から北極海の海洋構造や循環に関する知見を積み重ねていったのが、ちょうどJAMSTECが海洋科学技術センターから海洋研究開発機構に変わった頃にあたりました。上記は第1期中長期計画(2004-2008)の前半の大きな成果でした。ところが、この期間に北極海の夏季海氷面積は大きく減少します。特に2007年の夏季海氷面積は20世紀後半と比べて2/3程度にまで減少しました(xiii)。海氷が存在する特徴的な海洋の構造や循環を調べていた私たちに、「なぜ北極海の海氷は急速に減少しているのか」が緊急の課題として投げかけられたのです。
とは言え、実は太平洋側北極海に関しては2000年前後から海氷減少が進行していたことに私たち研究者は気づいていました。そこでこの緊急の課題に対して、ここまで積み重ねた知見をまとめ、1990年代末期に太平洋側から温かい海水が流入し始めたことをきっかけとする海氷減少メカニズムが働いていることを、JWACSの研究成果として発表しました(xiv)。そのメカニズムは、以下のとおりです。太平洋夏季水の温暖化が沿岸の海氷をこれまで以上に溶かす。→ カナダ海盆の時計回りの海氷・海洋循環が強まる。→ 海盆域への海洋熱輸送が増える。 → 沿岸域・海盆域の海氷生成が減少する(海氷減少が進む)。 → 循環が強まる(以下、繰り返し。図6)。ベーリング海峡を通過して太平洋側から流入する海水が温かくなってきたことから太平洋側北極海の海氷減少に繋がる正のフィードバックメカニズムを示した点で、本論文はとても大きなインパクトを示しました。この論文は、いまなお数多くの論文に引用されています。
一方で、2005年や2007年の北極海全体の大幅な海氷減少については、漂流ブイ観測などの結果から、海氷漂流による北極海からの流出が大きな役割を担っていることを成果として発表しました(xv)。図7は、漂流ブイの軌跡と気圧配置を合わせて記したものです。細かい変化はあるものの、ある程度の期間をまとめると、漂流ブイの軌跡(海氷の動き)は気圧配置に沿っていることが分かります。その中で2005年の気圧配置は、通常よりカナダ海盆域の気圧が高く、シベリア側が低い状況でした。そのため、北極海上はシベリア側からグリーンランド海に向けて吹く風が強くなりました。結果、多くの海氷がシベリア側からグリーンランド海側に流れて、北極海から流出し、海氷が減少しました。風が海氷を北極海から追い出したことを示したのです。この成果は2006年までの観測結果を元に示しましたが、2007年にもカナダ側が高くシベリア側が低くなる気圧配置が現れ、これが大幅な海氷減少に繋がりました。北極海の海氷減少が、温暖化によって溶けたり海氷生成が減ったりすることだけで起きるのではなく、海氷が出ていくことでも進行することを示した点で、とても重要な研究成果でした。
2007年の海氷の大幅な減少のインパクトはとても大きく、科学的にそして社会的にさまざまな形で取り上げられました。
例えば北極海上空を飛んでいたJALの貨物便から撮影された北極海の様子が調査ノートとして気象学会の機関誌「天気」に掲載されました(xv)。カナダ海盆東側の北緯77度の地点、人工衛星のデータでは海氷に覆われていると思われる海域で、氷盤が小さくなり開水面が多くなっている様子が分かります。
メディアでも大きく取り上げられました。特にJAMSTECも協力する形で制作され2008年5月25-26日に放送されたNHKスペシャル「北極大変動」(xvii)では、2007年の北極海での観測の現場にNHKの方も同行されて、そこで得られた急速に進行する北極海の海氷減少の現場の様子と、その影響を受ける生き物、人間社会との関係などが放送されました。その中で私たちは、上記の成果を元にして、北極海の海氷減少は「溶ける」「凍らない」「出ていく」の3つの要因で進行していること、この海氷減少は“もうあともどりできない点(Point of no return)”を過ぎたのではないかと危惧されていることを、伝えました。北極で急速に進む海氷減少とそれと関係した生物や人間活動の話には大きな反響があったことから、この番組はいくつかの賞を受賞し、DVD化され本も出版されました(図7)。15年近くたった今でも見ることができる示唆に富む番組だと思っています。よろしければ、ご覧いただければと思います。
さて、本当は本稿をもって「Ⅲ:自立期」を終えて、次から「Ⅳ:発展期」に進む予定だったのですが、書いてみると海洋と海氷の物理的なことばかりを記してしまい(そしてめっちゃ長くなってしまい…)、北極の環境変化に対する化学や生物を含む影響に関する成果を記すことができませんでした。そこでⅢ-4として、2000年代後半に海氷減少にともなって観測されたさまざまな影響について記したいと思います。
余談:砕氷船航海はいつも楽しい!(It’s always fun to join ice-breaker cruises in the Arctic Ocean.)
国際連携観測により日本人研究者もこれまでに砕氷船に乗る機会を得てきました。余談として、私の砕氷船航海の体験記を書こうとしたのですが….、こちらも書いているうちにめっちゃ長くなってきたので、別立てにすることにします。予告として、別立てに入れた図を1つだけ、ここにつけます。よろしければ、あとに出るこちらの記事もご覧ください。近日公開予定(笑)
参考文献/References
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International Polar Year (IPY) 2007-2008 website. http://www.ipy.org/ (参照:2023-01-06)
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World Meteorological Organization, International Polar Year 2007-2008 website. https://public.wmo.int/en/bulletin/international-polar-year-2007-2008 (参照:2023-01-06)
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菊地隆 (2022). 北極海調査の歴史とこれから-北極域研究船に向けて-、日本海洋工学会誌 KANRIN(咸臨)、第101号(特集:海洋調査と調査船)、28-34.
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フリチョフ・ナンセン(太田昌秀 訳) (1998). 『フラム号 北極海横断記-北の果て-』,Newton Press,ISBN4-315-51450-0
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Aagaard, K., L. K. Coachman, and E. Carmack (1981). On the halocline of the Arctic Ocean. Deep-Sea Res. 28A, 6, 529-545. https://doi.org/10.1016/0198-0149(81)90115-1
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Kikuchi, T., K. Hatakeyama, and J. H. Morison (2004). Distribution of convective Lower Halocline Water in the eastern Arctic Ocean, J. Geophys. Res., 109, C12030, doi:10.1029/2003JC002223.
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Shimada, K., E. C. Carmack, K. Hatakeyama, and T. Takizawa (2001). Varieties of shallow temperature maximum waters in the Western Canadian Basin of the Arctic Ocean. Geophys. Res. Lett., 28, 18, 3441-3444, https://doi.org/10.1029/2001GL013168
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Shimada, K., F. McLaughlin, E. Carmack, A. Proshutinsky, S. Nishino, and M. Itoh (2004). Penetration of the 1990s warm temperature anomaly of Atlantic Water in the Canada Basin. Geophys. Res. Lett., 31, L20301, doi:10.1029/2004GL020860.
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JAMSTEC・JAXA共同プレスリリース「北極海での海氷面積が観測史上最小に -今後さらに予測モデルを大幅に上回る減少の見込み -」(2007年8月16日) https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20070816/ (参照:2022-12-23)
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Shimada, K., T. Kamoshida, M. Itoh, S. Nishino, E. Carmack, F. McLaughlin, S. Zimmermann, A. Proshutinsky (2006). Pacific Ocean inflow: Influence on catastrophic reduction of sea ice cover in the Arctic Ocean. Geophys. Res. Lett., 33, L08605, doi:10.1029/2005GL025624.
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Inoue, J. and T. Kikuchi (2007). Outflow of Summertime Arctic Sea Ice Observed by Ice Drifting Buoys and Its Linkage with Ice Reduction and Atmospheric Circulation Patterns. J. Meteorol. Soc. Japan, 85, 6, 881-887, https://doi.org/10.2151/jmsj.85.881.
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猪上淳、小林宏之(2008). 2007年の夏季海氷減少の実態について―貨物機から見た北極圏―. 天気 55 (6), 505-507, 2008-06.
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NHKスペシャル「北極大変動」
『第1集 氷が消え悲劇が始まった』
https://www.nhk.or.jp/special/detail/20080525.html
『第2集 氷の海から巨大資源が現れた』
https://www.nhk.or.jp/special/backnumber/20080526.html (参照:2022-12-23)