アラスカ州バロー岬定着氷上の観測
2024年1月12日
地球環境部門北極環境変動総合研究センター
北極海洋環境研究グループ
藤原 周
本稿では研究船を使わない北極の海氷上の海洋観測を紹介します。2023年5月にアラスカ州ウトキアグヴィクで実施したこの観測には、国内から6名・米国から3名の中堅・若手研究者が参加しました。
北極海に突き出たアラスカ州バロー岬、その近海は豊かな海洋生態系が形成され、豊富なプランクトン類を求めて多くの魚類や海棲哺乳類が集まり、古くから沿岸のウトキアグヴィック市の捕鯨等を営む先住民を支えてきました。バロー岬近海は特異な地理的特徴のため、冬季には北極海有数の海氷生成の場としても知られ、海洋循環・物質循環・生態系といったあらゆる面で注目される地域となっています。私たちは、冬に海氷が作られる際、どのように栄養物質などが海氷の中に取り込まれ、そして春の融解と共にどのように海中に放出され生物の糧となっていくのか、その一連のプロセスを解明するべく研究に取り組んでいます。この研究テーマは、極域の生態系や物質循環の中での海氷が果たす知られざる役割を明らかにしていこうというモチベーションのもと、日本とアラスカ大学フェアバンクス校の中堅・若手研究者が合同研究チームを組み、科研費やArCSIIの研究力強化プログラムの枠組みの中で始動しました。
バロー岬には毎年冬から春の間、海氷が岸に押し寄せ、風や海流でも動かない「沿岸定着氷」と呼ばれる海氷が作られます。海岸から数km沖合まで直接アクセスすることができるようになるため、定着氷は現地住民の捕鯨や漁を支える重要な役割を果たしています。私たちは、現地氷上ガイドの案内のもと、滞在先からスノーモービルで隊列を作り、雪原を抜けて沿岸定着氷の(海洋学的に重要そうな)目的地を目指しました。10kmほど走ると、平坦な雪原が一転、地面の凸凹が急に激しくなり、氷のカルスト地形のような景色が目の前に広がりました。沿岸定着氷上にきた証拠です。ウトキアグヴィクの人たちは、この凸凹の激しい定着氷上でも「トレイル」と呼ばれるスノーモービルが通れるルートをいくつも把握しており、クジラやアザラシ猟に活用しています。私たちもそのトレイルを使わせて頂き、目的地を目指しました。
トレイルをしばらく進むと開けた場所がところどころに現れます。ホッキョクグマの襲来に備え、すぐに離脱できるようなこのような開けた場所が観測を行うには望ましいです。見通しのよい場所を観測点として選定し、海氷研究の最重要試料「海氷コア」を採取します。強力な電動ドリルの先に、筒状に海氷をくり抜くことができる1m長の「コアラー」を取り付け、海氷下の海中までくり抜きます。この年の定着氷の厚さは、150cm前後でした。採取したコアは、氷鋸で手頃な大きさに小分けにし、大型のクーラーボックスに入れてラボに持ち帰ります。海氷コアの温度・塩分・栄養塩・含有粒子・結晶構造といった項目を分析し、そこの海氷がいつ、どのように作られ、どんな物質が入っているのかなどを調べます。続いてコアを空けた穴から海中の水温・塩分を測定し、海水試料も採取してその点での観測作業が終わります。この一連の作業を1日1〜3地点で行いました。私が研究ターゲットとしているのはsediment laden ice (堆積物を含んだ氷、通称dirty ice = 汚い氷)と呼ばれる海氷で、海氷が作られる何らかの過程で海底の泥が氷の中に取り込まれたものです。この「何らかの過程」を調べるのが物理チーム、海氷中の栄養物質を調べるのが化学チーム、そしてそれらが海中に放出した時に、生態系にどのような影響があるのかを調べるのが生態系チームです。目論見通り、茶色く色づいた泥を含む海氷コアを取ることができました。今回は天候にも恵まれ、4日間にわたって様々な場所で氷上観測を行いました。採取した試料は数ヶ月かけ分析されます。
今回の氷上観測のもう一つの目的は、氷上観測の「経験を積むこと」でした。我が国待望の北極域研究船が就航した暁には、直接的な海氷観測が可能となり、さらなる研究の発展が大きく期待されますが、その前により多くの中堅・若手研究者が危険作業を伴う氷上の観測知識・スキルを身につける必要があります。フィールド科学は、現場を肌で感じてこそ新しい課題は創出されていくものですが、ここ数年はコロナ禍の影響が大きく、特に若手研究者がフィールドワーク経験を積む機会が得られない時期が続きました。そこで、氷上観測経験が豊富なアラスカ大学フェアバンクス校の同年代の研究者との共同フィールドワークを通して、お互いの観測手法の情報交換やノウハウを学ぶべく今回の活動となりました(ArCSII海外交流研究力強化プログラム)。また、数日間の共同生活を含め、科学的親交もかなり深まったと思います。この活動を通して、将来的に北極域研究船の国際的利用が活発化するきっかけや、若手研究者のモチベーションになればとも思います。